AIについて
昨今はAIの進歩が目覚ましく、将棋でもプロ棋士が太刀打ちできないレベルまで来ているようです。おかげで世の中がもっと便利になっていくのかも知れませんが、個人的には手放しで喜ぶ気にはなれないでいます。
人間は科学技術の発達によりどんどん社会を便利にしていきました。車ができてから走る必要がなくなり、耕運機ができて土を掘り返す必要がなくなり、モーターボートができて舟をこぐ必要もなくなりました。それはまあいいでしょう。しかしAIができて人間が学んだり考えたりする必要がなくなってしまうとしたら大きな問題だと感じます。人間は考える葦なんて言葉もありますが、逆に言えば考えなければただの葦でしかないわけです。それも堕落した葦です。掘削機に乗っかって土を掘るのをやめたモグラは、もはやモグラといえるでしょうか。泳ぐのが面倒なのでモーターボートの上の水槽に寝転がる魚はもはや魚でしょうか。
笑い話のようですが、現代社会は実際にそうなりつつあります。大学でまじめにレポートを書くよりAIに書かせたほうがいい評価を得られてしまうようですし、そのうち仕事でもAIをうまく使える人間が評価されるようになっていくでしょう。このまま自分で考えるよりAIに考えさせた方が優位性が発生する世の中になっていき「自分で考えるなんてアホらしい」という風潮が広がっていけば、ゆくゆくは脳みそを直接ネットにつなげて、疑問が発生したら即座にAIが回答してくれるようになるかもしれません。そうなると人間は完全に考える必要がなくなってしまいます。人間は快楽を効率的に得るためのマシーンであると考えるならそれでいいかもしれませんが、本当にそれでいいんでしょうか。
もともと人間が考えるようになったのは考える事が生存に優位に働いたからこそでしょう。例えば取っていたはずの肉が無くなっていたとして、知能が低い動物はそもそも覚えていないか大して気にしないかですが、人間は「誰かが盗んだかもしれない」と予測を立てて「どうすれば肉が無くならないか」頭を捻り、同居人に苦情を立てたり監視を強化したりして対策する事ができます。この因果を予測する能力により人間は極端な真社会性動物でもないのに社会の中で資産を保有する事が可能になりましたし、道具を作って改良していくことすらもできるようになりました。また相手の立場で考える共感能力も共同体の発展に大きく寄与した事でしょう。
こうやってひも解いていくと、厳密にはAIは考えていないのではないか、という気もしてきます。「肉がなぜなくなったか」という人間の因果予測は生活と結びついた有機的な思考ですが、AIはデータ同士を関連付けて無機質なつながりを見出す事しかできません。だから無理やり点と点をつなげた陰謀論と穏当な予測が全く見分けがつかず、間違った回答を出力してしまう事がたびたび起こります。個人的な話になりますが、ストレッチをしている時に筋肉の繊維の付き方を意識していたら趣味でやっていたデッサンとの関連に気づいて、知識の繋がりに「これが学ぶという事か」と感動したという事があったのですが、こういった飛躍した繋がりを見だす事はAIには難しいかもしれません。
もう一つ重要だと思うのはAIには欲望がないという事です。人間には欲望があるので「こうあるべき」「こうあるべきではない」といったテーゼの立て方から物語や哲学をひねり出すことができますが、AIには欲望がないので無から何かを作り出すことができません。裏を返せば、物語や哲学というのは単なる歴史的価値や普遍的真理として見るよりも、当時の生活との有機的な繋がりや人間の欲望の現れ方にこそ価値があるという事なのかもしれません。物語や哲学なんて、それ自体は何の意味もありません。物語りたい語り手の欲望と、聞きたい聞き手の欲望が重なる事で物語は成立するのです。
キリスト教を知識マウントを取るために学ぼうとか、一番人気の宗教で真理っぽいから知っとこうとかでは劣化AIじみた知識しか得られないでしょう。真理なんてのはありませんし、あったとしても人間が理解できる訳がありません。一番重要なのは真理そのものではなく真理へと向かう人間の欲望です。特に公的な指向性を持った意志としての欲望です。単純な文字情報として知識を得るだけならAIでもできますが、AIは人間の息遣いや欲望を感じる事はできません。「キリストは何故生きようとしたのか」「キリストは何故死んだのか」「なぜこのような宗教を人々は欲望したのか」「自分の欲望とキリスト教の欲望が繋がる部分、反発する部分はどこか」といった視点を持つことで、より深く人間全般や自己への洞察を深めることができるはずです。
また「考える」というテーマからはズレますが、AIが肉体労働を苦手としているのも面白い所です。一昔前はAIの登場で単純労働が駆逐されるなんて話もありましたが、実際はそうなっていません。何故なら単純労働における燃費や汎用性や資金対効果の面で機械は人間に勝てないからです。幸か不幸か、人間が生活の煩雑さや労働から解放される日はまだまだ来そうにありません。
さていろいろとAIを貶してきましたが、AIの隆盛は悪い事ばかりではないとも思っています。AIによって土台を脅かされる事で、逆説的に人間の本分が見えてくるようになりましたし、そのための哲学も必要な社会になりつつあるからです。私も多少は哲学を勉強したり自分で考えたりしてきましたが、所詮趣味でしかなく、いまいち手ごたえがありませんでした。必要ないのに趣味の為にやる哲学なんてのはどうしても空虚なものにしかなりませんでしたが、最近になってAIに対抗する為の哲学を欲望している自分に気づかされました。
結局必要と欲望こそが、真剣な思考の為に必要になってくるという事です。大昔の哲学者も文学者も、本気で欲望したからこそ後世にまで残る仕事を成す事ができたのです。Twitterなんかで、自分と考えの違う人の矛盾を突いて冷笑したり、大衆を馬鹿にしたり、あるいはAIに論破させて自分は全く誤謬がない神になったつもりになっている人をよく見ますが、そういう人にも欲望はあるし矛盾はあるはずです。論破だのなんだのはそれこそAIに任せておけばいいのです。自分の欲望を見つめ、矛盾を見つめる事で新たな自己を発見していく事こそが真に学び考えるという事で、それこそが人間の本分だと私は思います。……つまり、私はそういう風に欲望したいという事なのでしょう。




