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第4話

 青い空。白い雲。

 雨上がりの空気をたっぷり肺に吸い込んだ。

 道路にはところどころに水たまりがあり、自転車で通る度に水が飛び散る。

 千歳と愛希は自転車で、大和川のいつもの場所へ向かった。


 2人が到着すると、まばらに人がいるようだった。朝から集まり、夕方まで遊ぶと聞いているが、本当にその時間まで遊べるのかは、当人にしかわからない。

 大和川ですることと言えば、あまりないからだ。


「おはよー」


「おはよう」


 千歳の明るい挨拶に、その場に集まっていたクラスメイトたちが振り返る。

 中には既に気付いていた者もいたが、彼らは皆千歳の隣を見てスーッと視線を逸らしていた。

 千歳に続いて愛希が挨拶したため、千歳が来たと思っていたクラスメイトたちの視線が愛希に集中する。


「お、おはよう」


 その内の誰かが挨拶をすると、それを皮切りにそれぞれ挨拶をしていった。


「まだこんなけ?」


「そうやねん。皆、まだ寝てるんちゃう?」


 千歳が問いかけると、美樹が答える。

 既にいた集まりの中には、美樹もいたようだ。


「じゃあ、どうする? もう遊ぶ?」


「遊ぼうや。あいつら来んの、どうせ昼からやろ」


「そうやなー。じゃ、何する?」


「人少ないしなー……」


 そう言って、クラスメイトの男子がこの場に集まっている人を数えて行く。


「12人やな。まぁまぁ来てたんか」


 36人クラスの約半数が誘われているため、彼らが思っていたよりも多く来ていたようだ。まだ来ていないのは、一部のみ。


「ドッジやる?」


「えー、サッカーしようや」


「おにごは?」


「それは無理。こんなとこでやってみいや。しれてるやろ」


 考えた末、ドッジボールをすることになった。

 大和川で出来る遊びと言えば、あまりにも少ない。だが、大人数で集まって遊ぶにはうってつけの場所。

 今回のような時には、必ずと言っていいほど大和川で遊ぶことになる。

 夏祭りの日には、ここに集まって花火もしていた。


「よし、ドッジにけってー!」


 1人の男子が、ドッジで使うボールを自転車のかごから取る。


「範囲はー?」


「こんなもんでいいんちゃう」


「そうやな!」


 和気あいあいとしながら、話が進み、準備も進む。

 6人ずつ別れ、6対6のドッジボール対決が始まった。




「千歳!」


 愛希が呼ぶと、


「おう!」


 千歳が応える。

 時間が経って、既に3戦目。今は女子対男子だ。

 最初から外野にいる千歳に、愛希がボールを投げて渡す。

 山なりに投げられたボールは綺麗な弧を描き、千歳の元へ到達した。

 受け取るなり、すぐさまボールを勢いよく放り投げる。


「ったぁ!」


「よっしゃ!」


 男子の1人が受けようとしたものの、ボールを弾いてしまってアウトとなった。外野へ行く男子と、初めから外野にいた男子が中へ戻る。

 千歳が声を上げ、喜びを露にする。


 男子ボールとなって、それは外野に投げられた。

 外野との境界線ギリギリ。

 大丈夫だろうと取ってすぐに投げられるよう、千歳に当てられた男子は構える。


「んっ」


 女の子の声が聞こえたかと思うと、視界が遮られた。


「ナイス愛希!」


 反対側で見ていた千歳が声を張り上げてグッドサインをすると、愛希はニコリと微笑んだ。これが、愛希があまり呼ばれない理由である。


 愛希は頼れる委員長――否、頼りになりすぎる委員長だ。

 人に教えられるほど勉強が出来て、人に教えられるほどスポーツも出来る。文武両道とはこのことを言うのだろう。

 愛希は千歳にボールを投げた。

 けれど、それは力を込め過ぎたようで、外野2人の頭を越えていった。


「あ、ごめーん!」


 今度は愛希が声を張り上げると、千歳は大丈夫、と手を振って答える。

 ボールは転がり、大和川へ落ちそうになった。その、直前。

 千歳がスライディングをして、横からボールを蹴って軌道を逸らした。


「えっ?」


 直後、昨夜の雨で濡れていたためか、目測を見誤ってしまった千歳は大和川に転落する。

 クラスメイト――特に愛希の悲痛な叫びが聞こえたような気がしたが、千歳に聞き取るような余裕はなかった。


 彼女は、泳げない。

 水の中ほど、怖い物はない。


「――っ!」


 口の中に水が入り、盛大にせき込む。

 そんな中、足や手をばたつかせながら下流に流されていった。

 次第に服が水を吸って重くなり、浮かなくなってきた。

 余計にパニックに陥って、千歳は沈んでいく。


(そう言えば、前にもこんなことあったなぁ)


 薄れゆく意識の中、手を伸ばして思った。

 その手を、誰かが掴む。

 それは、かつて彼女を助けた手。


(だれ? 愛希ちゃん?)


 誰の手かはわからない。

 それでも、確かに誰かに引っ張られている。

 彼女は助けられることに安堵して、意識を手放した。




 誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 朦朧とする意識を徐々に目覚めさせながら、彼女は――千歳は体を起こした。


「うっ……どこ、ここ」


 目に入ったのは、泥沼。

 先ほどまでいた大和川とは全く違う景色に、驚きに目を見開く。

 体を動かそうとしても動かない。


「もう少し待ってね」


 どうにかして体を動かそうとする千歳の耳に、小学生の男の子のような声が聞こえた。

 どこから聞こえたのか、探ってみてもわからない。

 だけど、誰かが近くにいるような気がする。


「よし、もういいだろう。もう、溺れたりするんじゃないよ。僕がいつも見ているわけじゃないんだから」


 以前にも、聞いたことがあるような声だった。

 その言葉を最後に、目の前が真っ暗になり、明るくなった時には、岸辺にいた。


「どうなってんの」


 誰に問いかけるでもない、自問。

 その答えを、彼女は持ち合わせていない。

 とりあえず大和川から上がると、上流の方からクラスメイトたちが自転車で来ているのが見えた。どれだけ流されたのかと見てみれば、数百メートルほど離れている。


「……マジか」


 でも、これだけ流されても生きていた。

 千歳はそのことにホッとする。


「あれ、なんやったんやろ」


 泥沼があって、緑があったあの場所。

 この大和川に、そんな場所はないはず。

 そう思い、恐る恐る大和川に目を向けた。

 瞳に映るのは、流れのある水。

 そして――、


「あれは……」


 どこかで見たような……。

 記憶力はそれほどない千歳も、あれは何かと思い出そうと努力する。

 つい最近、見たような気がする。

 だけど、ちょっと違う。

 けれど、雰囲気が似ているような。


「……河童のミイラ?」


 いやいや、と首を横に振った。

 いるはずがない。あれはただの伝説だ。

 そう思いはしても、実際に深く潜っていくその影は、インターネットに載っている様々な河童のイメージ画像に似ている。


「マジで?」


 千歳は、クラスメイトが辿り着くまでその影を見続けた。

 その後、千歳は濡れたままでは風邪をひくということで、1人先に帰宅する流れとなった。




 それからというもの、学校終わりに千歳は河童について調べた。

 父親からパソコンを借り、母親に取材し、近所のおばちゃんにも聞き込みをした。

 熱心に調べる娘を心配したものの、いつものことだと流す。


 そして、土曜日。


 水曜日のやり直しということで、千歳は20人ほどのクラスメイトたちと大和川に行く。

 先日と同じようにドッジボールをして、サッカーをして、こおりおにごっこをしたり。

 その間、千歳の視線はよく水面に向かっていた。


(飛び込んだら、また会えるかな)


 でも、会えなかったら。

 溺れることは想像に難くない。

 散々悩んでいる千歳の顔面に、サッカーボールが飛来してきた。

 男子の蹴ったボールは、力強い。


「ぐぇっ」


 カエルのような声を出して、尻餅をつく。


「大丈夫? 何してんの!」


 すぐに愛希が駆け寄り、千歳に怪我がないか確認した。鼻が折れているようなことはなく、鼻血が流れているだけだったことに、サッカーボールを蹴った男子は胸を撫で下ろす。


「よかったぁ~」


「でも、ちーちゃんは休んどいた方がいいんちゃうかな」


「……うん、そうする」


 珍しく千歳が同意したことに、一同は驚く。

 とぼとぼ川岸へ向かう千歳の小さな背に、ボールを当ててしまった男子が罪悪感に苛まれた瞳を向けていた。


「はぁ」


 遊びに集中できず、千歳はため息を零す。

 河童は、さっきのも見ていたのだろうか。

 情けないところを見せたなと思う。


「君は本当に、どうしようもない子だ」


 こんな時に小学生か。

 そう思って周りを見て、誰もいないことに気付く。

 首を傾げる千歳にもう一度声がかけられた。


「こっちだよ」


 声変わりのしていない男の声は、後ろからしていた。

 慌てて振り返ると、そこには大和川が広がっていて、向かいには草むらがある。


「ふふっ、下だよ」


 その言葉に従い、恐る恐る視線を下へ向けると、そこには顔を覗かせる河童が居た。インターネットで調べた通りの河童。


 人の前に姿を現すことはないらしい。

 ましてや、人と言葉を交わす河童はこれが初めてだろう。

 千歳はようやく会えた命の恩人に手を伸ばした。


「ダメだよ。僕に触れちゃあ」


 河童が水中に潜り、円状に波打つ。


「えっと、その、助けてくれてありがとう」


「どういたしまして」


「……これからも、ずっといますか?」


「そうだねえ。飽きるまでは居ると思うよ」


 河童の色よい返事を聞いて、千歳は表情を綻ばせた。


「じゃあ」


「でも、陸には上がれない。僕はそっちに行けないんだ。これが、境界」


 そう言って、河童は川と岸の狭間をなぞる。

 その言葉を最後に、河童は更に奥深くへ潜っていった。

 水の中でどうやって話していたのか、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、お礼を言えてうれしかった。

 それに、これからも会うことは出来る。

 そのことを知れたことに、千歳は心の中で静かに言った。


 ――ありがとう


 その日から、千歳は度々大和川へ足を運ぶことが多くなった。

 姿を見せず、言葉も交わしてくれない。

 けれど、確かに河童の存在を教えてくれる――水面に映る、君の影。


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