第8話:支配するは静寂
硬質堅牢な鋼性建材によって作られた床と壁。程好い高さを持ち、極度の圧迫感を与えぬよう考慮されている天井。
天井と壁の狭間になる直角部へ設けられた電子灯が、温かな光量で世界を照らす。
乗り込み口から艦内へ入ったキリエ達は、長く続く通路を艦橋目指して進んでいた。
エクセリオンと同規格構造の為、間取りは手に取るように判る。
言うなれば自らの住居を進むのに等しい行為。迷う筈もなく、彼女等の行軍は至ってスムーズだった。
しかし此処へ踏み入ってからというもの、拭えない違和感が一同に付き纏っている。
見た目は馴染みある艦内だというのに、何処とも知れない未知の領域を歩いているような、何とも言えない奇妙な感覚。
それはフィルモアの調査に赴いた四人中、誰一人として過去に感じた事がないものだった。
「なんかぁ、変な感じだねー」
通路を見回しながら、カーナは胸中の感想を口にする。
彼女の前方を進むシュウカが、視線を方々へ這わせながらこれに応じた。
「あぁ、確かに。なんつーか、誰かに見られてるような……居心地悪ぃ気分だぜ」
後方の少女に同意を示し、シュウカはあからさまに顔を顰める。
その思いは一同の先頭を行くキリエ、最後尾に付いて進むレンにも同様であった。
「薄気味悪さもあるが、それにしたって静かだね。静かすぎる」
キリエは俄かに目を細め、異様なまでの静寂さを指摘する。
見た目には普段と大差ないように見えるが、今のキリエは周囲を満遍なく警戒し、些細な変化も見逃すまいと意識を研ぎ澄ませていた。
空間に立ち込める異質な空気が、彼女の持つ戦士としての本能を刺激して止まないのだろう。
歩行は極めて自然体ながら、肩に掛けた大型可変式多目的兵装――トランクに似た長方型の物体だ――へ手を添え、何時でも展開可能な体勢を作っていた。
「こっちにも反応がない。まるで無人だ」
小型の情報端末ツールを片手に持ち、その画面を眺めたままレンが告げる。
実機は片手に収まる程度の大きさで、これを介し三次元空間上へホログラムモニターが現された。
画面内には、艦内各所へ散った作業メカの内蔵カメラへ映る映像が、随時送信表示されている。
だというのに、レンが見遣る情報ツールモニターには、人影一つとして映ってはいない。
「幾らなんでも、これは異常だぞ」
モニターに視線を固定して、レンは難しい顔をする。
何かの事故、例えば危険なウィルスが艦内に蔓延したとか、有毒ガスが漏れ出したとか、そうした問題で乗組員が死亡したのなら、死体の一つや二つ転がっていてもおかしくはない。
尤も、先行する作業メカの環境チェックによって人体に有害な物質等は検出されなかったので、それはないだろうが。
何にしても、50人単位の乗員が乗り込んで居る筈の探査艦内にあって、人っ子一人見付けられないのは異常と表現するより他ない。
「はっ、これじゃ幽霊船だね」
募る不安を払うように、キリエが嘲笑めいた吐息を零す。
これを聞いたカーナは身を震わせて、前を進むシュウカの背中にしがみ付いた。
「ゆ、幽霊?お化けでるの?」
「なわきゃねぇだろうが。オラ、邪魔だぞ。離れろよ」
「だ、だってぇ〜」
片眉を上げて文句言うシュウカへ、カーナは怯えた目を向ける。
迷惑そうな顔で嘆息する赤髪女性を見ながら、それでもカーナは、シュウカのタンクトップ裾を握ったまま離さない。
「テメェなぁ、そんなに怖ぇならさっさと帰りやがれ」
「ふみ〜ん」
怯える年下少女を思いっきり邪険にして、シュウカは対象を睨み付ける。
注がれる視線を見付け返し、カーナは否定の形に首を振った。それに合わせて、黄金色のポニーテールが左右へ揺れる。
カーナは幽霊云々いう怪談話に滅法弱い。
どれぐらい弱いかと言うと、それに類する話を聞いた晩は一人でトイレに行けない程だ。
「ったく」
何を言っても離れそうにないカーナの様子に、シュウカは一つ盛大な舌打ちをする。
それから文句の続投を止め、意識の範疇をカーナより外して辺りへ戻した。
「好きにしろよ」
シュウカは憮然とした面持ちで、投げやりに言い放つ。
言う事を聞かないカーナに諦めたのか。握られた裾越しに伝わってくる、少女の震えようを感じたからか。
「うん」
相手の言葉へ頷き返し、カーナはより強く裾を握る。
口喧嘩に始まるいがみ合いを、ほぼ毎日のように繰り返す二人であるが、けして仲が悪いという事ではない。
寧ろ馬は合っている程で、両者の関係は喧嘩友達とでも呼べるものだ。
粗野で粗暴なシュウカと、能天気なカーナ。一見正反対な二人であるが、性格の不一致が逆に良い凸凹コンビを形成していると言える。
傍から見ると、何となく姉妹のようにも感じられる二人。エクセリオン乗組員の多くは、シュウカとカーナ揃って1セットと考える者が圧倒的に多い。
そんな彼女等の遣り取りが為される最中も一団の歩は止まる事無く、移動距離の消化は順調に進んでいた。
結局これといった異変も、他の乗員に出会う事もないまま、四人は目的の場所へ到着する事となる。
艦内で最も広い中央通路を辿り、最短距離を以って調査隊は艦橋区へと到達した。
「此処だね。誰か居るか?居なくても、何か手掛かりぐらいあって欲しいもんだ」
自艦と寸分違わぬ構成の扉を前に、キリエは僅かな期待を込めて呟く。
然る後、右手で扉横の壁面に据えられたコントロールパネルに触れた。
本来に於いて探査艦の各部屋扉は、事前にプログラムされている乗員のパーソナルデータを鍵として開閉する仕組みである。
即ち乗員の遺伝子情報こそが、ロック解除の必要物という事。
エクセリオンの場合、キリエやレン、シュウカにカーナという乗組員の遺伝子情報が艦の中枢システムにインプットされており、自室や共同施設の扉を開けるのに、各員の存在が欠かせない。
艦内は常に環境センサーが全域へ走らされ、該当者の接近、或いは接触によってロックの解除と扉の開放が実行されるのだ。
カードキーや暗証番号は不要であり、己の身一つが証明となる。(一部重要なセクションには、専用のパスコードが必要な場合もあり)
これは部外者が艦内を自由に歩き回れないよう考慮されたセキュリティシステムで、大戦期の戦艦にも採用されていた。
資源惑星開発公団所属の全艦に共通した仕様である。
それ故に、キリエがコントロールパネルに触れようが、艦橋への扉が開く筈はないのだ。
彼女とてそれは心得ているが、取り合えず物は試しと言う所。どうせ開かないだろうから、 その時は持参した武器で強引に抉じ開けるつもりであった。
だが、そんなキリエの予想に反し。
「おや、開いちまったよ」
艦橋と通路を隔てる扉は、微かな駆動音を響かせて自動的にスライドする。
まるでエクセリオンの中であるかのように、扉は事も無く開いたしまった。
「……電源が死んでいる訳じゃなさそうだ。予め、ロックが解除されていたのか?いや、この 場合は何かしらの要因で機能していないと考えるべきか」
容易く開いた扉を見て、レンは眼鏡を押し上げながら思案する。
幾つもの可能性はあるが、どれ一つとして決定的な証拠はない。
正体の知れない不気味さは警戒の念を強め、彼の表情を更に厳しくさせた。
「カギ、掛け忘れたのかな?」
「へっ、だったらよっぽど慌ててたんだろうぜ」
シュウカの背後から顔を出し、扉を眺めるカーナの感想。
それを茶化すように笑い、シュウカは開かれた艦橋への道を覗き込んだ。
「ここで考えてても埒は明かない。中に入って、直接調べようじゃないか」
一同に述べて、キリエは先頭に立ったまま艦橋内へと踏み入って行く。
それへシュウカとカーナも続き、僅かに逡巡してからレンも従った。
些細な予想外が幾つも並んでいるフィルモア内部。その意味と答えが艦橋にある事を願い、四人は今、その内へ。