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取り返す

作者: イチジク

雨が、街の奥の古いガラスを叩く音だけが答えだった。傘もささない男たちが明かりのない倉庫の影に溶け込んでいる。俺はその端に立ち、胸の中で数えた。息の回数じゃない。待った時間の数だ。

三年前、俺の妹は笑っていた。缶コーヒーを片手に、どうでもいい話をして、夜バスに乗った。翌朝、財布だけが戻った。中に入っていたのは、妹が大事にしていた小さな銀のペンダント――裏側に彫られた「光」という字。取り返すことはできなかった。警察は書類を重ねただけで、生活は重ねられなかった。だから、最後に残ったのは俺の中の静かな決断だった。取り返す。それが叶うなら、悪魔に何を差し出しても構わない。

倉庫の扉を押した。錆びた金属の匂い。男たちの視線が一瞬こちらに向く。驚きはなかった。驚く余裕も与えなかった。拳銃の代わりに、俺の掌には小さなものがあった──妹のペンダントを包んでいた薄い紙切れ。何度も匂いを嗅いでいたから、文字通り臭いが分かる。彼らはそれを奪ったんだ。

リーダーが立ち上がった。顔は古い傷で縦に裂けている。話し方はいつも通りで、丁寧に人を殺す人が使う調子だ。「君は誰だ。金でも持ってるのか?」と。俺は笑った。笑いはヒビが入った鏡のように自分の顔を映した。「取り返しに来た」とだけ言った。

拳を振るう。足が滑った。血が出た、と一瞬思ったが、それは違った。音もなく、静かな暴力が交わされる。男たちは計算外に弱く、俺は計算外に冷静だった。闘う理由がある人間は、理由のない人間よりも手際がいい。だが最後に残ったのはリーダー一人と、彼の椅子に掛かった大きなコートの下で揺れる銀の鎖だった。光だ。

俺はペンダントを握る手を震わせた。取り返した。心の中で何かが還った。だが同時に何かが抜け落ちた。復讐の味は予想よりも淡かった。血の匂いを期待していたのに、代わりに出てきたのは妹の笑いの残響だ。取り返すとは、ただ物を戻すことではなかった。奪われた時間、奪われた言葉、奪われた「もう一度」が付いてくると思っていた。だが現実は、戻ってきたのは金属と皮ひもだけだった。

「どうする、これで終わりか?」リーダーはゆっくり言った。首の後ろに汗が浮いていた。俺は床に散らばる男たちの息遣いと、自分の鼓動を数えた。最後に出た言葉は意外に冷たかった。「殺すのはお前じゃない。お前らが信じていた安心だ」。その言葉がリーダーに刺さるかは分からない。しかし彼はその瞬間に何かを失った。恐怖か、あるいは自分が壊れやすいことの自覚か。

警察が来る前に、俺は倉庫を出た。背中に冷たい雨が流れ、ペンダントは胸の内で温かった。取り返したという事実は確かにあった。だが取り返せないものの重さは、手に持った金属よりもずっと重かった。俺はそれを抱えて歩いた。光は暗闇を一瞬だけ引き裂く。妹の名前を口に出してみたが、声は微かにしか返ってこなかった。

日々は戻らない。だが時折、ペンダントの裏側を撫でると、妹の息遣いが耳に届く気がする。取り返すという行為は、対象を取り戻すだけではない。自分を取り戻すための儀式でもある。だから俺は知っている。これで終わりではないことを。誰かを殺すことで何かを取り戻しても、残るのは新しい欠片だと。

それでも、あの日の雨の音を聞くたび、俺は確信する。取り返すことは可能だ、と。取り返すことが、死んだものを生き返らせるわけではない。でも、それは生きている俺に、まだ守るべきものがあることを教えてくれる。守り方は変わるだろう。殴り合いでなく、立ち上がることで。声を上げることで。時には、静かに誰かの安心を「殺す」ことも必要だ。その安心が、不正の温床だったなら。

倉庫の扉を閉めると、街はまた雨に洗われていた。ペンダントは小さく光った。取り返した。軽くはないが、確かに手の中にある。俺は深く息を吸い、妹の笑いを胸にしまった。いつかこの先で笑い合える日は来るだろうか。来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもいい。もう、俺のものなのだから。

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