魔法が解けても
エド様にエスコートされて会場に足を踏み入れると、周りにいた方々が一斉にこちらへ視線を向けました。
こんなに注目を浴びたのは人生で初めて……というのは少し大げさですが、そのくらいの注目度に私は思わず後ずさりそうになりました。
「エド様……、私が隣にいても良いのでしょうか……」
「もちろんですよ。今日はそのために来たのですから」
エド様は周りの視線や、あちらこちらからかけられる声などまったく耳に入っていないご様子で、私をエスコートしてくださいます。
「少し挨拶に付き合ってください」とお知り合いの所へ向かわれ、何人かを紹介してくださいましたが公爵家の方ばかりでしたので、私は唯々緊張するばかりでした。
エド様とはずっとお庭でお茶会ばかりしていたのであまり気に留めていませんでしたが、改めて身分の差を実感してしまいました。
挨拶回りも終わりエド様と飲み物を飲みながら一息ついていると、一人の男性がエド様の元へやってきました。
「エドガー殿下、事業の件でお引き合わせしたい方がいらっしゃるのですが」
「後日にしてくれ。今日はそのような目的で来たのではない」
エド様が男性を下がらせようとしましたので、私は慌てて口を挟みました。
大人のお話に口を挟むのは良くないと思いますが、今日はエド様のご予定を変えないためにここへ来たのです。
しっかりと、するべきことはしていただかなければ困ります。
「エド様、私はこちらで休んでいますから、どうぞ行ってきてください」
「アイシャが気を使う必要などありませよ」
「いいえ。エド様がお仕事をしてくださらなければ、私の任務がなくなってしまいます」
ドレスをいただいたからには、私もそれなりの働きをしなければならないのです。
エド様はぽかんとした表情で私を見下ろすと、思い出したように突然笑い出しながら私の頭の上にポンっと手を乗せました。
「それは大変だ。すぐに仕事を済ませてきますので、少しだけ待っていてください」
離れる際に「ダンスの誘いを受けては駄目ですよ」と付け足したエド様は、男性と共に人混みの中へと消えていきました。
なんとかお邪魔にならずに済んだようです。
私はほっとすると、壁に並んでいる椅子の元へ足を向けました。
エド様はご心配されていたようですが、私にダンスのお誘いをする人などいるはずもありません。
のんびり椅子に座り飲み物を飲みながら周りを見れば、お誘いを受けているのは綺麗でスタイルも良く、一緒に踊って見栄えのする方ばかりです。
私の目の前を通り過ぎようとしているご令嬢など、この場で一・二を争う美貌の持ち主ではないでしょうか。私とは雲泥の差です。
「あら、貴女はエド殿下と一緒にいらした方ね。私、エド殿下の親戚ですの。良かったら少しお話ししましょ」
その美貌の持ち主様に、お誘いを受けてしまいました。
エド様のご親戚でしたら、少しくらい席を離れてもエド様は許してくださるでしょう。
私はうなずくと、彼女と彼女のご友人の方々と一緒にバルコニーへ出ました。
公爵令嬢様とご紹介くださった彼女は、王族と同じ透き通るような金色の髪の毛で、成人したてくらいのご年齢に見えます。
「貴女、とても可愛らしいわね。エド殿下がそばに置いておきたがるのもわかるわ」
公爵令嬢様の言葉に賛同するように、ご友人方も私を褒めてくださいました。
家族とエド様以外の方に褒められたことがあまりないので、少々照れてしまいます。
「私も貴女みたいな方なら、大歓迎だわ」
大歓迎とはどのような意味なのでしょう?今後もお会いする機会があるのでしょうか?
「私、いずれはエド殿下と婚約する予定ですの。女性の友人など嫌う方も多いでしょうが私は構いませんよ。私はこの通り可愛らしい見た目ではありませんので、エド殿下の癒しにはなれませんもの」
「そんな……、とてもお綺麗だと思います……」
「ありがとう」と微笑む公爵令嬢様を見ながら、私の心臓は壊れそうなほど振動していました。
――エド様に婚約するご予定の方がいらっしゃったなんて……。
どうして今まで、そのことに思い至らなかったのでしょう。
噂をそのまま受け取って、疑うこともしませんでした。
二十歳の王族に婚約者がいないはずがないのに、一人で浮かれて馬鹿みたいです……。
「貴女のドレスも、とても可愛らしくて素敵だわ」
「ありがとうございます……。こちらはエド様が選んでくださって……」
泣きたいのをなんとか我慢して会話と続けていると、公爵令嬢様の表情が突然変わられました。
「エド……様……?貴女、エド殿下に目を掛けられているからって、思い上がるのもほどほどにしてちょうだい!私ですら殿下とお呼びしているのに……、なんて失礼な子なのかしら!」
公爵令嬢様に賛同するように、ご友人方も非難の声を上げます。
私はそのご指摘にハッとしました。
王族には殿下とお呼びするのが当たり前なのに、なぜ私はエド様とお呼びしているのでしょうか。
夢の中でエド様とお呼びしていたからといって、現実で同じように呼ぶなど失礼にもほどがあります。
けれど……、家族もエドガー様とお呼びしていました。
伯爵であるお父様や、お城でお勤めをしている上のお兄様が、そのような呼び方をするはずがありません。
なにかが、おかしいです……。
「あ……あの……、私……」
どうしてこうなってしまったのかわかりませんが、ご婚約予定である公爵令嬢様には謝罪しなければなりません。
頭を下げようとした瞬間。
私の体は、暖かいものに包み込まれました。
見上げると、エド様が穏やかな笑みを浮かべて私を抱き寄せていたのです。
「遅くなってすみません」と私の頭をなでると、エド様は公爵令嬢様に視線を移しました。
「僕が許可していることに、なにか異存でも?」
許可などいただいていません。彼女たちは、なにも悪いことは言っていないのです。
それを訴えようとすると、私を抱いているエド様の腕に力が入って、動けなくなってしまいました。
「エド殿下……、ですが……」
「それより、愛称で呼ぶなと何度言えばわかるのですか。いい加減にしてください」
「申し訳ありません……。エドガー殿下……」
公爵令嬢様は、今に泣きそうなお顔でご友人方とバルコニーを出ていきました。
私が悪いのに、公爵令嬢様を悲しませてしまいました。
どうしてエド様は、婚約予定の方より私をかばうのですか……。
バルコニーを静寂が包みます。
初夏の夜風が急に肌寒く感じ、まるで私の心の中を冷やすように吹き抜けていきます。
「すみません、アイシャ。嫌な思いをさせてしまいましたね」
「エド……ガー殿下、今まで大変不敬なことをしてしまいました。申し訳ありませんでした……」
離れてお詫びしようとしましたが、エド様は離してくれそうにありません。
その代わりのように、あの時のようないたずらっぽい笑みを浮かべられました。
「おや、エドとは呼んでくださらないのですか?」
「ですが……」
「アイシャは悪くありません。これは僕の魔法の影響なんです」
「魔法?」
「はい、王族の機密に関わるので詳しい事情を今のアイシャには教えられませんが、もう魔法は解けたはずです」
エド様が授かったとされる国の役には立たなかったという魔法のことのようですが、周りの人に影響を与える魔法だったのでしょうか。
魔法が解けたと言われましても、なにか変わったようには思えませんが……。
「その上で、もう一度聞きます。エドとはもう呼んでくださらないのですか?」
「……よろしいのですか?」
「はい、できれば『様』も取っ払ってくれると嬉しいのですが」
「そっ、それはできません……。エド様」
「ありがとう、アイシャ」
エド様はほっとしたように微笑まれました。
「それからもう一つ、確認しておきたいのですが……」
「なんでしょうか?」
「ダンスを踊った時の気持ちは今も変わっていませんか?」
「ダンスですか?」
私はあの時の会話を思い出します。
『アイシャと踊ることができてとても嬉しいです。可愛いですよ、アイシャ』
『嬉しいですエド様。こうして夜会でダンスを踊れる日がくるとは思いませんでしたので、とても幸せです』
初めての正夢で驚きましたが、あの時に感じたことは今でも変わりません。
夢の中にしか存在しないと思っていたエド様と、現実でダンスを踊ることができたのですから。
「はい。あの時は本当にエド様とダンスを踊れたことが嬉しくて、……とても幸せでした。あの時の気持ちは今も変わっていません」
こうしてエド様に触れることができて暖かさを感じられるなど、私にとっては奇跡のような出来事なのです。
そう伝えると、エド様の赤い瞳がゆらゆらと零れ落ちそうに輝きました。
「よかった……」
私を強く抱きしめると、噛みしめるように彼は呟きました。