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第1話 出会い

 


 夜がこんなに暗いとはじめて知った。

 空に月もない黒が、僕と森の境目すら塗りつぶしている。


 木の隙間を歩きながら、後悔ばかりが頭の中でぐるぐると回っている。

 僕を置いて車が走り去ったあの場所から動かなければよかった。

 でも雨が降ってきたから仕方がなかったのだ。雨宿り場所を探して、そしたら動物と(はち)合わせして、急いで逃げたらもう帰り道は分からなくなった。

 お父さんに言い返したりするんじゃなかった。子どものくせに生意気だ、って怒られるだけなのだから。あの人の機嫌を察するのは難しいけど……

 本当に、ついてない日曜日だ。


 闇の中を進んでいくと、木々が途切れた。開けた場所に出たようだ。

 目を()らす。雨は止んでいて、枝もさえぎらないから、ほんの少しは先が見える……気がする。


 ざぁと、向こうから風が吹いた。

 まずその匂いが違う事に気がつき、もしかしてと目を凝らすと、一面の黒だった地面が風に合わせて揺れている。

 水だ。わずかな光を反射した静かな水面だ。その(ふち)を探る。かなり広い。体育館くらいはあるかもしれない……。


 視線を近くに戻して僕はようやくソレの存在に気がついた。木々や岩の影の見間違いじゃない。明らかに人の手による建物。


 深い森が避けているのは神様がいるからだろうか

 そこには確かに神社があった。


 それを見たときの安堵感(あんどかん)といったらなかった。

 ここは人の住む場所という証に、ぬかるんですべる足元に気をつけながら近づく。僕の家の近所にある神社よりもかなり小さく、造りも簡素だ。でも屋根の形からしてただの小屋って事はないだろう。あまり詳しくないけど……。


 落ち着けそうな場所を見つけたら、疲れが押し寄せてきた。あれから何時間歩いたのだろう。もう一歩も動きたくないと体が訴えている。

 中の広さはきっと寝転ぶのにも十分な気がするが、それは良くない事なのだろう。外よりも濃い闇の中に何が置いてあるのかなんて、じろじろ見てもいいものがあるわけないんだ。知らなくていいものだ。


 ここに拒まれたら僕には行くところがない。

 神様に嫌われないように、朝まで許してもらえるように

 僕は手を合わせて祈った。

「助けてください」と、強く、強く祈った。




 …………寒い。


 雨で濡れた体に吹き付ける風の冷たさで目が覚めた。神社の前で腰掛けて、疲れで眠って、あれからどれくらいたったのだろう。

 空は黒い。水も黒い。地面も空気も冷たく、太陽の気配は欠片もない。


 …………ここで終わりだったらどうしよう。


 弱音がひとつ頭をよぎったら、もうだめだった。やみくもに森を走ってきたのは不安から逃れるためだったのに。動けない僕に今襲いかかる。心を砕いていく。


 本当は分かっている。この神社はもう崩れていた。人の住むところではない。

 かつて人がいたが、今は誰も寄り付かない、忘れられた土地だ。ここに助けは来ない。


 もう何もかもが嫌だ。待つのも進むのも嫌だ。暗闇が嫌だ。そこには今より酷い何かがあると想像してしまうから。

 それが恐怖の本質だった。想像の行き着く先は一つしかない。それが僕の隣にある。後ろにある。取り囲まれている。


 その時、がさりと森から音がした。


 駆け出す。まず足が動く。

 追いつかれないように前に走る。


 そして気が付いた時には手遅れだった。

 闇は僕の目の前にだって最初から待ち構えているのに。


 暗く冷たい黒が、逃れられない終わりの場所だ。

 僕は水の中に落ちる。

 死の(ふち)に沈んでいく。


 小さな手足は泥をかくように重く、すぐ動かなくなった。きっと息が苦しいのも、すぐに終わるのだろう。

 それは──



「……!!大丈……か……!返事を……!!」


 ──まだ、みたいだ。

 僕の頬を冷たい水に代わって包む、温かい何かに呼ばれている。


 いつのまにか、空には月が白く輝いていた。

 もっと見たい。やっと見たいものができたから、

 僕は全ての力を使い切っても、このまぶたを開け続ける。


 ──あぁ、なんて美しい。

 つややかな黒髪がそっとかかる瞳を見た。

 

 ここにはたしかに神様がいる。

 願った僕を救いあげ、抱きしめながら、月明かりを雫にしたような、涙を浮かべて微笑んでいる。



 

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