正夢
エドガー殿下にエスコートされながら会場の中央へ向かうと、ちょうど夢で踊った時と同じ曲になりました。
「お名前を伺っても?」
「アイシャと申します……」
「思った通りの可愛い名ですね」
エドガー殿下はとても優雅にダンスをリードしてくださいますので、私は唯々エドガー殿下を見つめていました。
話し方や仕草の一つ一つがエド様にそっくりで、曲の半ばに入る頃には彼はエド様なのだと確信に変わっていました。
「あまり見つめられると、少し恥ずかしいですね」
そういわれて、私は我に返りました。
ずっと見つめるなんて、なんて大胆なことをしていたのでしょう。
急に恥ずかしくなって「すっすみません……」と視線をそらすと、エドガー殿下の優しい声が降ってきました。
「アイシャと踊ることができてとても嬉しいです。可愛いですよ、アイシャ」
その言葉に釣られるように、私の口からするりと言葉が飛び出してきました。
「嬉しいですエド様。こうして夜会でダンスを踊れる日がくるとは思いませんでしたので、とても幸せです」
私は慌てて「エドガー様……」と言い直します。
自分の意志とは無関係に、夢での言葉が出てきて驚きました。
エドガー様は「エドで結構ですよ」と微笑んでくださいました。
それから「僕も嬉しくて段階を踏むのを忘れていました。アイシャ嬢、アイシャと呼んでもよろしいですか?」なんて言われたら、私は喜ばずにはいられません。
「はい!とても嬉しいです、エド様」
空想上の人物だと思っていたエド様に会えたばかりでなく、一気に親しくなってしまいました。
私、幸せ過ぎて溶けてしまいそうです。
エド様とダンスを踊った後のことは、よく覚えていません。
エマが血相を変えてやってきた気がしますが、よく覚えていません。
お兄様も帰りの馬車でしきりに詳細を知りたがっていた気がしますが、よく覚えていません。
私、とても幸せです。
寝る前、私は幸せな気分で魔法をかけました。
この国は夢に関する魔法が盛んで、誰でも少しは魔法が使えます。
私が使える魔法は『夢が見たい』と願えば見れるという、あまり役に立たない魔法なのですが、私はそれだけでじゅうぶんなのです。
見る夢には、必ず彼が出てくるのですから。
その夜、私は今日も彼の夢を見ました。
素敵なお庭を、二人でお散歩している夢です。
メルヘンな世界ではありませんでしたが、二人で一緒にいるだけでこんなにも素敵な空間に思えるのだと、この時初めて思いました。
エド様と実際にお会いしたことで、私の夢は一気に現実的なものへと変わったのでした。
翌朝、まだ夢の中にいるような気分で朝食を食べていた私に、お父様が声をかけてきました。
「昨夜はとても良い経験をしたようだな、アイシャ。だが、あまり期待はするな。うちは平凡な伯爵家だし、アイシャと第三王子では歳が離れている。後でがっかりしないように、昨夜のことは夢と思っておきなさい」
「はい、お父様」
私もそれくらいのことは、わかっています。
王族に嫁ぐ方は公爵家のご令嬢がほとんどで、伯爵家からの例はあまりありません。
仮に公爵家に良いお相手がいなかったとしても、私が成人する頃にはエド様は二十三歳。
そんなにお待ちいただけるなんて思えません。
私はエド様に出会えただけで幸せなのです、お父様。
現実でそれ以上は、望みません。
だって私は、夢の中で彼と結婚することを望んでいるのですから。
学校へ行く馬車の中。
お兄様の質問に、曖昧に答えながら私は物思いにふけていました。
エド様はこの国にいる四人の王子様の中で、一番有名な方です。
麗しいお姿で目を引くのは勿論なのですが、最も彼が注目を浴びたのは私がまだ幼い頃のことです。
王族は七歳になると、特別な魔法を授けられるといわれています。
内容は非公表なのですが、それによって王位継承権の順位が変わるほど大切な魔法なのだとか。
けれどエドガー様が授かった魔法は、全く国の役に立たないものだったそうで、八歳という異例の速さで王位継承レースから脱落してしまわれました。
彼は子供に恵まれなかった公爵家の後を継ぐことがすでに決まっているそうですが、成人を過ぎた二十歳になった現在も、婚約者がいらっしゃらないそうです。
それにも色々と噂があり、エドガー様の美貌に嫉妬したほかの王子が妨害しているのではとか、幼くして王位継承権を失ったため心を病まれているとか、悪い夢に憑りつかれているなど。
私の夢の中での彼とは、とても繋がらないような噂ばかりです。
彼はいつも穏やかで、暗い影を落とす姿など見たことがなかったのですから。
それに王位継承権は失われましたが、エドガー様はとても人気なのです。
お美しいだけではなく、頭脳明晰で剣の腕前も並みの騎士では太刀打ちできないほどだとか。
雲の上の方すぎて、思い返すと昨夜ダンスに誘っていただけたのは、本当に夢だったのではと思えてしまいます。
次にお会いできることがあっても、私など忘れられていることでしょう。
学校では夜会に参加していた方々によって噂が広められたようで、馬車を降りた瞬間から教室の中に入った後まで、ずっと注目を浴びっぱなしです。
エマの情報によると、私たちは初めての夜会でしたので知りませんでしたが、エドガー様は今までどの夜会に参加しても女性をダンスに誘うことはなかったようで、昨夜は会場全体が驚きに満ちていたそうです。
私はエド様に出会えた衝撃が大きすぎて、そんな状態になっていたとは全く気がつきませんでした。
周りから微かに漏れ聞こえてくる噂話は、良いことだけではありません。
噂されずとも私が一番、不釣り合いだと自覚しているのですが、改めて他者から言われると少しへこみます。
夢の中では他人の目など関係なく思うままに振舞えたのですが、現実は難しいです。
私はお兄様に教室まで送り迎えをしてもらい、隠れるようにして学校を後にしました。
屋敷に帰ったらすぐに宿題を済ませ、早めに就寝しましょう。
エド様に早く会いたい。
なんて思っていると、馬車は家に着くよりもずいぶんと早い時間に動きを止めました。
「お兄様、どこかへ寄られるのですか?」
そんなこと、言っていたかしら?と首を傾げると、お兄様は馬車のドアを開けながらニッと笑いました。
「父上はあんなことを言っていたが、俺は応援するぞ!」
なんのお話かしら?と思っていると、お兄様に「さっさと行け」と背中を押され立ち上がらされます。
開け放たれたドアから顔を出すと、そこには穏やかに微笑むエドガー様の顔がありました。
「エドガー様、どうして……」
「おや、エドとは呼んでくださらないのですか?」
エド様は私に手を差し出しながら、いたずらっぽく笑います。
「エ、エド様……」
エド様の手を取って馬車を降りながら、慌てて言い直しました。
昨夜は勢いで愛称呼びすることになってしまいましたが、改めて考えると年上のそれも王族になど、なんて大胆なお約束をしてしまったのでしょう。
恥ずかしくなってうつむいていると「アイシャ」と優しいお声に包まれました。
「アイシャ、来てくれてありがとうございます。どうしても会いたくなってしまったもので、お兄さんに城まで連れて来てもらえるよう連絡を差し上げたのです」
――え?お兄様に?
振り返るとお兄様は窓から親指を立てて見せながら、馬車で去っていくではありませんか。
――お兄様、私を置いていかないでください、帰りはどうしたら良いのですか!
私が途方に暮れていると、エド様が「心配しなくても、帰りは僕が送りますよ」と言ってくださいました。
エド様が我が家へ?
お兄様から聞いたお父様が、卒倒していないかとても心配です。
エド様は「庭でも散歩しましょうか」と私をお庭へ案内してくださいました。
「あ、あの……エド様、お誘いくださりありがとうございます。私もエド様にお会いしたかったので、とても嬉しいです」
頬が熱くなるのを感じながらエド様を見上げると、エド様も頬をほんのり赤く染められていました。
「そのように思っていてくれたなんて嬉しいな。こんなに可愛いアイシャを見られるとは、誘って良かったです」
夢では毎日のように言ってくださっていた『可愛い』を現実で言われると、とても恥ずかしいですが、心が締めつけられるほど嬉しくなってしまいます。
現実のエド様にも私、恋をしてしまいそうです。
案内されたお庭を見た瞬間、とても驚いてしまいました。
なぜなら、昨日の夢に出てきたお庭にそっくりだったのですから。
私は二日間も正夢を見てしまったようです。
いったい、なにがどうなってしまったのでしょうか。