第4話 演技指導
「『西九条』くん。このシーンはこれで終わりにしよう。」
『西九条れいな』がNGを連発する。
この女にしては珍しい。主演した映画やテレビドラマで出したNGは数えるほどしか無いらしく。今まで撮影したシーンも1発OKばかりだった。
なのに真正面からこの見つめあうシーンに限って、突然NGを連発しだしたのである。
こっちが相手の考え出した通りの演技をしているというのに演技の途中でピタリと止まり何かを考え込む。
そして、こっちの演技内容から変えてくる。この堂々巡りが繰り返されており、10分で終わるはずのシーンが10時間掛かっても終わらない。痺れを切らしたスギヤマ監督が止めに入った。本当にいい加減にしてほしい。
「監督。それは方向性が違うということでしょうか?」
何だ方向性って。恋人同士の役柄だから真正面で見つめ合うシーンでも吹き出しそうなのを僕が必死で我慢しているっていうのに、これ以上どうすると言うのだろう。
「方向性は合っている。君がNGを出すたびに質は上がっているのだが、このシーンは重要な見せ所じゃないんだ。ここだけ変に熱の入った演技をされてしまっては浮いて見えてしまう。」
このシーンを彼女の最上のシーンにしたいらしいが監督の思いとは違ったようだ。
出来上がった映像を見るとまるで本物の恋人同士にしか見えない。この映画を見た人たちは僕たちの俳優同士という関係に疑いを持つかもしれない。そんな構成にやっと相手の意図が見えた気がした。
なんて人間だ。こんな人間に天賦の才能を与えなくても良いじゃないか。
僕は背筋が凍る思いをする。彼女はその才能で人の心も操れるのかもしれない。魔法を持たない魔女だ。こんな女から僕は逃げ続けなくてはいけないらしい。
「そうだぞ。ひとつのシーンを撮るのに10時間も掛けるなよ。本当なら10分で終わるところだぞ。」
『勇者』としての意地で震える心を落ち着かせる。そうすると目の前の女が睨みつけてきた。僕が魔法に掛からないのが不満なのだろう。
なるほど、この女とて人間なんだ。
今日は本当なら移動を含めて5つのシーンを完了させるつもりがおじゃんになった。スケジュール変更を余儀なくされてしまった。
それでなくてもドッグカフェは週の半分をアルバイトたちに任せているというのに。当初のスケジュールを大幅にオーバーしており、有料会員のお客様に屋上のジャグジーを無料開放するだけで納得してくれるかヒヤヒヤものなのだ。
「わかったわよ。」
僕の演技内容に納得出来ないのはわかるけど、鏡みたいなもんなんだから納得しようよ。
「大丈夫なのか?」
ようやく濡れ場までたどり着いた。和重さんから代役の件は通ったという話だったけど、この分では納得できずにやっぱり自分でやりたいとか言い出すんじゃなかろうか。
「何がよ。」
やっぱり納得してないじゃないか。
「これから濡れ場なんだぞ。君は清楚な社長令嬢で遊び人の男の部屋に上がり込んでいくシーンだろうが。」
安アパートに住む僕が玄関扉から入ろうとするところを後ろから抱き締めるんだったよな。
「大丈夫よ。濡れ場は別撮りだし。」
良かった。意地悪そうな顔だ。これまで濡れ場の話を全くして来なかったから、焦っていたんだよな。騙し討ちのつもりだったようだ。やっぱり性格が悪いぞ。この女。
「・・・。」
とりあえず1分くらい固まった振りをして、漫画で良くあるように首が軋むようにそちらの方向を向く。やっぱり、アドリブって苦手だ。
「何よ聞いて無かったの? 私には和重が居るのよ。映画の中とはいえ、余所の男の人と身体を重ねるわけがないでしょ。」
そういう理由で押し通したようだ。監督もこの女には甘いよな。今回はありがたいけど。
とにかく何も知らなかった振りだよな。大きく目を見開くって感じかな。
「聞いてねえよ。僕は人形相手に濡れ場を演じなくてはならないのか?」
知らない振り、知らない振り。僕は何も知らない!
「本当に聞いて無いのね。貴方の相手役は『ユウ』が務めるわ。良かったわね。身体の線が崩れない女で。」
以前、犬噛巳村で『ユウ』の裸体を見たときに言ったことを気にしていたらしい。
う・・・ん・・・そう言えば、身体のライン少し引き締まっているみたい。映画の撮影前に鍛え直したな。あんまり無理をするとお肌の状態が最悪なことになることを知らないのか?
道理で化粧が濃いと思ったんだ。瑤子さんじゃ無いんだから、ゆっくりと年齢を重ねていくのが普通なのになあ。