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第20話 拠点潰し


 時刻は夜10時をまわった。予定時間を大幅に過ぎている。

 運転席で待機している葛西(かさい)は、時計から目を離し、病院の建物を見た。


 山の中腹、周囲に人気のない森の中の静かな土地に、この八淵病院はある。

 (ふもと)の市街と海まで一望できる景観、美しく整えられた庭を持つこの病院に、異変があったのは去年の9月頃のことだ。

 今日はその件の調査に幹也と葛西は訪れている。

 

 幹也は3時間ほど前に病院の職員に連れられて話を聞きに行った。

 それから院内を視察(しさつ)して2時間ほどで戻る予定と聞かされていたのだが、まだ連絡もない。もう来院者向け駐車場には葛西たちの車しか残っていない。

 周囲の異変を聞き逃さないため、車の音楽を切っているが、聞こえてくるのは激しくなっていく雨音だけだった。


「あれは……」


 その時、正面玄関からではなく、暗がりの通用口から出てくる人影があった。

 スーツ姿で傘をさしている若い男性、幹也だ。

 葛西は急いで運転席から出て待つ。


「お疲れ様です」

「悪い、待たせたな」


 助手席のドアを開けて幹也を乗せ、葛西も運転席に戻る。

 すると幹也が何かを差し出してきた。


「無糖で良かったよな」

「ありがとうございます。今頂いても?」

「もちろん。休憩してから出ようぜ」


 院内で買ってきた冷たい缶コーヒーの差し入れだ。

 (のど)(かわ)いていたので助かった。

 幹也も自分のコーヒーを飲むのかと思いきや、彼はハンカチを取り出し(まぶた)に被せると、上から缶を当て目を冷やし始めた。


「あーー……、何でだろうなぁ……」

「大丈夫ですか?」


「大丈夫なわけあるか。予想は的中、それも最悪のやつがな。

 病棟は龍の胃袋の中だ。廊下にも病室にも痕跡(こんせき)だらけ。

 俺の不出来な目でも、赤い洪水の()みは本当に見えるんだな。

 例の院内感染の四十四人、いや実際はそれ以上が去年から喰われている。

 本来ならもう少し、人生最後を心穏やかに過ごせたはずの時間をな」


 葛西は息を()んだ。

 去年9月、44人が亡くなった八淵病院の一件は、流行り病の集団感染が『原因』だと思われている。

 しかしそれは実際には『結果』だった。

 残りの命を喰われたという原因に、最もすみやかで自然な方法で訪れた結果なのだ。


そうとも知らず、感染対策を再度徹底し、病院はそのまま運営されている。

 全国的に同様の感染症の話があったことや、ここが末期患者のターミナルケアを主軸(しゅじく)とした施設である性質から、悲しまれつつも大事にはならなかったからだ。

 入院を希望する患者や家族にとって、無くてはならない施設であり、今も病床(びょうしょう)はかなり埋まっていると聞いた。


「もう死ぬ命だからって、後腐れなく大盛り食べ放題ってか?クソが」


 幹也は感情を吐き捨てた。

 目元は(うかが)えないが、その震える口元から怒りと(くや)しさが読み取れる。


「今年もまた起こるのでしょうか……」

「させるかよ」


 強い意志と覚悟の言葉だった。

 そのために彼は今、懸命に道を探っているのだ。

 幹也の指が持っていた(かばん)を指差す。ここに着く前より中身が小さくなっている。


「で、例の魔除けはここに設置してきたというわけだ。それで遅れた」

「本当に効果はあるでしょうか?」

「アレでも効かなかったら、今頃とっくに都築の屋敷は突破されてるぞ。

 今現在は龍はいなかったからな、貯めといた餌をのこのこ食べにきて、鍵が閉まっていることに気がつくのさ。

 それで急いで次の拠点を作る時に、何らかの尻尾を見せるだろうよ。

 ま、次は無しでこっちが用意したシステムに任せてくれたら事は終わりなんだがな」

「それは……」


 システム、その簡素な言葉の意味することを思い、葛西は表情を曇らせた。


「4月の異例の大雨、あの時はシステムが正常に動いたことは確認できている。

 ということは、去年の梅雨の時期に停止していたのは、事前に必要分をここで喰ってたからだろう。ざっくり辻褄(つじつま)はだけは合う。

 それが可能になった理屈も方法も動機も分からないがな」


「動機はもしかしたら」

「分からない」


 幹也と視線が合う。彼は缶を目元から外し、ハンカチをとっていた。

 葛西の言葉を(さえぎ)り、言い聞かせるように強く言った。


憶測(おくそく)で犯人像を作るのは止めろ。

 お前が想像しているようなお優しい理由なんて根拠は何処にもない。

 少なくとも、あの病棟を見た俺は希望的観測はしない。絶対に」


 葛西は黙った。幹也が見てきた、一族の血が濃い男子にしか見えないその陰惨(いんさん)な光景のことは想像するしかなかった。

 葛西も霊感はある故にこの場に同席を許されているが、その能力と立場は比較にならないのだ。



 プシュと缶を開けるいい音が響く。

 幹也はそのまま一気に加糖の缶コーヒーを飲み干し、一息ついた。


「こいつをここに使うのは仕方ないとして、学校に置く分はどうすっかなぁ…」

「正城さんと梢さんが心配ですか」

「梢はいざとなったら東京の母さんのところに行ってもらうが、正城がな。

 こんな事態に巻き込みたくねぇよ。いくら男系男子だからといっても、去年までランドセルのガキだぞ。

 代表も何をお考えなのやら」


 男系男子。家系において、男の方のみを通してみる血縁の系統で生まれた男子の事である。

 都築化学の初代社長から会社を継いだのは長女であり、その二代目を祖母とする幹也は本家の血筋だが男系ではない。

 一方、弟からの血筋が正城の家である。初代、祖父、父、正城と続く男系の血筋は、もうこの家しか残っていない。

 企業としての都築の相続に男女は無関係だが、あの家の持つ、もう一つの能力はそうではない。


広城(ひろき)さんとの関係が改善すればいいのですが…」

「それだよ。順番で言えば父親が先のはずだ。

 代表はすっ飛ばして正城に期待しているようだがな。まだ継承もしていないし、正城は何も知らねぇってのに」

「幹也さんから話せ、ということでしょうか」


「あーー、だろうな。本当、勘弁してほしい。

 広城さんを戻せるか、今日の件の報告と一緒に代表に相談してみるさ。

 期待はできないがな」


 幹也は眉を(ひそ)め、大きなため息をつくと、窓の外を見た。

 眼下には雨に(かす)んだ麓の市街の夜景がぼんやりと広がっている。

 海岸まで広がる光は美しいと呼べる光景のはずだが、幹也は沈んだ目でそれを見つめて、小さな声で呟いた。


「でも無関係のままには、させてやれない。

 あいつは俺より呪いがよく見えるんだから」





 

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