第32話:理由
通常サイズの航宙艦を数倍する巨大な外艇区内に、人を初めとした生命体の生存環境が整えられた超大型軌道衛星。
内部には山林や湖畔等の様々な自然と、多くの住民が生活する大規模な都市部が作られ、併設された生産プラントの良性環境を維持・改善する機能で、惑星上での循環システムを人工的に再現したのが、自由軌道型植民コロニーである。
グロバリナ帝国はそうした何十ものコロニーをそれぞれ領土とし、各ネットワークで強固に結ばれた一個の船団国家なのだ。
その中でも最大の規模を誇る領土がベリルフォート。全長7000km、総人口凡そ10億8000万人に達す、他に例を見ない弩級衛星。
帝城の置かれた帝国中心衛星グロバリウナが、全長2000km、総人口3億2000万程である事から見ても、その規格外な巨大さが知れる。
かつてのベリルフォートは、生半可な小惑星を凌駕する規模と其処から生み出される優れた経済力により、何処の勢力にも属さない中立国家として、単艦で独立自治区を形成していた。
それが今から遡る事25年前、コロニー為政者と帝国皇帝の会談を経、両陣合意の下、ベリルフォートは帝国領に加わったのだ。
表向きは友好的な雰囲気で話し合いが進み、ベリルフォート側が望む形で帝国の支配下に入ったとされる。しかし実際には、帝国側が強大な軍事力を背景にして、ベリルフォート勢を半強制的に隷属させたのだった。
そして同コロニーを自領に取り込んだ2年後、帝国はヴァレリア連邦統一政府へ戦争を仕掛けている。この事実は、ベリルフォートの経済力と資源を戦へ利用する為に、帝国が同コロニーを抱え込んだのだと、多くの者に思い至らせるには充分だった。
これは自立心の強いベリルフォート住民の反帝国意識を極度に強める事となる。だが武力で勝る帝国に表立って抵抗する事は出来ず、皇帝による独善的支配に甘んじる他なかった。
抑圧された反抗心は陰に篭る間、より深く激しい怒りとなって、ベリルフォート住民の心に燻り続ける。何時の日にか、全てを薙ぎ払う抵抗の風として吹き荒ぶ時を待ちながら。
『帝国に支配されて25年もの間、ベリルフォートの民は反抗の機会を窺い続けてきた。決して諦める事無く、辛抱強くね』
初老の男は組み合わせた指の上面から、ルーナデルタへと視線を投げる。
顔には穏やかな色を纏っているが、瞳へ覗く輝きは鈍い野生を感じさせた。
『そして今だ。統一政府との大戦が終わり、帝国は酷く疲弊している。今こそベリルフォートが帝国の支配から逃れる好機なのだよ』
声を荒げるでも、興奮を内に秘めるでもなく、男は静かに述べる。
モニターに映る相手の顔を真っ直ぐに見るルーナデルタは、肘掛に左肘を突き、開いていた掌へ頬を宛がった。
「そんな事はどうでもいいのよ。私はただ、私の仕事をするだけ。状況の説明だけして頂戴」
微かな笑みさえ浮かべず、単眼が男を見据える。
同調や共感が見受けられない彼女の反応へ、男は笑ったまま肩を竦めて見せた。
『現在、ベリルフォート住民の意識は統一化を果たし、蜂起に備えて準備が進んでいる。勿論、帝国に事が露見しないよう秘密裏にだ』
「コロニー内に入っている帝国系企業の目も欺いているの?」
『君が心配事とは珍しいね』
ルーナデルタから発せられた質問に、男は僅かばかり目を瞠る。
程度は小さいが明らかな驚きそこに見て、けれど彼女は表情を変えずに先までと同じ調子で告げた。
「いざという時に計画が失敗して、痛い目を見るのが嫌なだけよ。住民が生活する上で多分に接する機会の多い諸企業が、コロニー全体の意識変動に気付かない筈がないもの」
『成る程、確かにその通りだ。しかし心配は無用。先だって我が社の関連企業がベリルフォートへ大量に入島していてね。商業部門の独占と他企業の締め出しを実行中なのだよ。特に帝国系企業の付け入る隙は与えないさ』
微笑を浮かべた男が、モニター越しに自信有り気な声を送る。
自らの躓きを思わず、成功への躍進を確固と信ずる強い意志に裏打ちされた言葉。
これを聞く隻眼の女性は特に安心や感銘を受けるでなく、気の無い返事で簡潔に応えた。
「そう」
何の感慨も込められない一言。
彼女の口から放たれたたった一語は、両者の間に横たわる致命的な温度差を感じさせる。
にも拘らず、男は一切気にする素振りを見せず、暗い感情を欠片も覗かせずに会話を続けた。
会話相手の性分を踏まえているからか。或いは、彼人の意が何処にあろうと、自分には関係ないと思うが故か。
『機動要塞の建造も順調だ。今では全体の70%程が完成している。これも君が周辺宙域を巡航し、要塞のガードに努めてくれるお陰だよ』
「それが今の仕事だもの」
届けられる賞賛にも、ルーナデルタは表情筋を動かさない。それどころか興味なさそうに相手を見詰め、言外に用件の先行きを催促する。
取り付く島も無い彼女へ、男は軽い苦笑を向けた。
『機動要塞が完成しだい、ベリルフォートの独立運動を始める手筈となっている。その折には我が社の私設兵団も合流し、帝国軍と刃を交える事になろう。時が来れば、君には最前線で戦って貰う事になる。そういう契約だったね?』
「ええ。……力ない人々が不当に虐げられ、苦しめられているのなら、その解放に力を尽くすのは惜しまない。手を抜いたりしないから安心して」
ルーナデルタは肘掛から手を退けて、静かに握り拳を作る。
決意と戦意が共に宿る瞳を目の当たりにして、男は満足気に頷いた。
『君が凡百の傭兵が如き半端な仕事をするとは、最初から思っていないよ。だからこそ我が社の総務部を説き伏せて専属契約を結ばせたのだ。活躍に期待しているよ』
「それはどうも。……そうなると、逆に心配するのは私の方かしら」
拳を解くと共に短く息を吐き、ルーナデルタは意味有り気な視線をモニターへ注ぐ。
相手の様子に疑問の顔を作り、男は眉根を寄せて問い掛けた。
『と、言うと?』
「貴方達は要塞や私兵を提供する事で得られる金儲けが目的でしょ。状況がまずくなったら、コロニー側をさっさと見限って兵を退いてしまうんじゃない?」
不審の色を刷いた隻眼で、女傭兵は相手を射抜く。
虚言は効かぬと言いたげな鋭い眼光に貫かれながら、モニター内の男は困ったような笑みを浮かべた。
『そいつは誤解だよ、ルーナデルタ君。確かに我々はベリルフォートの経済力を当て込んで、商売として今事変に手を貸す形ではある。しかし帝国に対して叛逆に類する行為の片棒を担ぐんだ。それなりに覚悟はあるさ』
「覚悟……ね」
『疑っているのかな?ふむ、遺憾だね。……けれど無理もあるまい。本来に於いて企業とは損得勘定を基盤に動くものだ。帝国全体と一介のコロニー、商売相手として天秤に掛ければどちらに傾くか。君がどう思っているか容易に想像出来る』
語る最中、男の顔から微笑みが薄まり、代わりに真剣味が表立ち始める。
その変化を黙したまま見遣り、ルーナデルタは紡がれる言葉に耳を欹てた。
『しかし我が社ゾディアック・コーポレーションは、どのような状況になろうとベリルフォートの味方を続けさせて貰うよ。彼等が積年溜め込んでいた思いを良く知っているからね。その思いを遂げる手助けを是非ともしたい』
「そんな言葉、信用出来ないわ。企業人は真顔で嘘を吐くもの」
『これは手厳しい』
星系複合企業体の名を出した男は、女傭兵の辛辣な批評に声を潜めて笑声を吐く。
けれど顔から真剣さは失われていない。
『では本心を語るとしよう。実を言うとね、我が社は帝国とあまり懇意にしていないのだよ』
双眸を細め、経営者の顔となって男は語る。
嘘偽りを認めない傭兵からの視刺を真っ向から受け、これに真摯な眼差しを返して。
『大戦期、我が社は統一政府を得意先としていた。逆に帝国とは距離を置き、大口の取引をした事がない。別段、帝国を嫌っていた訳ではないが、統一政府側に商売相手としての魅力を感じていたからね』
男は指の合間に見える口許を、それとなく緩める。
『その期間が随分と長かった所為で、帝国とは上手くいっていない。我々の方は何も思う所はないが、どうも帝国側が我々を敬遠しているようでね』
「だから商売にならない帝国は捨てて、企業の協力を必要とするベリルフォートに与しようと。そういう訳?」
『ははは、まぁ、そんな所だ』
視線に交えて言葉を投げるルーナデルタへ、男は笑顔で肯定の頷きを返す。
それから組んでいた両手十指を一つずつ解き、警戒に霞む女性の単眼を注視した。
『ここで彼等が無事独立を果たせば、我が社は大恩を売る事に成功する。それに独立後の自治権保持の為には、更に多くの継続的に行使出来る力が必要だ。ベリルフォートは我が社の良き商売相手となろう。新規顧客獲得の観点からも、彼等には勝ってもらわないとね。これはその為の先行投資なのだよ』
そこまで言って、男は柔和に微笑む。
目付きは元の形へ戻され、人好きのする朗らかな顔を相対者へ向けた。
『それになりより、私はベリルフォートの出身だ。こう見えて、祖国の解放を真に願っているのだよ。御理解頂けたかな?』
新銀河を股にかけ、食品・薬品・各種ソフト&ハードウェア・通信・軍事に至るまで幅広く手掛ける巨大企業、ゾディアック・コーポレーションの総帥ジークブン・ナインハルト。
彼は一介の傭兵を相手に、対等の存在として相する。
それがジークブンという男の人となりである事を、彼女は既に知っていた。
故に短い呼気の後に、首を縦に振って納得の意思を伝える。