第6話:あの艦は
「皆、大丈夫かい?」
衝撃と震動の治まった艦橋内で、艦長席の背凭れに寄り掛かりながら、キリエが一同へ問う。
航宙艦同士の接触によって引き起こされた激震は、艦体内部にも大きな影響を与えた。
艦橋部での各員はコンソールにしがみ付いていたり、座席から転げ落ちていたり、見た目に無事と言い難い様子である。
それでも決定的な負傷者は居らず、各々よろめきながらも、体勢を立て直し始めていた。
「ふみ〜死ぬかと思ったぁ〜」
カーナは涙目になって、コンソール下より這い出してくる。
先の衝撃で頭をぶつけたらしく、軽いコブになった頭頂を両手で擦りながら。
「ったく、マジでビビったぜ」
自分の座席肘掛に手を付いて、シュウカは床から起き上がる。
接触時の反動で席から放り出され、床に倒れ込んでいた。
全身を強打したが目立った外傷はなく、体の動きも特に問題はない。常日頃から筋トレ等で鍛えている賜物だろうか。
「……問題ありません」
ラウル同様に座席からは離れていないルーリーも、自らの無事を声に出して報せる。
大揺れの瞬間、咄嗟に面前のコンソールにしがみついてコレを遣り過ごしたのだ。
顔の半分を覆い隠す前髪の所為で表情は判然としないが、小刻みに震えている体から、彼女が感じたろう恐怖が窺い知れた。
感情味に乏しく、常時平坦な精神状態を維持するルーリーだが、その実は年端も行かぬ少女。エクセリオンに乗船しているクルーの中では最年少である。
普段は達観して大人びた印象を受けるも、今回のような予期せぬ突発的事変に際しては、年相応の脆さを覗かせて然り。
これで平然としていたら、そっちの方が不気味ではなかろうか。
「カーナ、艦内の状況は?」
皆の無事を目視で確認しながら、レンは座席より腰を浮かせて状況確認に入る。
各自に混乱覚めやらぬという状態の中、副官としての職務を全うしようという姿勢は彼らしい。
5歳ばかり年上の上司に応ずべく、カーナは自分の席へ戻った。
「え〜っと、各部署特に問題ないみたいでーす。艦内G圧も正常、内部には損壊箇所が見られませーん」
艦内情報が随時表示されるメインモニターを見ながら、カーナは現状を報告する。
「でもぉ、艦腹部の外装甲体が第8区から17区まで、ごっそりエグれちゃってまーす」
「さっきの衝撃でか。生命維持と航行に問題は?」
「艦内機構には到達していないのでぇ、今の所大丈夫でーす」
「判った。しかし油断は出来ないな。後で整備班に改修作業をやらせるべきか」
艦内管理オペレーターより伝えられた被害の実情を元に、レンは今後の方向性を思案する。
顎に手を当て、僅かに俯き、考え込むレンの姿を見てから、キリエはもう一度顔を正面へ向けた。
「よーし、皆無事そうだね。時にラウル、良くやった。見事な腕前、大したもんさ。アンタのお陰で助かったよ」
個々の無事を認めて頷き、次いで操舵手へ労いの言葉を掛ける。
艦長直々の感謝言へ、ラウルは振り返って頬を掻いた。
「なんや改まって言われると、こそばゆいでんなぁ。せやけどま、艦を動かすんがワイの仕事やし、やらへんかったらワイかて逝ってしもうとったさかい」
口では謙遜気味な台詞を紡ぐも、細目は特徴的な顔は喜色を湛えている。キリエの謝辞に満更でもない様子。
自分でさえ不可能と思っていた艦運を見事に成功させた興奮と、皆を救ってみせた達成感から、何時も締まりのない顔は更に緩んでいた。
資源惑星開発公団に入る以前は、コロニー間を往来する航宙艇の運転士として、荷運び作業を仕事としていたラウル。
来る日も来る日も物言わぬ無機物を延々と運ぶだけの、影が薄く地味な仕事である。
しかも休日祝日関係なしに仕事は続き、薄給。
そんな日の光が当たらない存在だった彼が、大勢の命を自らの運転技術で救ったのだ。誰よりも驚いているのはラウル自身であり、喜んでいるのもラウル自身。
彼は今この瞬間、25年の人生で最も輝いていた。
「アンタは充分役に立った。もっと自分の腕を誇りな」
キリエは白い歯を覗かせて、悦っぽいふやけ顔のラウルへ笑い掛ける。
「さて」
その後、艦長席前面に設けられている幾多の操作パネルへ腕を伸ばし、艦内通信用の全域回線を開いた。
途端に幾つものホログラムモニターが空中に出現し、その一つ一つにエクセリオン内部の映像を映し出す。
食堂や浴場、通路、資材保管庫に医務室等が表示されるモニターを前に、キリエは威厳ある声を放った。
「全乗員、怪我はないか?もし負傷者が居るなら、速やかに医務室に行って適切な処置を受けよ」
艦長の雄々しい声は乗組員達に司令塔の無事を教え、混乱する彼等の心へ平静さを取り戻させる作用がある。
キリエが生来より具えるカリスマ性は、こうした場合に皆の精神を安定させる事にも効力を発揮した。
「今の衝撃は、本艦がゲートジャンプ終了地にあった同型艦と、予期せぬ接触事故を起こした為に発生した。幸いにして外壁の幾らかが破損した程度で航行システムに支障はない」
これを述べるキリエの姿は、艦の至る所に浮かび出たホログラムモニター上で確認出来る。
エクセリオンの乗員達は皆このモニターを眺め見て、艦長の言葉より何が起こったかを理解していった。
情報の開示は仲間の信頼と得ると同時、総員の連帯感を強めて、事態の収拾及び早急な改善を促す重要な作業である。
秘密主義を貫く事で無用な混乱を防ぐ方法もあるが、自分の知った事を等しく部下へ報せるのがキリエの流儀。
皆が同じ位置で情報を共有し、自由に意見交換、状況の推移が行えるような関係の構築。それこそがキリエの望む組織の在り方だ。
一部分の者だけが真実を知り、他の者がそれを知らされぬまま、或いは虚偽の情報を与えられそれを偽りと気付かぬまま進む形は、何処かで亀裂が生じた場合に関係修復が難しい。
上下間に於ける信頼度の温度差は、いざという時に致命的な問題を引き起こしかねない要因である。
その危惧を事前に廃し、常に良好な関係維持に努めるのは、キリエが軍時代から心掛けてきた部隊統率の手法が要。
彼女はこの失敗により破滅してきた者を何人も見ており、若かりし頃、上官の裏切りに類する行為で危地に立たされた経験を持つ。当時の苦い思い出と、激憤に基く教訓を土台とした遣り方なのだ。
「しかしまだ安全が確定した訳ではない。今暫くは、総員持ち場を離れるな」
その言葉を締めとして、キリエは通信回線を閉じる。
艦長席前方と艦内各所に現れていたモニターは、これを以って全て同時に消失した。
「……先程接触した艦の割り出しが終了しました」
キリエが艦内放送を行っている間に、データベースへの照合を試みたルーリー。
答えが得られた旨を告げると、思考に耽っていたレンが意識を切り替えて顔を上げた。
「……資源惑星開発公団第二期公団軍所属、探査艦フィルモアと確認」
「何だって?」
モニターを見詰めながら淡々と告げるルーリーの言葉に、レンは目を瞠る。
信じ難いという表情を浮かべ、索敵担当にもう一度確認をとった。
「間違いないんだな?」
「……はい。……相手艦から発信されている通信周波の固定パターンと、データベースに記載されている物が合致しました」
相変わらずモニターを注視した状態で、ルーリーは上司に応じる。
これを受けたレンは相手の言葉内から拾い上げた別の疑問を、担当官の背へと投げた。
「通信状態なのか?向こうと連絡は?」
「……雑音が酷く、何も聞き取れません。……それと通信回線は開いていますが、何かが発信されている様子はありません」
尚も振り返る事無く、ルーリーは一定の声音で情報を送る。
エクセリオンの副官は再び思案顔を作り、左中指で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「第二期公団軍の探査艦が、今の時期にこんな宙域を航行しているという事は、恐らく目的の資源惑星を見付け、サンプルを持ち帰る途中という事だろう。けれど何故あんな事を……何かあったのか?」
独りでブツブツと呟きながら、レンは脳内で考えを巡らす。
そんな彼を余所に、席へ戻ったシュウカは率直な疑問を口にした。
「フィルモアって何だ?」
「知らなーい」
ルーリーの述べた艦名に首を傾げるシュウカへ続き、カーナも頭を左右へ振る。
この二人、基本的に興味ない事やどーでもよさそうな事にはトコトン無頓着。例え自分達と同じ組織に属す物であれ、艦名を覚えるような事はまずしない。
カーナに至っては、自分の乗っている艦の名前すら知っているか怪しい程だ。
「……第二期公団軍のフィルモアと言えば、グレッグ・ロンウェーズ元提督が乗っている筈の艦」
無知な砲撃手と艦内オペレーターに背を向けた状態で、ルーリーは公団所属者なら知っていて当然の知識を晒す。
だがカーナは顔に『?』を浮かべて、これにも理解を示さない。
「フロッグって誰?カエル?」
「馬鹿、フロッグじゃねぇよ。グレッグだ。グレッグ・ロンウェーズ」
これにはシュウカも溜息混じりで、カーナの無知ぶりを批判する。
一方のカーナはと言えば、脳味噌まで筋肉で出来ていそうなシュウカに馬鹿にされた為、かなり面白くなさそうだ。
「むぅ〜、ならマシューは知ってるのかよー」
憮然とした面持ちで頬を膨らませ、年上の砲撃手へ抗議する。
シュウカはこの問い掛けに鼻を鳴らし、然も当然という調子で応えてみせた。
「あたぼうよ。グレッグ・ロンウェーズと言やぁ、大戦期にブイブイいわせてた統一政府の将校よ。全戦全勝で英雄とか何とか呼ばれてるオッサンだぜ」
得意気に自分の知識を披露するシュウカだが、その説明法には教養が感じられない。
また、かなりの知名度を持つ人物なので、知っていても全然自慢にはならないのだが。
「むむぅ〜」
それでもカーナは悔しそうに唸る。
「ふっふ〜ん」
その様子を見て、ニヤリと笑ってみせるシュウカ。
「……愉快な人達」
こんな二人の遣り取りを背中越しに聞きながら、ルーリーは誰とはなしに呟くのだった。