01 旦那様の浮気発覚!
「お前は私を愛しているか?」
「もちろん! お慕いしております。レオンハルト様」
「嬉しいよ。もっと、もっと、私を愛してくれ」
「えぇ! えぇ! 愛しておりますとも。だから、もう…」
まだ5月だというのに今日はことのほか暖かく、むしろ汗ばむほど。
新緑の色鮮やかな庭園には、むせ返るような緑のにおい。
そこに寄り添う男女、二つの影。
そして、それをただ見つめるだけの私。
嘘 嘘 嘘……
どうして? どうして?
令嬢を抱きしめるのは、私の旦那様、レオンハルト様。
本当に私を裏切っていたの?
はっ はっ はっ
息が……息ができない!
私の血肉を支えていた骨が、溶けたかのように身体が崩れ落ちる。
だが、目だけは寄り添う二人から引き剥がす事ができない
あぁ、女神様……敬愛する女神ソフィア様。
これは私が、貴女様の『聖女』としての責務から逃れたことへの罰ですか?
私の胸元に揺れるのは、女神ソフィア様に頂いたペンダント。
小ぶりな赤い石がきらめくそれを、私は幼少の頃から片時も外したことがない。
その赤い石をすがるかのように、きつく、きつく、握りしめる。
聖女とはいえ、アリンコほどの力しかなかった私。
その私を妻として強く求めて下さったのは、レオンハルト様。
その気持ちに動かされ聖女から還俗し、只人となり、盛大な結婚式まで挙げて……
貴族とは名ばかりの貧乏男爵家に生まれた私に、我が国の筆頭侯爵家当主から求婚は、
夢のようで……
夢のようで……
「あぁ、やっぱり夢だったのよね。そして、こういうオチ?」
お父様がいつも言ってた。
うまい話には絶対裏がある。
だまされるなと。
だからこの結婚には、何かあるんじゃないかとずーっと疑ってた、我がベルツ男爵家親族全員。
領民にすら
「お嬢、気をつけなされ。若い女の血肉を狙う魔族かもしれませんぞ」なんて侯爵様への不敬発言で見送られたし。
そう、かつて太古の昔この国には、魔族、魔女、エルフ、獣人なんかがいたらしい。
長命な種族だったらしいが、少数民族のため徐々に数を減らしつつあった上に、残った者も圧倒的多数の人間に飲み込まれ、子孫たちの血はどんどん薄まっていき、今やその特徴、能力を持つものはこの世にはいない。
絵本や小説にしか登場しない、おとぎ話レベルの存在だ。
つまり『若い女の血肉を狙う魔族』なんて、眠ないとぐずる小さな子供に言う『早く寝ないとおばけが出るぞ』と同義で、ただの脅しに使われる程度の存在。
そんなものを引き合いに出されるほどの身分違いの求婚であり、筆頭侯爵家当主と貧乏男爵家三女の結婚など、誰だって何か裏があるのではと勘繰る話だったわけだ。
そして、求婚されたこの私、アリーシア・ベルツが
目の覚めるような可憐な美少女ではなく
――私的には、まぁ『そこそこ』な顔立ちだと思ってる。
素晴らしいスタイルの持ち主でもなく
――小柄でガリ。18才の今でも13、4才に見られる。
膨大な神聖力を持つ聖女だったわけでもなく
――約200人いる聖女の中でも、アリンコレベルの力しかない下級聖女。
対する求婚者たる、リヒター侯爵家当主レオンハルト様が
――長身でやや痩躯だが、それを凌駕する存在感と白皙の麗しいかんばせ。
――やや長めに整えられた艶やかな漆黒の髪に、レッドパープル・アメジストの瞳。
――28才の若輩ながら、貴族議会の顧問として執政にも大きな影響力を持ち、王家からの信頼も厚く、貴族女性憧れの独身貴公子。
そんな方と、この私が結婚――――!?
私や親族全員、ありえない話だと尻込みしまくる中、レオンハルト様はお忙しいだろうに、当時聖女だった私に会うために時間を作り、常に気遣い、赤面必至の愛の言葉を下さった。
また、父母のいる我がベルツ男爵家の領地にも何度もお越し頂き、私どもの不安を払拭する努力もして下さった。
さらにこの結婚、王家からの後押しもあり、貧乏男爵家が断れるはずもなく……
だから
だから
信じたのに……! 信じたのにぃ――!!
『信じるものは救われる』
それは、女神ソフィア様に対してだけで、やっぱり人間に対してはこうなんですね。
『信じるものは……正直者はバカをみる』
私アリーシア・ベルツ改め、アリーシア・ヴォン・リヒター侯爵夫人18才。
貧しくても、優しい家族に愛されて育ちました。
この年になれば、良い人がいれば悪い人もいるのだって知っています。
でも一度信じた人の裏切りは、途方もない絶望です。
レオンハルト様、私の旦那様。
貴方の罪は浮気、いや不倫の不貞行為ではなく……
私の『人を信じる』 その心を殺してしまったことです。
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私、アリーシア・ベルツは、王都から遠く離れた、小さな領土持ちの男爵家に生まれた。
3世代がこじんまりとした屋敷に住み、使用人は通いの領民二人だけ。
元々女神ソフィア様を最高神と掲げる、神殿の要職を代々務める家柄であり、その頃は伯爵位を賜り、王都に屋敷もあった。
ご先祖には神官長を務めた人物もおり、神殿内では一目をおかれる家柄でもあったのだ。
だがある時代、神官同士の派閥争いに巻き込まれ失脚。
要職を解かれ、男爵位に降格された上、辺境の小さな土地に追いやられた。
しかし、敬虔なソフィア様の信者であったご先祖様は、これも女神様の思し召しと、腐ることなく領民と力を合わせ細々と暮らし始めた。
そんな質素かつ穏やかな日々に、異変が起こったのは今から2代前、つまり私のひいおじい様の時代。
未曾有の水害に見舞われ、作物は全滅し多くの餓死者を出し、領主たる男爵家族すら食べるのに、こと欠く事態に陥った。
そこでひいおじい様は持てる資産全て、宝飾品、調度品、家具、馬車、馬、売れるもの全て売り払い領民を救った。
だがその結果一文無しとなり、貴族としての体面を保つことも、できなくなったのだ。
加えて元々貧しい土地柄、領民の復興もカメの歩み、その後の納税も引き下げるしかなく……私がもの心ついた頃には、領主でありながら自分たちが食べる食物は、庭にある畑で自ら育て、鶏、ヤギを飼い、男爵とは名ばかり、田舎の農家と変わらない生活をしていた。
領民は私財を投げ売ったひいおじい様、その後も税を引き下げたままの男爵家に、とても感謝と敬意を払ってくれ、何かと手助けをしてくれる。
畑の管理はもちろん、屋敷の掃除や料理をしてくれる通いの使用人は、領民の持ち回りで無償でやってくれている。
生まれた時からこんな生活だったので、貴族家として貧しすぎるなんて、王都に行くまで思ったこともなかった。
3世代でぎゅうぎゅうな屋敷の中、家族はものすごく仲が良くて、領民の大人には何かと世話を焼かれ、村の子供たちはみな友達。
今ある幸せに感謝し、身の丈に合った生活を良しとする、田舎すぎて他に比べるような生活を知らなかった私は……
本当に幸せな子供時代を送ったと思う。
そう、この幸せは女神ソフィア様のおかげ。
ソフィア様を最高神とする女神信仰は、我がデリウス国の国教であり、国民のほとんどがその信仰者だ。
王都にある女神神殿を中心に、地方に4つの神殿が存在しており、国民の心の拠り所となっている。
そして、我がベルツ男爵家もご先祖様が、神殿の要職を務めた家柄とあって、敬虔な信者であり、その領民たちもまたしかり。
そんな中で育った私だが、その信仰心以上に、ソフィア様に並々ならぬ思い入れがある。
と言うのは、私は~おそらく3才頃だったと思う~女神様に、お会いしたことがあるからだ。
そこは自宅屋敷の庭の片隅で、私は花を摘んでいた。
目の前に現れたのは、それは、それは、美しい白い髪の女性。
肌は抜けるほど白く、陽光を受けてキラキラと輝く瞳はピンク色。
白いシンプルなドレスに身を包み、うっすらと朱に色づく唇は優雅な孤を描き、その麗しさは屋敷の祭壇に飾られている女神像の姿そのもの。
こんな奇麗な女性を見たのは生まれて初めてで、目を見開き口を開けたまま固まってしまった私に、女神様は優しく声をかけて下さった。
「アリーシア」
さすが、女神様。
私の名前をご存じなのだと、感動したのを覚えている。
それからも何度か庭でお会いしていたある日、小さな赤い石の付いたペンダントを下さった。
「このペンダントをずーっとつけておきなさい。決して外してはいけない。人にあげてもいけない。大人になるまで、ずっと肌身離さずつけておきなさい」
そう言いながら、自らの手で私の首にかけて下さった。
「良く似合うよ」
ゆっくりと私の頬を撫でる、少し冷たい女神様の手のひらの感触が、忘れられない。
その後も、たびたび女神様はご降臨下さったが、ある日突然別れを告げられた。
「私はしばらくそなたの側を離れる。だが待っておいで。必ず迎えに行くからね。それまで元気に過ごして……早く大きくおなり」
そのお言葉を最後に、女神様にお会いすることはなくなった。
それからはお言葉どおり、そのペンダントを肌身離さず、ずっとつけている。
一度、母にこれはどうしたのかと尋ねられたが「拾った」と言えば、何も言われなかった。
そんな田舎娘の人生が14才のある日、180度変わることになる。
なんと私に神聖力が発現し、女神ソフィア様の聖女に、推挙されたのだ!
聖女とは、癒しの神聖力を持つ者のことをいい、王都の神殿におわす女神ソフィア様の像に、祈りを捧げることによって自然災害を治め、国に安寧をもたらす存在だ。
ソフィア様が女性神だからだろうか、神聖力を持つ聖女は、その名の通り全て女性である。
かつては、強力な神聖力を持つ聖女もいたらしいが、時を経た現在の個人の神聖力はその面影はなく、微々たるもの。
その分聖女は約200人ほどいて、まぁ群軽折軸? 塵も積もれば山となる? その数の力で集めた神聖力を神殿の女神像に蓄え、それを地方神殿に送り、国中の災害を抑え込んでいるのである。
聖女になれば……神殿に行けば……
また、あの女神様にお会いできるかもしれない!
迎えにきて下さるとおっしゃって下さったけれど、私の方からお側に行ける!
と、歓喜したのだが選定の結果、残念ながら私は微弱な神聖力しかないらしく……
200人いる聖女の中でも一番下のレベル、下級聖女としての招へいだったのだ。