白の門出
カーテンの隙間から、空と、冷たい空間を見やる。
星は、やはり見えない。雪も、降っていない。それでも寒いことには変わりない。蔵から出してきた電気ストーブの目盛りが最大であることを確かめてから、蘭は、ちゃぶ台の上に置かれた、砂糖衣が白く光るケーキを頬張る桃の、小さい身体を呼び寄せた。
白い欠片の残る口元をタオルで拭ってから、暖かい洋服を脱がせる。夜なべして縫い終えた着物用の下着を小さな身体に纏わせてから、蘭は、部屋の隅に掛け置いた桜色の小さな着物を桃の肩に置いた。
桜色の振袖を、桃の小さな身体に似合うように、苦心して縫い直した着物は、嫌がられることなく、桃の身を飾る。肩に揺れる髪を何とかましな形に結ってから、蘭は未だ枯れていない、百鬼夜行からもらった山茶花の枝を、かんざし代わりに桃の髪に挿した。
「さあ、行こうか」
蘭の言葉に、桃が小さく首を横に振る。何か、着物の他に心残りがあるのだろうか? 首を傾げる蘭に、桃はちゃぶ台の上を指差した。なるほど。
「ちょっと待ってね」
寒い台所から、砂糖衣に包まれたパンのような形のケーキを取ってくる。現代のこの場所のクリスマスなら、白い生クリームを塗ったスポンジケーキに苺を置いたケーキの方が相応しかったかもしれない。しかし、おそらく、……桃が生きていた時代のケーキには、生クリームは掛かっていなかった。それに、しっかりと焼いて砂糖衣で包んだケーキは、桃が食べる用に洋酒を控えめにはしているが、それでも生クリームよりは保つ。白さが光る堅めのケーキをビニールと風呂敷で包むと、蘭はそのかさばる塊を、桃の腕にそっと乗せた。
包みの重さを確かめ、頷いた桃に微笑んで、縁側の硝子戸を開ける。
灰色の空には、雪は見えない。この場所には、重い雪がたくさん降ると聞いていたのに。拍子抜けした気持ちが、蘭の胸を過った。
「油断していると、どかっと降るからね、ここの雪は」
クリスマスだというのにアルバイトに行っている楓の、幻の声が、蘭の耳を震わせる。しかし今は、雪は無い。
不意に、蘭と桃を照らしていた明かりが消える。
現れた漆黒の闇の中に見えた、茫漠とした光に、蘭は桃の背を押した。
柔らかな光の中から、一人の人が、蘭と桃の前に立つ。あの写真の中で、桜色の振袖を身につけていた、桃の姉にあたる人。あの写真に写っていた女性達は皆、惨い時代に抗うことなく消えていったと、蔵の中にあった日記帳と思われるものに書かれていた。楓経由で聞いた、蔵の書物を分析した社会学の教授の言葉を思い出す。おそらく、桃も、桃の姉にあたるこの人も。
「大丈夫」
震える桃の背に、小さく呟く。
姉についていくか、ここに残るかは、桃自身が決めること。蘭にできることは、桃の気の済むようにさせることだけ。
蘭の方を振り向き、頷いた桃が、光の方へと小さく一歩、踏み出す。小さな身体をふわりと包んだ光が、百鬼夜行と共に消えるまで、蘭は冷たい空気の中に佇んでいた。