平凡な姫と美形な王子様。
舞台はここ、バウムガルド王国。
王が国を治める、平和な国のとある少女のこと――……
廊下がなにやら騒がしい。
バウムガルド王国の国王は執務中にふと顔をあげた。
「…さま! ま…から、――!」
「待つも……だか…、!」
何か言い争っているような声が聞こえる。
その声はだんだんと大きく鮮明に王のもとに聞こえるようになった。
王の横に控えている騎士も眉をひそめて扉の外を窺っている。
「父様! 一体どういうことなんですか!」
「……ああ、ヴィオラか。挨拶もなしに入ってきてはいかんだろ。
お前がいくら私の娘だからといってもちゃんとするように。
親しい仲にも礼儀あり、という言葉もある。」
「…………失礼致しました。父様。」
そう言って扉を勢いよく開けて入ってきたこの国の姫、ヴィオラ――ヴァイオラ・ティル・バウムガルドは王に礼をした。
王国の姫としては当然とも言えるものではあるがその仕草は優雅で完璧なものであり、父を納得させるものでもあった。
薄茶色の髪の毛は肩より少し長いといったところだろうか。
一般の女性よりも少し短めの髪、菖蒲色の目をした娘。
菖蒲色の美しいその目は王の最愛の妻、王妃の目の色を受け継いだものであり、紫よりもちょっと色の濃いそれを見るのが王は好きだった。
王妃の面影を感じる美しい顔に抜群のスタイルであることから求婚の手紙がたくさん届く――のはヴィオラの姉であり、本人は客観的に評価するのならば「平凡。良くて中の上。」という容姿であった。
顔をあげたヴィオラは早速ここにやってきた目的を果たすために口を開く。
「私に縁談がきているということを聞いたのですが。」
「縁談だったらいつもどこかしらから来ているだろう?
今回に限ってどうかしたのか?」
「ええ、いつも来ていることは知っています。それに、断ってくださっていたことも。
――なのに、何で今回の縁談は受けたのですか!?」
「……知っていたのか。」
「シルヴィア――侍女から聞き出しました!」
そう言ってヴィオラは鼻息荒く父を睨んだ。
睨まれたほうは「問い詰めたのか。……まだ口が軽いな。」と言い、涼しい顔をしている。
「ヴィオラ、お前ももう17だ。身を固める時期なのはわかっているだろう?」
「それは承知しております。」
「いくら嫌がろうが、この国の姫であることには変わりない。
つまり、この国の利益になることために結婚をすることが必要だった。」
「はい。」
「我が国の王位継承権は男子にしかない。つまり、次期王となるのはお前の弟。」
「それも理解しております。」
「――だが、いくら戦略結婚と言っても私だって父親だからな、
娘には幸せになってもらいたい。」
「……はあ。」
はじめのうちは「王として」というかんじの厳格な雰囲気で話していた王に相づちを打つヴィオラであったが、だんだんと「父親として」「可愛い娘を持つ父として」というかんじに変わってきたのを見つつ、ヴィオラはそのまま王の言い分を聞き続ける。
「そこで、厳選に厳選に厳選を重ねたのだ、お前の伴侶の候補を。」
「……それで残ったのが……?」
「いや、それで厳選したら誰もいなくなってしまった。
だから来ていたものは全て断ったよ。」
「……は?」
王の話のペースにのまれてしまっているヴィオラは話を聞き続けることしかできない。
そんなヴィオラに気づかず、王は更に話を続ける。
「それが今から一ヶ月と半月前のこと。結婚相手がいないんじゃしょうがない、
もう暫くヴィオラの結婚話はなしかな、と思ったその時!」
「その時?」
「私の知人から来た手紙があったんだよ。」
「――その知人というのがオビディオ小父様のことですか?」
「その通り。オビディオからの手紙には息子の結婚の相手が居なくて困っている、
と書いてあった。
そこで閃いたんだ。――私の友であるオビディオの息子、評判は上々!
彼ならヴィオラを任せることができる!」
「(閃かなくて良かったのに……)」
ヴィオラは内心そう思ったが、ノリノリな父に何を言っても無駄だろうと思いそれは口にしなかった。
オビディオという人物はこの大陸で一番大きい国を治めており、父の古くからの友人で時々このバウムガルド王国にも訪問してくる。
彼は優しくて小さかったヴィオラにも親切にしてくれた。
オビディオのことをヴィオラは素敵な小父様であると思っている。だが、今回問題になっているヴィオラの婚約者となった(なってしまった)彼の息子――フォルクマールのこととなると話は全く違う。
フォルクマール。オビディオの次男で、年齢はヴィオラより2つ年上、19歳。
容姿はこの大陸でも有名なほど優れており(これはオビディオの子供達皆に言えることらしいが)、剣の腕も国の中で有数だと聞いている。
父に似たのだろうか、頭もいいという評判も。
容姿端麗、頭脳明晰、剣の腕も文句なし。温厚な青年。……というのがヴィオラが聞いたことのあるものだった。
「(けど、絶対そんなことない! みんな、だまされているんだわ!)」
フォルクマールはオビディオと共にバウムガルド王国に小さい頃からよく来た。
同世代の男の子というものは(弟を除くとして)いなかったヴィオラは緊張しながら彼に話しかけたのだ。
オビディオの息子だということから小さかったヴィオラはフォルクマールもオビディオみたいに優しい人だと思った。
が、それも一時のこと。
今はアレはお腹が真っ黒の詐欺師だとヴィオラは叫びたい。
しかし、それを言っても信じてくれる人はいないに違いない。
彼の家族は知っているとは思うが。
フォルクマールは外面だけいいのだ。
自分みたいな平凡女がそうやって言ったところで「どうせ振られた逆恨みだろ」とか「彼の気を引きたいだけだな」とか、悪いところでは「妄想癖が?」とか色々と糾弾される。確実に。
「……ということで婚約が決まった。」
「私の意志は……」
「さっきも言っただろう、これはあくまでも戦略結婚なんだよ。」
「――けど、」
「この話はすでに決まったことだ。……もう一ヶ月も前に。」
「そんなに前から……。」
自分が聞いたのは今日だったからせいぜい2,3日前のことかと思ったのに!
俯いたヴィオラはあることを思いついて顔をあげた。
「フォルクマール様の意志はどうなんですか?
そうですよ、彼は人気だと伺っております。
彼には私みたいな平々凡々な姫よりもっとすばらしい方がいらっしゃいます!」
「いや、フォルクマールくん本人から返事が返ってきたから問題はない。」
「本人からって……父様、だったら……」
本人から帰ってきた返事ならなおさら、自分との結婚なんて向こうだってごめんだっただろうから断りの返事だったんじゃないのか?
そう思ったヴィオラに王からの言葉は驚きを隠せないものだった。
「――そのお話、有り難くお受けします。ってな。」
「っえ!?」
フォルクマールが、あのフォルクマールが何で自分との婚約を受け入れたのか?
嫌がらせ? それともフォルクマールにくる求婚のお相手はそんなにひどい人ばかりだったのか?
そこで嫌な考えがヴィオラの脳裏をかすめた。
いや、そんなはずは。でも、それ以外にこの話をフォルクマールが受け入れるメリットを思いつかない。
「(……生け贄、だよね、完璧に。いやーなお姫様方に対する……)」
生け贄、人身御供、貴い犠牲。……フォルクマールなら私には「貴い」なんてつけないだろう。じゃなくて。
フォルクマールの本性を知っている人間は限りなく少ない。これは本人が言ってたから間違いない。
彼が王子として生活している国は大きい。
つけ込もうと自分の娘を送ってくる貴族やら、他の国のオヒメサマも少なくはない。彼自身の魅力も相まってすごいことになっている。
多分彼は面倒くさくなったに違いない、温厚な顔をして断ることが。
ヴィオラとの結婚話を聞いてこれ幸いとでもいうように返事をしたのだろう。
「フォルクマールくんも見る目があるってものだよ!
じゃあちゃんと準備しておくんだぞ?」
「ちょ、ちょっと父様! 話が途中です! ってイエル、ロタール!
まだ話は終わってな……」
話を切り上げる形でヴィオラを無理矢理退出をさせた国王はヴィオラが出て行った(正しく言うと近衛兵に引っ張られていった)扉を見、ため息をつくのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「久しぶりだね、ヴィオラ。
いや、折角婚約者になったんだからヴァイオラってちゃんと呼ぶべきかな?」
「……お久しぶりです。フォルクマール様。」
笑顔をうかべて声をかけてきたフォルクマールの言葉の半分くらいを無視するような形で返事を返した
ヴィオラの言葉に特に反応することなく、フォルクマールはヴィオラの手を取るとそこに軽く口づけ、ヴィオラを試すような目つきで見てきた。
見かけることのないレベルの整った顔立ちのフォルクマールにヴィオラの後ろに控えている女官達がざわめく。
更には羨望を含んだ目線を感じた気がした。
そんな様子を楽しんでいるように見えるのは自分だけなのか、とヴィオラは顔が引きつりそうになったがそこは姫としてこれくらいなんともないように見せかけるためになんとか表情を保つ。
「つれないね、久しぶりに会ったというのに。僕のヴァイオラ、愛しい人?」
「――――!(この野郎! そんなこと思ってないだろ!)」
特に目立った反応がヴィオラからなかったからだろうか、フォルクマールは握っていたヴィオラの手をそのまま自分の方に引き寄せた。
たたらを踏んだヴィオラにフォルクマールは顔を近づけるとさっきよりも低く、甘い声でヴィオラに話しかけてきた。
その瞬間に刺すような視線が倍増する。言葉で表すならば「婚約者に選ばれたからって調子のってんじゃねえぞ、オイ! 羨ましすぎるわ!!」くらいなものか、と頭の片隅で冷静な自分が言った。
この年になるまで色恋事に全くと言っていいほど無縁だったヴィオラは顔が赤らむのを隠せなかった。
フォルクマールはその様子を見て愛おしげに目を細める。……ように見えるんだろうと計算しているのではないかとヴィオラは疑った。
恥ずかしいので顔が赤くはなったが、決して、決して! フォルクマールに惚れているわけではないと明言したい!!
色々と理不尽に思ったがそれを口に出すことはせず、むしろその気持ちをフォルクマールを無理矢理引きはがすエネルギーとしてフォルクマールから距離をとった。
「長旅でお疲れだと思います。ここでは落ち着きませんよね。シルヴィア。」
この突き刺さるような視線から逃れることにしたヴィオラは侍女に命じて部屋にフォルクマールを案内させることにした。
自分は挨拶したのだからもういいだろう、っていうか勘弁してくれとヴィオラはシルヴィアがフォルクマールを送るのを見届けてすぐに自室に引っ込む気満々だったのだがさっき払った(といっても過言ではない)手にそれを阻まれる。
「一緒に来てはくれないかい? 話したいこともあるんだ。」
「……はい?」
返事は語尾に疑問符がついていたものであったのだがそんなことをまるで気にしていないフォルクマールはヴィオラの手をとり、侍女に案内される部屋へと歩いて行ったのだった。
「――僕が君を生け贄にしたと思ってるかい?」
「それ以外にこの話を彼方がわざわざ了承する理由がないと思っています。」
案内された部屋についたフォルクマールは人払いをさせるように命じると、部屋に二人きりになった状態でヴィオラに声をかけた。
即答とも言える早さで返事を返したヴィオラをフォルクマールは鋭い目つきで見てくる。
「へえ。僕がそんなことすると思ってるの? 君の僕に対する認識がわかっちゃうなあ。」
「……認識、と言われましても。」
「それ以外の理由、ないと思ってる?」
「はい。」
違いますか? とさっきの仕返しというように挑発するヴィオラにあっさりとフォルクマールが答えた。
「それがなかったって言ったら嘘になるけど。本当の理由は違うよ。」
「……え?」
本当の理由? それ以外に何があるって言うんだ?
選り取り見取りな結婚相手をやめて、平々凡々な自分にする理由が?
いつもとどこか違う態度なのには何かしらの理由はあると思うけど……?
ボソッとフォルクマールが何か言った言葉を聞き逃し、もう一度聞こうとする前にいつの間にか近づいていたフォルクマールに抱きしめられた。
「――――!!??? ちょ、え、どうしたんですか、」
「……だからだよ。」
「は」
「ヴァイオラ。僕の、僕だけのお姫様。好きだから、僕の結婚相手に選んだんだ。」
さっき出迎えた時と同じような、でも少し違う声で、表情で、フォルクマールはヴィオラに告げた。
先程言われていた言葉は完全に演技だと思っていたので流せたが、今度は違うと思った。
わざわざ2人だけでいるところでこんなことを告げる必要を感じない。
普段、自分のことを「ヴァイオラ」と呼ばない、人の名前を呼ばないフォルクマール。これもまた、演技?
戸惑って何も言わないヴィオラの顔をフォルクマールはじっと見つめる。
「ただの、幼なじみだと思っていたんだ。
ああ、ちょっと違うかな、『利用可能な』幼なじみかな。
僕のところに結婚の話が多くなってきて、誘惑でもするようにする人が出てきて。
だから僕が結婚してもいいと思えるような姫が現れるまで
婚約者になってもらおうかなって軽く考えてた。
でも、実際にヴァイオラのところに結婚の話が来るようになったって言うことを
聞いたとき、……自分でもやばかったな。
で、気づいた。『利用可能な』なんてもんじゃなかったんだ。
『大切な』幼なじみ、いや、僕の好きなひと。
自覚したら僕はヴァイオラ以外と結婚するなんてありえないと思ったし、
ヴァイオラが他の男と結婚するなんて耐えられないと思った。」
自分の言葉に頬を染めている姫を見て微笑む。
「ヴァイオラ、僕が守ってあげるから。脅かすものは全部排除する。君以外いらない。
だからその代わりに。」
ヴィオラの耳元に口を近づけると願うように囁いた。
「ヴァイオラの、全てを。僕に頂戴?」
そこまで言うと、フォルクマールはヴィオラの頬に手を添え、顔を近づける。
家族以外の男に抱きしめられたことも、ましてや口説かれたこともないヴィオラは話の展開に全くついていけてなく、ただ動きを止めている。
ヴィオラがものを考えられるように戻ったときにはフォルクマールの顔と自分の顔があと数センチなことに気づいた。
「っへ!? うわあ!」
パニックになったヴィオラは、体勢をどうにかしようと目の前にあったフォルクマールの体を思いっきり突き放した。
このタイミングで突き飛ばされることを予測していなかったフォルクマールはあっけなくヴィオラに突き飛ばされ、尻もちをつく形となった。
「お、お断りします! 私に結婚は早いですから!!」
言うやいなやヴィオラは部屋を出、走り去ってしまった。
突き飛ばされたフォルクマールはしばし固まったが、やがてクスクスと笑い、終いには大声で笑い始めた。
「――逃がさないよ? 僕のヴァイオラ。」
笑い終わったときに言ったその言葉と表情に何があったのかと部屋に入ってきた警備の兵達は悪寒を感じたらしい。