提案
「どうかしましたか?」
「い……いえ、とても素敵なお庭だと思いまして」
夢と同じお庭に驚いて、私は立ち止まってしまいました。
初めて来たのに、夢と同じだなんて言ったら変な子だと思われるかもしれません。初めてを装うことにしました。
「ここは王族専用の庭なんです。滅多に人も来ませんから気兼ねなくくつろいでください」
「はい……」
くつろぐと言われましても、一番の緊張の相手はエド様なのですが……。
夢で何度も繋いだ手も実際にこうして繋がれると、大きくて暖かな手の感触が伝わってきて手に力が入りません。
あまり緊張すると、汗をかいてしまいそう。
――へ……平常心を保つのです。
お庭は夢で見たと言っても断片的なものですので、実際に見て回るととても美しいお花ばかりで、まるで楽園にいるような気分になれました。
エド様はそこに住まう天使か妖精か、はたまた神様か。
風に揺れて溶けてしまいそうなサラサラの髪の毛が、お日様の光を浴びてさらに神々しさを増しています。
お庭の奥にはテーブルと椅子が置かれ、お茶の用意がされていました。
そちらでエド様が手ずから淹れてくださるお茶をいただけるなど、幸せの極みです。
エド様がお好きだという異国のお茶は、麗しいエド様のような甘くて香りの良いお茶でした。
帰りの馬車の中、ここでも手を握られて私はドキドキが止りません。
思えば、私にとっては幼い頃から接しているエド様ですが、エド様にとっては私とは昨夜出会ったばかりのはずなのに、なぜこのような状態になってしまったのでしょう。
私の容姿など、身長こそ平均的ではありますが顔も体型も子供のままで、とてもエド様の目に留まるような女性ではないと思うのですが……。
エド様は私のそんな考えを見透かしたように、顔を覗き込んでこられました。
「アイシャ、貴女から見ると僕はどう映るのでしょう?おじさんに見えますか?」
「そのようなことはありません!エド様はその……、素敵な大人の男性です」
追いつきたいと願っているのに、いつまで経っても追いつけない憧れの男性です。
「本当に?お世辞ではなく?」
「はい、こうして一緒にいられるのが夢に思えるくらいに……、素敵ですエド様」
夢でしか会えないと思っていたエド様が、現実に現れて来てくださったのです。
こうして手を繋いで隣に座っていられる幸福に、感謝してもしきれないくらい私はエド様のことが好きなのです。
ですが、今の私では『素敵です』と伝えるのが精いっぱいです。
エド様はそれを聞くと、視線を逸らしてしまわれました。
私、なにかいけないことを言ってしまったのでしょうか。
不安になっているとエド様はぽつりと呟かれました。
「思った以上の返答で驚きました……」
横顔を見るとお顔が赤くなっているのがわかります。照れていらっしゃるのでしょうか。
先ほどもそうでしたし、エド様は意外と照れ屋さんなのかもしれません。
夢の中ではこのようなお姿を見たことがありませんでしたので、とても新鮮です。
新しいエド様を発見することができて嬉しくなってしまいました。
エド様は再び私に視線を移すと、今度は真剣な表情になられました。
「アイシャが嫌でなければ、学校帰りに毎日会いに来てくれませんか?もちろん用事のない日だけでかまいません」
毎日エド様にお会いできるだなんて、そんな夢の中みたいなことが、現実にあり得るのですか?
もしかして、馬車の中で眠ってしまったのでしょうか……。
こっそり太ももをつねってみましたが痛いです。
「とても嬉しいですが、エド様はお忙しいのでは……」
「アイシャに会えるのなら、いくらでも時間を作り出してみせますよ」
私のために時間を作ってくださるなんて、こんなに嬉しいことがありましょうか。
夢の中の私なら、抱きついて喜んだでしょうが、現実の私はそのように大胆なことはできません。「毎日お会い出来るなんて、とても楽しみです」と微笑むのが精いっぱいでした。
屋敷に到着すると、一家全員と使用人全員でのお出迎えがありました。
王族が来られるなど前代未聞ですので、お父様が張り切ったのでしょう。
エド様は「毎日アイシャを連れ出すのですから、許可を得なければなりませんね」と微笑まれ、挨拶を終えるとお父様とお二人で応接室へと向かわれました。
残された私は、言うまでもなく家族と対峙することになります……。
「うちの娘が王族に嫁ぐ日が来るなんて、夢でも見ているのかしら」
と夢を見ているお母様。
「昨夜の夜会は大変な騒ぎだったようだな。私の所にまで噂が飛んで来たぞ」
と笑う上のお兄様。
「エドガー様はなんて素敵なのかしら!アイシャちゃんのおかげで、これから頻繁に拝めるなんて幸せだわ!」
とミーハーを隠さないお義姉様。
「俺が仲を取り持ったことを忘れないでくれよ!もしこれで王家と繋がりが持てたら、俺の婚約もうまくいくんじゃないか……」
応援すると言っていたのに、狙いはそれですか?二番目のお兄様!
「み、皆、気が早すぎます!エド様はただ、毎日会いたいと言ってくださっただけなのですから……」
慌てて家族をなだめようとしましたが、失敗してしまいました。
お母様とお義姉様は「もう愛称で呼んでいるわ!」と手を取り合って喜び。
上のお兄様は「お忙しいエドガー様が毎日会いたいなんて相当だぞ!」と驚き。
二番目のお兄様は「なぁ!今度ダブルデートしないか?いいだろアイシャ」と自分のことしか考えていません。
うちの家族はなぜいつも、騒がしいのでしょう。
エド様とお父様は許可を得るだけにしては長い間、応接室にいらっしゃいました。
「楽しいご家族のようですね、アイシャ」
「騒がしい家族で申し訳ありません……エド様」
この騒ぎは応接室まで聞こえていたのかもしれません。とても恥ずかしいです。
エド様を馬車までお見送りに行くまでも、エド様は手を握ってくださいます。
それを見た家族が後で大騒ぎすると思うと、このままエド様と馬車に乗り込みたい気分になりました。
それを抜きにしてもエド様とはもう少し一緒にいたいですが、明日も会えるので我慢です。
「明日も楽しみにしていますよ、アイシャ」
「はい、私も学校が終わるのを心待ちにしています」
エド様は「これでアイシャの成績が落ちたら僕のせいですね」と苦笑しながら、私の頭をなでてくださいました。
そのようなことにならないよう、私は全力で勉強も頑張りたいと思います。
それからエド様は、名残惜しそうに私の両手を握られました。
握られるたびドキドキしていた手ですが、今日はもうお終いだと思うと急に寂しくなってしまいます。
エド様の手を目に焼きつけていると、突然エド様は耳元にお顔を近づけてこられました。
「また明日、可愛いアイシャ」
吐息がかかる距離で囁かれ、私は顔が一気に熱くなるのを感じました。
満足そうに私の顔を覗き込むエド様。
――ち……近すぎます。
恥ずかしくて顔を覆いたいのに手が塞がっているなんて、あんまりではありませんか。
私の頭の中は、わたあめで埋め尽くされたように真っ白になってしまいました。
私は最後までちゃんと、エド様をお見送りで来ていたのでしょうか。とても心配です。
夕食は珍しく、いつもは離れで食べている上のお兄様夫婦も一緒でした。
話題は当然のことながらエド様の話ばかりで、私は食事をゆっくり味わう心の余裕がありません。
「父上、エドガー様とはなにを話されたのですか?」
二番目のお兄様が興味深げに聞いております。
私もそれについてはとても気になっていました。
許可を得るだけなら、わざわざ応接室で二人きりになる必要もなかったと思います。
「アイシャの言う通り、学校帰りに毎日会うことへの許可だったが?」
「他には?将来に関する話はされなかったのですか?」
お兄様の問いに、家族全員の視線がお父様に向けられます。
「まだ出会って二日だ。将来の話など早すぎるだろう」
お父様は笑って家族を見回しました。
いったい私は、なにを期待していたのでしょう。
エド様はただ会いたいとおっしゃっただけではありませんか。
それ以上のことがあるはずもありません。
私は小さく息を吐きました。
お父様は家族全員ががっかりする姿を面白そうに眺めてから、私に視線を向けました。
「アイシャ、気を落とすのはまだ早いぞ。伯爵家から王族に嫁ぐことは例がないわけではない。エドガー様は公爵家を継がれることが既に決まっているから、王の妃になるよりはハードルが低いはずだ。五歳の歳の差もたいしたことではない。悔いの残らないように全力を尽くせ」
――今朝と言っていることが真逆です、お父様。
再び湧き立つ家族たちに激励されてしまいましたが、私は高望みをしないことにします。
エド様は自身がおじさんに見えないか心配するほど、私のことが子供に見えるのでしょう。
何度も可愛いと言ってくださいましたし、近くに置いて愛でたいだけなのかもしれません。
それでも私は、エド様にお会いできるだけで幸せです。
エド様にご迷惑がかからないよう、しっかり宿題も終えてから私は早々にベッドへ潜りました。
一日に二回もエド様にお会いできるなんて幸せすぎます。
今日はどのような夢でしょうか。
現実では言えなかった『大好き』をたくさん伝えられたら良いと思います。
それからは、夢でエド様とお庭でお茶会をし、現実では学校帰りにエド様とお庭でお茶会をする日々が続きました。
そうなのです。私は毎日正夢を見たのです。
同じことが二回繰り返される日々に飽きたりなんてしません。
二度も同じエド様を見られるのですから、私としては得した気分になれました。
けれど、正夢も全てが同じわけではありませんでした。
夢の中ではいつも『大好き』と伝え合っているのに、それがないのです。
『可愛い』とは毎日のように言ってくださいますが『大好き』とは一度も言ってくれないことに、私は少し寂しさを感じていました。