第1話 代役
「もちろん、賛同するとも。だが既にプロジェクトは動いているんだ。君も山田社長に損をさせる気は無いのだろ?」
七星映画を傘下に持つスターグループのオーナーである和重さんだから、グループの損得勘定には敏感だ。球団社長が出資していることも知っているらしい。
「はい。球団社長から直々に出演依頼があったので拒絶できるとは思っていません。ですが濡れ場だけ代役ということも出来るんじゃないですか?」
とにかく、あの女じゃなければ誰でもいいのだ。最悪、人形相手でも構わないつもりだ。まあその場合はあの女にも人形相手にお手本の演技をして貰うつもりだけど。
「無理じゃないかな。そんな都合良く志保にソックリな女性なんて・・・。」
井筒志保が『西九条れいな』の本名だ。ご主人も芸能界の人間だから、他の男と濡れ場を演じても平気だと勘違いしているらしい。
やっぱり無理か。瑤子さんにお願いしたら嫌がりそうだし、見学中『西九条れいな』とのラブシーンを見てヒステリーを起こされたら困る。あとはタマくらいだが確実にロリコン認定されそうだ。
タマは犬噛巳村の連続殺人事件のときに知り合った犬神である。普段は犬の姿だが人の姿にもなれる。餌をあげたことで主従関係にある。本犬は恋人関係に発展させたいらしいので断らないだろう。
タマと主従関係を持ったことで霊感という第6の感覚が備わってしまった。しかも『超感覚』スキルが影響するらしい。陰陽師の家系だという明字家当主兼社長秘書という肩書きを持つ女性から連絡があったのだが、どうなっただろうか。俳優業よりも余程、儲かりそうで興味があるんだけどな。
「ん、待てよ。居る。居るじゃないか。それも代役という秘密も守ってくれそうな人間が。」
和重さんが何かを閃いたようだ。
「誰なんです。その女性は。」
「君も犬噛巳村で遭っているはずだぞ。」
焦らすなあ。しかもニヤニヤと嫌な笑いをしている。犬噛巳村で会った和重さんが良く知っている女性か。
「まさか『一条ゆり』さんですか?」
21世紀に入ったばかりだというのに今世紀最後の清純派女優と呼ばれている女性だ。『西九条れいな』を女優として育てあげた後見人としても有名らしい。
麓の温泉地でお会いしたよな。
そのときは本当に心配している様子で同行していた息子の『一条裕也』よりも養女に迎えた『西九条れいな』を先に抱きついていた。
女性は化粧で年が誤魔化せるからな。それにスタジオならライティングで皺なんか目立たなくなってしまう。
でもあんな大女優が引き受けてくれるのか?
「幾ら君が年増好きでも無理だろう?」
酷い言われようだ。志正から間違った情報が伝わっているらしい。
「別に無理じゃないですけど。」
殆ど尚子さんと同年代のはずである。尚子さんよりは随分若作りだけど。
振り付け師の師匠でもある荻尚子さんとは僕がプロ野球選手をしていたころに知り合ってからだから長い。僕の母親に似た容貌の彼女の屋敷で起きた連続殺人事件を解決した報酬に強引に同居したこともある。
「まあ、それはいずれ機会があれば紹介するよ。あの人は身持ちが堅いからそう簡単には落ちないぞ。」
なんか誤解されているようだ。尚子さんの屋敷で彼女と同年代の女性3人と共に同居生活を送っていたところを同じ『勇者』の志正に目撃され、勝手に付けられた『熟女キラー』というあだ名を知っているのだろうか。志正もテレビ番組には良く出ているので交流があるのかもしれないな。
「『一条ゆり』さん以外に誰かにお会いしましたでしょうか?」
市子さんとかじゃないよな。和重さんと直接面識は無いはずだ。
『西九条れいな』と関わった連続殺人があった犬噛巳村の主格。犬噛家の当主で所有していた犬神のタマと主従関係を結んでからは良好な関係を作っている。
「『ユウ』だよ。裕也だ。奴はこの映画で俳優として再デビューを目論んでいる。そこにデザートまで付くんだ。是が非でも頑張るだろうさ。」
男優『一条裕也』は性転換したニューハーフで『ユウ』として女優もできるマルチ俳優として有名だ。
しかし僕はデザートかよ。天敵の『西九条れいな』と身体を重ねるか。ニューハーフと身体を重ねるか。と言われれば圧倒的に後者だよな。元男性なら身体が反応しても笑って許してくれそうだし、反応しなければ問題無いんだし。
「それで行きましょう。」
「お前って、本当に志保が嫌いなんだな。」
呆れた顔をされてしまった。
「すみません。」
しまった。言い過ぎたかな。旦那さんにしてみれば自分の趣味を全否定されたも同然だものな。怒って当然だ。
「いや、いいんだけどな。いざという時には味方になってくれることは判っているから。でも志保の何処が嫌いなんだ? 無神経なところか? 天才肌なところか? 空気読まねえところか?」
いっぱいあるなあ。そんなにたくさん嫌なところがあるのになんで結婚したんだろう和重さんは。
「そうですね。・・・あの人って周囲の皆さんに迷惑を掛けるじゃないですか、そこが嫌いなんです。」
僕は慎重に答える。こんなところで躓くわけにはいかない。
球団社長が裏から手を回していることも多い。それは直接、僕たち『勇者』が被害に遭う確率が高いのだ。
「そうだよな。那須くんっていいやつだな。俺なんて迷惑掛けられ続けてボロボロだよ。どれだけ注意してもわからなくてよ。」
とりあえず和重さんから提案して貰う約束を取り付けた。
その後、延々と愚痴が続き、そのまま夜の街に突入していった。絡み酒は嫌だけど瑤子さんで慣れているし、ダンスのレッスンで訪れているニューハーフショーパブ『ガラスヤ』に閉店前に入って、お姉様たちとアフターに行ってしまった。
そう言う趣味なのか。なるほど、噂と違って『西九条れいな』は男らしいからな。中性がタイプなんだな。
スギヤマ監督に対してはダンスシーンの振り付けをしたときの伝手を使って映画のスタッフに接触していく。なかなかの好感触だ。ここでも『西九条れいな』は無神経な発言をして嫌われているらしい。これはこれで注意人物として渚佑子さんに報告が必要そうなレベルだっだ。
でも出来るのはここまでだ。映画に関してはスギヤマ監督の機嫌を損ねるとちゃぶ台返しをされてしまう。他の俳優に接触するのも危険だ。主役級の役柄を頂いている関係上、密告される可能性が高い。
本来なら『一条裕也』さんには接触しておきたいところだが彼は『西九条れいな』の懐奥深くに居る。事前に会えば全てがバレてしまうことさえあるだろう。
そもそも『一条裕也』と『西九条れいな』の関係性さえも良くわからない。渚佑子さんは知っているみたいだったけど内情までは漏らしてくれない。単なる義兄妹以上の関係なのは確かだと思う。