──私の初恋は、半透明だった──
貴族の令嬢として生を受けて20年。
欲しいものを与えられ、欲するものを手に入れられた。
生まれながらにして、神の代弁者の力である神聖魔法を使えた。
なんの不自由もない、でも聖女として自由でもない、矛盾した日常。
私は退屈な日常に辟易していた。
そんなある日の夜。誰もが眠りにつき、星の海の中を満月が漂う深夜。
眠れずに屋敷の中を散歩していて……出会った。
半透明の、彼に。
軍服かしら。見たこともない服。だけど、胸に輝く鷹の紋章は王家のものだ。
頭には軍帽を被っているが、目深に被っているため顔が見えない。腰にはサーベルが垂れ下がり、直立不動のまま動かない。
私も、彼を見て動けなくなってしまった。
魔物ではないと思う。魔物というのは独特の気配がある。
けど、この人(人なのかしら?)からは何も感じない。
幻覚? それとも目の錯覚?
疲れているのかしら、私。
「…………」
『…………』
互いに無言のまま動かない。
でも見れば見るほど、幻覚とは思えない。間違いなくそこにいる。
好奇心が疼いた。疼いてしまったのです。
私は彼の元に近付き、覗き込むように屈んだ。
「────」
息を飲んだ。今まで見たことのない、絶世の美男子と言うべきか。
筋の通った鼻。
クールを通り越した氷のような眼力。
真一文字に閉ざされた口。
今までに求婚してきた男性にも、容姿の整っていた方はいた。
でもこの半透明の人は、まるで神が造形したかのように美しく、華やかで……冷たい印象だった。
顔を覗き込んだまま固まってしまった私。
と、彼の目が僅かに動いて私を射抜いた。
──とくん──
たったそれだけの事なのに、私の心音はワンテンポ早くなった。
とくんとくんとくん。
鼓動が早まると、体が熱くなってくる。頬も火照っている。
初めての感覚。どうしてしまったのだろう、私の体は。
『……貴様、私が見えるのか?』
「……え?」
美しい声に、我が耳を疑った。
ここには私と彼の二人きり。ということは。
「私に言っているのですか……?」
『聞いているのは私だ。貴様、私が見えるのか?』
「え……えぇ。まぁ……」
見えるか見えないかと言われたら、見える。半透明だけど。
そんな私の答えに、彼は軍帽を僅かに上げた。
月明かりの照らす彼の横顔は美しく、しかし刺々しい印象だ。
『この姿になって600と12年。まさか私のことを見える者が現れるとは、驚きだ』
「この姿、て……その半透明のことですか?」
『うむ。見ての通り、私は霊体だ』
見ての通りと言われましても。
霊体。つまり、幽霊。実物は初めて見ました。幽霊って実在するのですね。
「って、612年前? それって極西戦役が終戦した年ですよね」
『よく勉学に励んでいるな。その通り。私は極西戦役時、バルベート国第一師団の切込隊長だった』
バルベート国とは、この国のことだ。
建国して1000年。半世紀以上昔の軍人が、何故こんな場所にいるのか。
「それって──」
「聖女様、こんな所で何をしていらっしゃるのですか?」
「──ぇ?」
突然話しかけて来た、見回りのメイド。
しかも私の教育係を担っている、怖い怖いメイド長に見つかってしまった。
「お1人で話されていたようですが……ダメですよ、こんなお時間で起きていては」
「メイド長に言われたくないです」
「今なんと?」
「い、いえ別に。それに1人では……あれ?」
……いない。
どこを見ても、彼の姿はどこにもない。消えてしまった。
「……? さあ聖女様、今夜はもうお休みください」
「……はい……」
あれは夢だった……?
それとも、満月の夜が見せた幻影?
……そんなはずはない。あそこまではっきりと見え、はっきりと声を聞いた。
──あの人のことを、もっと知りたい。
◆
彼と出会って半年が過ぎた。
どうやら彼は、満月の夜だけに現れるらしい。それでも、聖女の力を持つ私だけにしか見えないのだとか。
「でも、我が家は聖女の家系ですけど、幽霊が出るだなんて聞いた事ありませんが」
『歴代の聖女は、貴様のように夜更かししたり、夜中にこっそり抜け出すようなことはせん。貴様は聖女の中でも悪ガキの部類だ』
「あれま」
なんと口の悪いことでしょう。傷付いてしまいますわ。およよ……まあ嘘ですが。この程度で傷付いていては、聖女なんて出来ません。
立っている彼の横に座り、予め入れておいた紅茶をすする。この半年、満月の夜のルーティンだ。
「座ったらどうですか? ずっと立っていると疲れますでしょう」
『霊体に疲れという概念は皆無。気遣いは無用だ』
「ではお紅茶はいかが? クッキーもありますよ」
『……貴様。私が霊体だとわかってて言っているな?』
「バレましたか」
何度か触ろうとしたことがあるけど、彼に触れることは出来なかった。その場所だけひんやりしているというか。
正直、1人で紅茶とクッキーは寂しい。だから一緒に食べて欲しいんだけど、食べられないなら仕方なし。
『……変な女だ。今まで見てきた聖女の中で断トツに』
「おや、褒められました」
『褒めてない』
「残念です」
肩を竦めて紅茶をすする。
このやり取り、悪くない。悪くないどころか、今まで話してきたどんな男性より楽しく、どんな男性より素でいられる。
これほど楽な関係もない。
「あ。ところで、今更ですがお名前は?」
『本当に今更だな……名乗る名はない。過去に全てを置いてきた』
「ええかっこしいですね。それ傍から見ると痛い人ですから」
『……うるさい』
あ、ちょっと傷付いていてしまったみたいだ。若干目を逸らされた。
「言いたくないのであれば無理に聞きません。その代わり私も言いませんが」
『貴様の名前など、生まれた時から知っている』
「あれま」
そう言えばそうでした。私が生まれる前からここにいるのなら、私のことを知ってるに決まってます。
「不公平じゃありません?」
『知らん』
「ずーるーいーずーるーいー。あっ、思いついた。ずーるいーずーるいーずーるいーのだー♪」
『何だそれは』
「ずるいの歌です」
『……ぷっ。……こほん』
「あ、今笑いましたね」
『笑ってない』
「うそだー」
『やかましい』
笑ってしまったことが恥ずかしいのか、バツが悪そうに顔を逸らす彼。
そんな彼を見て、私も笑みを零した。
◆
そんな満月の夜の茶会を続けて、1年が経った。
会を重ねるごとに、頭の中が彼のことでいっぱいになる。
月のカレンダーを手に、いつも指折り数える日々。
彼の態度はまだつんけんしているけど、最初に比べたら雰囲気が優しくなっている。気がする。早く彼の笑顔が見たい。
この甘く苦しい感情の名前はわからないけど、1年前と比べて間違いなく日々が楽しい。
しかしそんなある日、父から呼び出しを受けた。
「はぁ。お見合い……ですか?」
「うむ。お前もそろそろ結婚してもいい年齢。むしろ遅いくらいだ」
この手の話は何度目だろうか。正直面倒なことこの上ない。
だからと言って、貴族である以上結婚と世継ぎというのは避けられない。
今ではのらりくらりとかわしてきた。
でも、ここらが潮時なのかも……。
──ちくり。
「ん?」
「どうかしたか?」
「あ、いえ……」
胸の奥に痛みがある。小さな針でずっとちくちくされているみたいだ。
こんな痛み、知らない。
そっと胸を抑えて、首を傾げる。
父も、首を傾げる。
「……まあよい。見合いは次の満月の日だ。用意しておくように」
「満月……」
そうか。満月の日ということは、このことを彼に相談出来ないんだ。
──ちくり。
また、痛んだ。
痛みというのは、脳が危険信号を出しているからと何かで読んだことがある。
痛みは嫌いだ。だって痛いから。
でも、どうしてだろう。
この痛みは──手離したくない。
◆
お見合いの日がやって来た。
不思議と足取りが重い。こんなことは初めてだ。
頭の中では断りたいという思いがある。でも、家のことを思うと断り続けるのも申し訳なくなる。
だからこのお見合いは、どうしても断れないものだった。
いつかは来ると、覚悟していたつもりだった。
でも、覚悟が揺らぐ。
この揺らぎの原因は、彼だ。
軍服に軍帽、左腰にサーベル。
整いすぎて冷たい印象の容姿に、それに似合う氷のような眼。
彼の顔を思い浮かべる度に、全てが揺らぐ。
更に足取りは重くなり、思考が鈍る。
「聖女様、到着致しましたよ」
メイド長が、お見合い相手がいる部屋へ案内してくれた。
どうやら着いてしまったようだ。
もう、逃げられない。
私は腹を括り、部屋へと入っていった。
目の前にいる生身の彼が、必死に何かをアピールしている。
家柄がどうとか、強さがどうとか、支えるやら共にやら歩むやら。
それに私のことも持ち上げてくれる。聖女の仕事にも理解をしてくれている。凄く誠実そうな人。
別に結婚に愛を求めていない。この家に生まれた時点で、そんなものは諦めている。
「お願いします。私をあなたの傍へ置いてくれませんか?」
目の前にいる人が、手を差し伸べてくる。
この家のため、私に退路はない。
差し出された手に向かい、私も手を伸ばす。
……あぁ、でも──この手が、彼のものだったらよかったのに。
──そいつはやめておけ──
「……ぇ……?」
声が聞こえた。
彼だ。名前も知らない、彼の声。
思わず振り向いてしまったが、当然そこには誰もいない。あの人は、あそこから動けないから。
父も、お見合い相手も、相手の父も。みんな私を見て困惑しているのがわかる。
「ど、どうした? さあ、受けるなら手を……」
「お父様。申し訳ありません」
私は立ち上がると、深々と頭を下げた。
「このお話、反故にしてください」
◆
「叱られました」
『そうか』
「あなたのせいです」
『それはおかしい』
その日の夜、私は半べそをかきながら彼の元へ向かった。
あんなに父に叱られたのは初めてだ。今でも泣きそう。ぐすん。
落ち着くために紅茶を飲み、口を開いた。
「あの時、何故止めてくれたのですか?」
『簡単だ。奴には裏の顔がある。だから止めた』
「……何故、そんなことが?」
『私はここで、無数の人間を見てきた。人間の裏表くらい、一目見てわかる』
なんという観察眼。嘘か誠かわからないけど、そのお陰で助かり、そのお陰で叱られた。
でもわからない。
「今回のお見合い、あなたには関係ないものですが」
『確かにな』
「では何故?」
『…………』
あれま、無言です。
『……わからん』
「……はい?」
『わからんが……貴様が悲しむ姿を、見たくなかった。それだけだ』
なんというキザなことを。恥ずかしくないのでしょうか、この幽霊さんは。
でも、そんなキザな言葉でも、私の心がぽかぽかしてくる。
このぽかぽかに乗じて、昼間のことは忘れてしまいましょう。思い出すとまた泣いてしまう。
「ねぇ、あなた。あなたはどうしてここにいるの?」
『生前の記憶は途切れていて、その部分に関しては欠落している。しかし私は、この場で見守り続けなければならない』
「何を?」
『知らん。知らんが、そうするしか出来ん』
「……ふーん」
ということは、この人はずっとここにいる。
満月の夜にここに来れば、絶対に彼に会える。
──とくん──
会えるというだけで鼓動が早まる。
彼の顔を見ると血が熱くなる。
彼の声を聞くと脳が痺れる。
そこで私は気付いた……気付いてしまった。
私は、彼に恋しているのだ。
『どうした、私の顔をそんなに見つめて』
「……なんでもないです」
『変な女だ』
「存在が変な人に言われたくありません」
この軽口が心地いい。
素でいられるこの時間が心地いい。
恋だ。これを恋というのだ。
人生で初めての恋……初恋。
私の初恋は、絶対に叶わない半透明の彼へと捧げた。
初めて異世界恋愛を書きました。いかがだったでしょうか?
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