百鬼夜行と山茶花
不意に、手元が見えなくなる。
縫っていた布を近くのちゃぶ台に手探りだけで置き、蘭はおもむろに辺りを見回した。
天井にくっついている電灯は、すっかり光を失っている。電灯だけではない。少し上の方でこちこちと時を刻み続けていた時計も、隣の台所でブーンといううなり声を立てていた古い冷蔵庫も、すっかり鳴りをひそめている。停電か? 久しぶりの暗闇に、首を傾げる。この、殆どの不愉快を排除した、快適に見える場所に、珍しい。
暗闇に慣れた瞳で、立ち上がる。
音を立てることなく襖を開き、縁側の冷たい床に足を下ろすと、蘭はしっかりと閉めていたカーテンをさらりと開いた。
少しだけ曇った硝子の向こうも、また暗闇。収穫を終えた田とその間をうねる道の向こうにそびえ立つショッピングモール群の四角だけが、更に濃い影を暗闇に際立たせている。この辺り一帯が停電になっているようだ。星の無い夜空に小さく息を吐くと、蘭は掴んだままのカーテンをゆっくりと自分の方へと引き寄せた。夜も遅い。寝るべきだ。
と、その時。
月でも星でもない、茫漠とした光が、ふわりと、蘭の視界端を横切る。何だろう? 好奇心のままに、蘭は縁側の硝子戸を開け、外の地面に裸足の足を下ろした。
その蘭の目の前で、茫漠とした光が複数の、人とも獣とも物ともつかぬ形を取る。この世のものではないその姿に、蘭の背は、……震えなかった。
〈百鬼夜行〉
平然と、目の前を横切る怪異を見据える。
千年を生きる蘭だから、ある意味、その存在は、怪異と同じ。
逃げもせず自分たちを見ている蘭を見咎めたのか、茫漠とした光の帯の中から、一つの光が蘭の方へとふわりと近づく。何か、用があるのだろうか? 首を傾げた蘭の前に不意に差し出されたのは、厚い緑の葉と赤い花を持った、一本の小さな枝。
〈山茶花〉
ぎざぎざした葉の形から、その花を一瞬で判別する。次の瞬間、伸ばしたとも見えぬ蘭の手の中に、その枝はあった。
〈これは、一体?〉
既に消えてしまっている、蘭に枝を手渡した光に、首を傾げる。百鬼夜行に見えた、茫漠とした光の帯も既に消え、遠くのショッピングモール群を照らす光が、辺りを薄明るく照らしていた。
本当に、一体、何だったのだろう? 怪異が消えても消えそうにない、手の中の鮮やかな色の枝に、もう一度首を傾げる。とにかく、この山茶花の枝は、もらっておくのが良いのだろう。もう一度、小さく息を吐くと、蘭は自分に宛がわれた仮の部屋の方へと足を向けた。