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死は私達を分かたない。

作者: 広海智

 台所にいる母の姿を見た瞬間、「えっ」と声を上げそうになり、直後、ああ、これは夢だと思った。母は笑って娘の私や、父や弟を振り向きながら、洗い物をしたり火にかけた鍋を見たりと、台所仕事を続けている。快活な様子の母。もう久しく見ていない、二度と見られないはずの姿。――夢以外では。

 母が急な病で亡くなって半年になる。けれど寂しさは癒えず、募るばかりだ。朝起きて、母がいない現実に溜め息をつき、夜帰って、母がいない居間に肩を落とす。その繰り返しの毎日。その母が、目の前で元気に動いている。笑顔を見せてくれている。夢でも嬉しかった。できるだけこの夢を見ていたかった。だから、居間で先に朝食を摂っている父にも弟にも「おはよう」以外は言わず、できるだけ自然に母に笑顔を向け、自分も席についた。要らないことを言えば、すぐに目が覚めてしまいそうな気がしたのだ。

 私が朝食を終えても、まだ母は台所にいた。空になった食器を持ち、流しへ持っていくと、「洗っておくから置いておいて」などと言ってくれる。いつまで続いてくれる夢だろう。覚めたくない。私は決意して、廊下で職場に電話した。これは夢なのだ。体調不良を理由に一日の休暇を貰うと、私は台所へ戻り、母の隣に立った。今日は代休だと告げ、朝食の片付けを手伝う。そして気づいた。母は忙しく手を動かしているが、実際は何も進んでいない。洗い物をしているように見えても、食器は汚れたままだ。母はそれを、次々と洗い物が増えているせいと考えているらしかった。何かを茹でていると見えた鍋も、実際はコンロに乗っているだけだ。それでも母は茹でているつもりらしい。数々の違和感を覚えながらも、私は敢えて指摘せず、ニュースや天気など他愛ないことを話題にして母との時間を味わった。朝食の片付けが終わった後は、母の動きに合わせて、洗濯物干し、庭の草毟り、昼食の仕度と片付け、掃除、夕食の仕度をした。食卓に着いても食べ物は減らない母の分まで、昼食を平らげなどもしながら、懐かしい母の仕草を、笑顔を、声を、懸命に心に刻んだ。母は、なぜ今日に限って私が家事を一緒にしたがるのか訝っていたが、同時に嬉しげだった。母との一日を満喫して、帰宅した父や弟とともに夕食を摂る。それにしても長い夢だ。母はずっと目の前にいて笑顔で話をしてくれる。その母へ笑顔を返す父と弟は、気づけばどこかぎこちない様子だ。朝の私のように。

(もしかして、これは夢じゃなくて……?)

 疑念が浮かんだ時、つけっぱなしのテレビから、とあるニュースが飛び込んできた。

〈本日発売となった家電『大気イオンで溌剌空間』が使用された周辺で、不思議な現象が起きています。家電メーカー『稲妻』が本日発売した『大気イオンで溌剌空間』は、濃密な大気イオンを発生させて人体を活性化させるというものですが、その周辺で、亡くなった方の目撃情報が相次いでいると……〉

 私は一瞬、父や弟と目を合わせ、すぐにスマートフォンで関連のニュースを調べた。ネットには情報が溢れていた。それらに拠れば、『大気イオンで溌剌空間』は圧電効果を利用した製品で、濃密な大気イオンを発生させ続けることで、生体電気を活性化させて人間を元気にするという、かなり眉唾ものの家電だったが、その大気イオンが何らかの影響を及ぼしたものか、使用した周辺で故人が目撃される例が相次いでいるとのことだった。

(でも、うちは別に、この製品を使ってる訳じゃ……)

 私の心の声に答えるように、父が言った。

「そう言えば、隣の鈴木さんが、これを買うって昨日言ってたぞ……」

 わが家は長屋住宅であり、隣家は壁一枚隔てた向こうだ。

「じゃあ、これは……」

 私は、膨れ上がる期待に負けて、とうとう口にした。

「夢じゃ、ない……?」

「何が夢なの?」

 母が、話が見えないというふうに問うてきた。


 信じ難い現象が報告されてから急に品薄となった『大気イオンで溌剌空間』を、求め求めて何とか購入し、わが家に設置したのは二ヶ月後。その間も、隣家の鈴木さんのお陰で、母は家に居続けてくれた。実は周囲のものが見えている訳ではなく、ただ気配として感じているものを見えていると感じているらしい。だから、家事が進んでいなくても気づいていなかったのだ。それでも会話はできるし、こちらから母の姿ははっきり見える。自分が亡くなっていることは理解した上で、ずっと家にいたのだと語ってくれる。家事や食事などは諦めて、家族との他愛ない会話を楽しみ、助言もくれる。巷では幽霊が科学的に考証されて多くの仮説が立てられている。曰く幽霊とは微弱な電気現象であり、この家電で増強維持されて周囲の人間に反応している等々。『稲妻』は幽霊出現を目的とした改良品を開発中らしい。現象に理論が追いつくのも時間の問題だろう。だが、とにかく一つの事実が証明されたのだ。

 最早、死は私達を分かたない。

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