9月
「おはよう!」
背中に声がかかったと思ったら風とともに彼女が自転車で駆け抜けた。
「おはよう」
届いてはいないだろうけれど、律儀に挨拶を返して僕は変わらずゆっくりと歩を進めた。
駅から高校までの一本道には、まだ時間が早いせいかそれほど生徒の姿は見られない。夏休みも昨日で終わり。今日から二学期が始まる。夏休みにも毎日部活動で学校に通っていたけれど、夏休みかそうではないかでこんなにも気持ちが違うものなのかとまだ青いまま項垂れた稲穂を見ながら思った。
学校に着いて、まだクラスメイトが来ていない残暑の残った教室に鞄を置く。あまりに暑いから教室や廊下の窓とドアを全開にした。ふと隣のクラスを見ると、同じように窓もドアも開け放たれていた。きっと僕より早くに着いた隣のクラスの彼女も僕と同じことを思ったんだろう。少し嬉しく思いながら部室へ行くと、彼女の他にも数人の仲間が来ていた。
「おはよう」
それぞれと挨拶を交わし、楽器ケースを開ける。シルバーに輝く楽器を前に一呼吸おく。
今日も頼むぜ、相棒。
僕の所属する吹奏楽部は始業式の校歌を演奏するため、他の生徒より早めに登校する。個々人がおしゃべりをしながらウォームアップをして、始業式の30分前には合唱部とリハーサルが始まる。
リハーサル前にそれぞれ体育館の中二階へと移動する。僕の学校は各学年が十クラスあり、体育館のフロアは生徒だけでいっぱいだ。そのため、僕ら吹奏楽部は体育館後ろの倉庫の上にある中二階でいつも演奏する。そして、合唱部は体育館正面のステージの上で生徒の見本のように歌う。合唱部が歌うから歌わなくてもいいやと思っている生徒が大勢いることを先生方は知っているのだろうか、と演奏の機会毎に思ってしまう。
「それじゃ、最後に通してやるぞ」
顧問が野太い声で号令をかけると指揮棒をあげた。それまで少しざわついていた体育館内の空気が凛として、吹奏学部員が楽器を構える。合唱部のステージ上からは吹奏楽部員は見えない。見えるのは指揮者のみだ。それでも、それぞれの緊張感を感じることが出来る。この音がない、ほんの短い時間が僕には心地よい。
演奏が始まって楽器の音色が絡み合って、さらに声が乗っかって。演奏しながら感じる音いっぱいの世界。決して楽器演奏には向いてはいない体育館だけど、僕は始業式や終業式の演奏が好きだ。
「それじゃ、出番まで待機な。解散」
一通りのリハーサルが終われば僕らは普通の高校生だ。他の生徒と同じく始業式が始まるまでは騒がしく過ごしている。同じパートの後輩は楽器を置いて、仲のよい金管楽器の仲間のところへと行くのが恒例だ。他の仲間もそれぞれ思い思いに過ごす。僕は楽器を置いて壁に寄りかかった。
「よぉ」
パーカッションパートの悪友がスティックを手に僕の横へ腰を下ろした。共学高校で、大して強くもないうちの吹奏楽部の大半は女性だからついつい少ない僕ら男共はつるむ。
「少しは進展したか」
「何が、だよ」
「またまたぁ」
彼は僕が彼女に好意を寄せているのを知っているから、こうして僕をからかうのが楽しみと化しているらしい。本人がそう言っていた。もちろん、それを聞いて憮然としたけれど、彼は口ではそう言いながらも何だかんだと僕に協力的で、彼女との接点を増やそうとしてくれている。
低音楽器テューバを担当する僕は、高音楽器のフルートを担当する彼女とまるで向かい合わせのような位置にいる。もちろん、その間には他の楽器がたくさんあるわけだけど。それだけでも幸せを感じる僕は、悪友いわく「危ない」らしい。余計なお世話だと思う。
「早いとこ告白しちまいな。誰かに先を越されるぞ」
「おまえなぁ、振られでもしてみろ。部活に顔出しにくくなんだろうが」
「おいおい、何でそんなに後ろ向きなんだよ」
小声で言い合っていたら、最後には彼は呆れた口調で言うと肩をすくめて見せた。
「慎重と言え」
「何が?」
突然、楽器を片手に彼女が目の前に現れて固まった僕は、そのまま隣で平然と会話をする彼と彼女の声を遠くで聞いていた。
「いいと思わね?」
「いいね、それ」
「お前もいいだろ」
同意を求められた気がして何のことだかわからないまま「ああ」と答えた。
「準備しろ」
顧問の声がして、僕はようやく現実へと戻ってきた。
「やった、じゃあ楽しみにしてるね」
彼女は嬉しそうにそう言って、彼は「後でな」とにやりと笑って、自分の持ち場へを戻っていった。
「えぇ!ピアノ伴奏?」
始業式の演奏も始業式後のホームルームも無事終わって、彼と練習前の昼食をとりながら始業式前の彼女との話を聞かされた。
「何だ、聞いてなかったのかよ。ま、彼女も期待してるようだし頑張れよ」
「おい……」
わざとらしく言う彼に抗議の声を上げたけど、全く耳を貸さない。確かにピアノは弾けるけどな。
「いいじゃねぇか。テューバとフルートじゃ、たぶんアンサンブルなんてないだろう。彼女に近づくいいチャンスだぞ」
「だからって!」
「おいおい、単純に彼女に近づくためだけに進めたんじゃないぜ。お前の腕なら彼女のレベルと釣り合うと純粋に思ったんだよ」
確かに、彼女のフルートの腕前は弱小吹奏楽部には似合わず、相当なものだ。昨年、他の先輩をおいて、ソロコンテストに出場したくらいだから。僕自身もそれなりにピアノをやってきたから、弾けないとは思わない。でも……
「あ、いた!顧問に今朝のこと話したら、もうこんなに出してくれたよ」
そう言って嬉しそうに大量の楽譜を彼女が持ち込むまであと五分。
お読み下さってありがとうございます。
今回は彼女自身があまり主人公と会話していない……ですね。しかも9月というのがあまり出ていないかも……。
主人公の僕は最終的には彼女と演奏します。ただ、始めから順調にはいかないかな……と。
感想、誤字脱字がありましたら、ご連絡いただければ嬉しいです。
それからこれだけで一つの連載をしようか考え中です。もし読みたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、おっしゃってくださると踏ん切りがつくのですが……。