第4話:副官の憂鬱
艦橋部上層に位置付く艦長席。そこには恰幅のいい中年女性が腰掛け、遠く果てない宇宙を眺めている。
身に着けているのは資源惑星開発公団の男性用ユニフォーム。
艦長の証である鯨を描いた襟章が、彼女の地位を明確に示していた。
当艦最高責任者であり、探査艦エクセリオンの艦長を務める女性の名は、キリエ・マクウェガー。当年とって43歳。
190cmに近い長身を誇り、全身の筋肉は鋼線を何本も捩り合わせたように厚く逞しい。
セミショートに纏められた紫髪の下、覗く顔は鉄を彫り込んだような鋭さを持ち、歴戦の猛者たる威風を湛え精悍。
全体の雰囲気からして、静かに眠る獅子を思わせる。
そんなキリエの座す艦長席が隣りには、彼女を補佐すべき立場にある副官が、直立不動の姿勢で立っていた。
茶髪に色白、眼鏡を掛けた痩躯の青年。身長は170程。
真面目そうな顔の通り、公団正式ユニフォームをぴっしりと着こなしている。
若干21歳で副官という大任を与えられた彼の名前は、レン・ナカジョウ。
「いいんですか、艦長?」
眼鏡の奥にある双眸で下層の面子を見遣りながら、レンはキリエへと問う。
質問を受けた側は星屑の大海から、副官と同じ箇所へと視線を流した。
「構やしないよ。若い奴等はね、喧嘩するぐらいの元気があって丁度いいのさ」
未だ言い合いを演じるカーナとシュウカを瞳へ映し、キリエは口の端を吊り上げる。
既に日常の1コマと化した二人の口喧嘩は、キリエにとって子犬のじゃれ合いに等しい行為。
それが彼女等なりの交流法だと心得ている故、敢えて口出しはしない。尤も、一番最初から両者の喧嘩紛いな遣り取りには不干渉だったが。
キリエは基本的に放任主義である。
規律や艦則という物を然程重視はせず、各々のやりたいようにやらせてやろう、という姿勢だ。
その結果が、現艦橋メンバーの姿。当然、キリエはこれを容認している。
一方、寛容というか豪快というか大雑把な艦長とは対照的に、艦内の秩序維持へ躍起となっているのが副官だった。
「違います。自分が言いたいのは、彼女達に仕事をさせないでいいのか、という事です」
レンはキリエへと顔を向け、眼鏡を押し上げながら、下層の面子を指し示す。
ギャンギャン吠え立て罵詈雑言を投げ合う少女等を横目に、艦内唯一の上司へ該当者の職務放棄問題を訴えた。
「何を言うか思えば。そんなこたぁ、気にする必要ないさ」
副官の提言を鼻で笑い、キリエは顔の横で片手をヒラヒラ振って、彼の懸念を制す。
これを見るレンが不服そうな顔をするのを尻目に、彼女は言葉を続けた。
「此処は宇宙のド真ん中だよ。見ての通り、周りにゃ何もない。気張って仕事する必要もないさ。手ぇ抜ける所では手ぇ抜いときな」
不遜な笑みと共に吐き出される、凡そ指導者らしからぬ不埒な発言。
キリエの性格を如実に表しているこの言葉へ、レンは目に見えて顔を引き攣らせていた。
「艦長、貴女がそんな風だから、他の者に示しがつかないんです。もっとしっかりして下さい」
「あたしゃシッカリしてるさね。これ以上やったら石になっちまうよ」
眉根を寄せて意見する副官に、キリエは不真面目に笑いながら返す。
どう見ても、まともに取り合っている風ではない。
対するレンは手の甲に青筋が浮かばせながら、コメカミを押さえつつ反論した。
「我々には祖国と、其処で待つ人々を救済するという崇高な使命があるんです。それに向かって全力を傾けるのは当然でしょう」
「そりゃ判ってるけどね。だからって四六時中真面目にやっててごらん、身が保ちゃしない。適度な息抜きは必要だよ」
キリエは言いながら、話は終わりとばかりに手を振ってみせる。
そんな彼女の姿を前にして、レンは肩を震わせ声を荒げた。
「艦長!」
流石に我慢の限界らしく、本格的な怒りを覗かす顔で食って掛かる。
憤然とした副官の勢いに、キリエは溜息混じりに肩を竦めた。
「あ〜、はいはい、判ったよ。働きゃいいんだろ、働きゃ」
キリエは不精不精に言いながら、睨み付けるレンに左手を振って止めろと合図を送る。
それと並行して手許にある通信用パネルを右手で操作し、機関室との回線を開いた。
彼女の面前にホログラムモニターが出現し、その中に艦の心臓部たる機関室の様子が映る。
巨大すぎてモニター内に全容の入らないリアクター。その周辺で昼寝していたり、カードゲームに精を出す作業着姿の機関室員の姿がちらほら。
しかしそれが見えたのも僅かな時間。すぐにツナギを着込んだ目付きの悪い男が、現場風景を遮るようにモニター内へ現れた。
手入れのされていないボサボサの黒髪、汚れっ放しのツナギ姿と、清潔さを著しく欠いている男だ。
頬はこけ、顔色も悪いが、高い背と挑戦的な眼が相まって、剃刀のような印象を受ける。
30代前半と思しきその男は、エクセリオンの機関室長を務めるアツヒト・タカギ。
『何の用だ』
開口一番、タカギ喧嘩腰な声を投げる。
だがキリエは不快な顔をせず、相手へと用件を伝えた。
「ちったぁ仕事しようかと思ってね。ジャンプはいけそうかい?」
『ああ、問題ない』
憮然としているような顔で、タカギが低い声で告げる。
キリエは機関室長の報告に頷き、短く命令を下した。
「なら準備しな」
『面倒だな。まぁいい、やってやるよ』
タカギは表情を変えずに、素っ気無く言う。
艦長命令に対して「仕方ない」というような態度で応じ、一方的に通信を切った。
それまで浮かんでいたホログラムモニターは、上下から真ん中へと折り畳まるようにして消える。
「相変わらず、無愛想な奴だね」
モニターの消失と合わせ、キリエは独りごちた。
タカギは何時でも何処でも誰にでも、今の様な態度で接する。他人の感情など気にもしない、自己中心的な俺様至上主義野朗なのだ。
人間性は致命的に終わっているが、技術者としての腕前は超一流。所謂、天才肌に属する。
元々キリエは個人の人格を尊重するタイプなので、タカギの性格をどうこう言うつもりはない。
反対にレンは会う度、態度の改善を求めて衝突している。
「さてと、次はこっちだね」
レンに目配せしてから、キリエは席から立ち上がった。
その後に両手を叩き、艦橋メンバーの意識を自分へと向けさせる。
「よぉーし皆、そろそろ行こうじゃないか。ゲートジャンプの準備を始めな」
「はーい」
「うぃっす」
キリエが号令を下すと、カーナとシュウカはピタリと口論を止め、各々の仕事へ戻っていった。
「……了解」
「判りましたわ〜」
これに続いてルーリーとラウルも返事を送り、気を入れて作業を始める。
口答えもなしに大人しく働き出した面子を眺め見てから、キリエはレンへと顔を向けた。
「これで文句ないだろ?」
「最初から、そうして下さい」
腕を組んで問い掛ける上司に、レンは嘆息と共に答える。
普段に気概を感じられないが、キリエは生来の強いカリスマ性とリーダーシップを具える人物だ。
集団の先頭に立ち、一同を率いるのへ向いている。
そんな彼女が艦長である事にレンも異論はない。
彼はキリエの力を認めているし、彼女の事を尊敬もしている。その下で働ける事、それも副官として仕えられる事に喜びもある。
あるのだが。
「何時も凛々しくあってくれると、何も言う事ないだけどね」
誰にも聞こえぬよう口の中で呟いて、一人溜息を吐くレンであった。