3月
仕事中にメール受信音が鳴ることはよくあること。そして、それをすぐ確認するかはその時の状況で違う。今回は、仕事がちょうど波に乗っていたので、ケータイを一瞥しただけで、気にもしなかった。
数時間後、仕事の区切りがついてほっと一息ついていると、またメール受信音が鳴った。仕事関係かもしれないと今更ながら先程のメールも含めて確認するため急いでメールボックスを開く。しかし予想にに反して彼女の名前が表示されていた。
仕事中に入ったメールの題名は『春1』、今入ったメールの題名は『春2』とつけられている。なんだかわからないがあまり深くは考えずにメールを開く。彼女の考えていることをいくら悩んだところでどうせわかるわけもないから。
開いたメールには本文が一切なかった。何がしたいのだろう。その代わりに、添付ファイルがついている。とりあえず開いてみる。
画面いっぱいの菜の花の画像。まさに黄色の絨毯。どこで撮ったのだろうか。どこかへ旅行にでもいったのだろうか。疑問が次々と浮かぶ。いくら記憶を辿っても何も聞いていない……と思う。いやいや、僕の許可が必要なわけではないのだから、全くかまわないじゃないか。
そう自分に言い聞かせて、もう一通のメールも開く。先程の菜の花の画像はしっかり保存しておいた。こちらも思ったとおり、本文がない。
「つくし、か……」
見事な数のつくしの写真。地面にしゃがみ込んでカメラを構える彼女の姿が容易に想像できた。
『Subject:小さな春をありがとう
本文:どこで撮ったんだ?』
写真が綺麗だったのと、仕事が順調だったこともあり、メールを返信した。そして少し浮かれた気分で仕事を再開した。彼女のメールのおかげか、この日の仕事はその後も順調で、気が付いた時には夜八時になっていた。
「腹減った……」
考えてみれば、メールの返信をしたのが十一時過ぎ。それから集中していて、昼も夜も食べていなかった。一応正常な人間と自負しているので、腹が減るのは仕方がない。さて、食べに出るか、作るか。
正直、どちらも面倒だ。少し早いがこのまま寝てしまうという手もあると、ソファに寝転がった。
ピンポーン、ピンポーン……
インターホンが鳴っている気がしたが、既に寝るという行為に針が大きく傾いていたので、無視を決め込んだ。しかし、インターホンで腹の虫は目を覚ましたらしい。
「くそっ!」
勢いよく起き上がる。玄関のあく音がして、彼女の声が聞こえた。鳴らしたのは彼女らしい。そういや合鍵を渡してあったな。しばらくするとリビングのドアがあいて、満面の笑みをこぼす彼女が現れた。
「ご飯食べた?」
短く否定の言葉を返すと顔をしかめる彼女。いやいや、眠りを妨げられたこっちが顔をしかめたいよ。
「やっぱり……。お惣菜が多いけど食べるもの買ってきたから、食べよ?」
さっきまでしかめていた表情は今は笑顔に変化していた。彼女お得意の百面相。こちらの返事を初めから期待していないのか、楽しそうに台所に立つ彼女を見つめ、そういえば、とケータイをとりに仕事部屋へ。
メールを受信していることを知らせるアイコンが表示されている。時間を確認してみると仕事中に鳴ったはずなのだろうが、全く記憶にない。それだけ集中していたのだろう。早速中身を確認するため開くと、一件を除き、全て彼女から。しかも十件以上。何なんだ?仕事のメールを先に返して、彼女のメールを一つ一つ開いていく。
結局、彼女からのメールは『春3』から『春16』まであり、全て最初の二件と同じで本文はなく、写真だけ。しかも僕が彼女に送ったメールに対する返信はない。おそらく目に留まるものが多かったのだろう。送られてきた写真は、春を感じさせるもの、どことなく春を感じさせるものが中央を陣取っていた。蝶、桜のつぼみ、名前の知らない花、どこかの小学校、空、犬を散歩させている人に夕焼け……。
一体どうしたというのだろう。
場所をソファに移し、一つ一つちゃっかり画像を保存しながら、彼女の後姿を見つめた。
「何?あ、メール見てくれた?」
頷くと嬉しそうに笑う彼女。
「綺麗でしょ。あまりに綺麗だから写真撮っちゃって。それで、独り占めしてるのも勿体なくて。それに、仕事が忙しくて外に出る暇もないだろうと思って……」
一瞬寂しそうな顔をした彼女。そんな表情をさせてしまったのは僕。
ありがとうの意味をこめて、彼女の頭を優しく胸に抱き寄せると、途端に笑顔へと変化する。
これくらいしかできなくてごめん。寂しい思いをさせてごめん。
懺悔の言葉を心に止め、笑顔で彼女に向き直ると、食事を取りながら、彼女の送ってくれた写真についての話を黙って聞く。こういう時の彼女はまるで子供のようで、見ていて飽きない。
「それでね、その犬を散歩させていたおじいさんと友達になったの。今度一緒に会いに行こうね」
はぁっ!?
「もう約束してきちゃったから」
突然、突拍子もないことを言い出した彼女に思わず間抜けな声を上げてしまったが、彼女は全く気にもとめない。おいおい。初対面の人と……。
「もう!ため息つかないでよ」
そうだな。いつものことだな。
苦笑いを返すしかない。これくらいいつものことじゃないか。
「なんで笑うのよ」
そっぽを向いてむくれる彼女。慌てて宥めようとすると、急に満面の笑みでこちらに向き直り顔を覗き込まれる。
だからその表情。その君の笑顔が春風のように僕包みこんでくれるから、その度に胸が高鳴って君から離れられなくなっていんだ。
その日から僕のケータイの待ちうけは黄色い菜の花の絨毯になった。
まだこんな文章しか書けませんが、『読みにくい』などありましたら、ご連絡ください。お願いします。