冷たさの中の安堵
「蘭!」
爪先で脇腹をつつかれ、物憂げに目を開く。
「こんなところで寝てたら風邪引くよ!」
既に学校とアルバイトは終わったらしい、夕闇が迫る縁側に、楓の、蘭と同じ色の瞳が見えた。
「しかも扉開け放ったままだし。不用心」
次々と投げつけられる言葉は、強いが正鵠を得ている。硝子戸を乱暴に閉めていく楓の足音を聞きながら、ぐすぐす言っている鼻の奥を『不死身』の能力で解消する。蘭の風邪は大事にはならないが、桃は。傍らで小さく動く毛布に、蘭は自分が被っていた上掛けを追加した。
「あ、そうそう」
その蘭の頭上から、楓の言葉が降ってくる。
「蘭が言ってた、蔵の歴史書? 社会学の先生が興味あるって」
次に降ってきた明るい言葉に、蘭は半ば呆然と楓を見上げた。
「ほ、本当?」
うわずった言葉に、楓が頷くのが見える。
「今度の休みに見に来ても良いかって、先生訊いてた」
「もちろん」
蘭を見てにやりと笑った楓の、父親似の頬に、蘭はほっと胸を撫で下ろした。うまくいけば、書物達の引取先が、できる。
その数週間後。
家の敷地内に入ってくるバンを、硝子戸を開け放った縁側から見つめる。
白色の、少し薄汚れたその車から降りてきた初老の人物に、玄関から飛び出した楓が挨拶するのを見届けてから、蘭も、縁側で毛布を被って眠っている桃を見やってから、殊更ゆっくりと家の外へと身を移した。
僅かな日差しが、着慣れない洋服に当たる。他人に会うのだから、この世界の服装をしないといけない。それは、しっかりと理解している。だが。やはり、いつも着ている直垂と四幅袴の方が寒さを防いでくれるように感じる。ぎこちなく、社会学の教授である初老の男に向かって頭を下げてから、蘭はバンの横に止まった、これも薄汚れた車から降りてきた元気な青年達、教授の手伝いをしているという学生達を土壁の蔵へと案内した。
寒さをものともしない薄着の群れが次々と、蔵の中の書物を教授のバンへと運び込む。
楓が紹介してくれた、楓が通う大学の教授は、蔵の中の書物を全て自分の研究室へと引き取ってくれた。地方の小さな大学は、研究を維持するお金すら無いと聞いているのに。無理をして、いないだろうか? そっと覗った初老の顔に憂いがないことを見て取ると、蘭は誰にも知られないようにそっと、胸を撫で下ろした。
これで、書物の行き先は決まった。後は、着物だけ。これも今、楓の携帯電話で撮ったデジタル写真をメール添付で、蘭の知り合いに送っている。おそらく着物の方もすぐに、行き先が決まるだろう。雪の降りそうな空に何故か安らぎを覚え、蘭は今度は大きく息を吐いた。