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7月

「海へ行こう」

 彼女からの電話。理由を聞く前に通話は切られていた。




「うわぁ、くろーい!」

 浜辺へおりると少し長めの白いワンピースの裾を持ち、駆け出す彼女。

 月が明るい夜。満月だろうか。波に映る月は寄せては戻る波のせいで歪んでいる。

 ゆっくり大股で歩いて、彼女を追いかける。

「気持ちいい……」

 時折聞こえる彼女の声と途切れることのない波の音。彼女はいつの間にかサンダルを脱いで右手に持ち、水際を歩きながら水と波と月と戯れていた。

 彼女が何を思って海へ行きたいと言い出したかわからない。けれど、月明かりに照らされた彼女の姿は幻想的で、そんなことは些細なことだと思った。

 ジーンズの裾を上げ、彼女と同じように水際を歩く。昼間の熱気が少し残りつつも、昼間よりも幾段も冷えた風が彼女との間を通り抜ける。

「月にうさぎはいると思う?」

 いつの間にか私の顔を覗き込むように立っている彼女に驚く。

 なんだって?

「だから、月にうさぎはいると思う?」

 なんと答えていいのか、なんと答えるべきなのかわからないで立っていた。その姿がよほど間抜けだったのだろう。彼女は突然笑い出した。

 おいこら!

 止まらない笑い。涙を浮かべて笑っている姿は可愛らしかったが、悔しくなった。

 月をプレゼントしてやるよ。

 言っている意味がわからず、ぽかんと固まる彼女。いつも振り回されているから仕返しだ。右手に持っていた靴を浜に放ると、綺麗な放物線を描いてまだ水で濡れていない砂浜に転がった。その様子を見て、あとで砂を出す手間が増えたと後悔した。少し離れたところに立つ彼女に片方の口端をあげて笑ってみせ、わざわざ脛の辺りまで水に浸り、厳かに両手で水をすくう。

 手出せ。

 言われた通りに出した彼女の両手にすくった水を入れる。手の大きさが違うから彼女の両手から溢れ滴る水が波でならされた浜を乱す。

「本当だ!月!」

 嬉しそうに顔を上げる彼女。私にとってかなり恥ずかしかったこの行為も彼女は当たり前として受け入れてくれているようだ。彼女の手の中でゆれる少しいびつな月と、それを見つめる嬉しそうな彼女のうつむき加減の顔がとても綺麗だ。

「ありがとう。このまま月をお持ち帰りしたいけど、さすがに無理だね」

 それは勘弁してくれ。

 顔を上げて彼女が発した言葉はあまりに彼女らしくて苦笑するしかなかった。彼女ならこのまま車に乗り込むことも十分ありうるだろう。

「それじゃあ、今度は私の番だね。私はたくさんの月を見せてあげる」

 こちらを楽しそうに見て、駆け出した彼女。私から少し離れた位置に立つと、振り返り予想もしなかった行動に出た。

「よく見ててよ、三、二、一……」

 カウントをとって、水を空に向け放る彼女。水が小さな飛沫となり、空を舞い、きらきらと光る。一つ一つが月を映しているのか。たくさんの月。……なるほどね。感心すると同時に、飛沫の向こうの彼女を見て、はっとした。

 こんなに綺麗だったか?

 胸の高鳴りを知られまいと、転がっている靴の隣に腰を下ろす。彼女は気の済むまで水際で水と戯れ、月を見つめ、その姿はまるで踊っているようかのように、羽が生えているかのように見えた。

 そんな彼女の姿に見とれていると、いつの間にか気の済んだらしい彼女が目の前に立っていた。

 帰るか?

 頷く彼女と帰りは並んで歩く。車に乗り込みエンジンをかけると、小さく彼女が呟いた。

「ありがとう」

 何も言わず、彼女の頭を少し乱暴に撫でた。たまにはこんな夜もいい。




 このあとしばらくの間、家のリビングには彼女が準備した水を入れただけのグラスが置かれていた。二人だけの月を掴むために。

いかがでしょうか?

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