第29話:いがみ合い
「無明黎光傭兵団かい……聞いた名だね」
ルーナデルタの語った組織名を、キリエは今一度口にしてみる。
その表情は微笑風から、過去の記憶を呼び起こそうとする思案顔に変わっていた。
「カンチョー、知ってるの?」
部屋の中央辺でシュウカを宥めさすっていた(もう飽きたが)カーナが、考える雰囲気になった上官へ問う。
これへキリエは振り返らず、片手を顎に当てて口を開いた。
「ああ、そうだよ。あれは確か……」
「……大戦期にグロバリナ帝国側で雇われていた、傭兵団だったと記憶しています」
記憶の糸を手繰り寄せるエクセリオン艦長を助けたのは、西の壁際に佇むルーリー。
現面子内で最年少の少女は、同じ場所に留まったまま上官へ目を向ける。
彼女の言葉を聞いた時、キリエは左拳で右掌を叩いて得心の顔をした。
「そうだ、そうだよ。そんな傭兵団が居たねぇ」
「なんや、艦長はんの知り合いでっか?」
カーナ同様シュウカの興奮冷却作業に勤めていた(あまり効果はないが)ラウルが、笑い顔に疑問の調子を混ぜて首を傾げる。
しかしそれへ反する声が、彼の直ぐ傍から上がった。
「あん?オレは憶えちゃねぇぜ。そんなクソ下らねぇハイエナ集団の名前なんぞな!」
未だに衰えない憤怒に裏打ちされた、シュウカの激しい言葉。
敢えて相手を貶める為に不名誉な語を選び、感情に任せて一気に吐き出す。
それを耳にした瞬間、牢前に立つルーナデルタの右目が、憎悪に類する危険な光を宿した。
「何ですって?」
沸騰する感情を押さえ込んだ重い声が、彼女の口から放たれる。
刃物のように鋭さを増した単眼は痛烈な輝きを発し、逃げ場ない領域に立つシュウカへと注がれた。
「ア?テメェは耳まで悪ぃのか?ハイエナっつったんだよ、ハイエナ。死肉漁りのクソ野朗共だってなぁ!」
だがそれに怯む砲撃手ではない。寧ろ、その眼光に当てられて更に激憤を高め、より饒舌となって罵声を浴びせ掛ける。
「聞き捨てなら無いわね」
「ンんだァ、その目は?」
シュウカは灼熱する怒気を含ませ、相手に負けぬ程の強視線で突き返す。
光網格子の境界面を隔て、睨み合う両者。二人を見る周囲の目には、両勢の間で雷光が火花を散らしているような錯覚があった。
「シュラバだね、シュラバ」
「あ〜、なんや、居ずらい空気でんな〜」
虎と龍をバックにしていそうな二人を眺め、カーナは楽しそうにはしゃぎ、ラウルは冷や汗混じりに頬を掻く。
ただどんなに周りが茶化そうが、外野の声など当人達には届いていない。バンダナ女と眼帯女の反発心は真っ向から衝突し、周辺空気を張り詰めさせるのだった。
「それで、その傭兵団はどんな事を?艦長の記憶に残っているなら、それなりに活躍はしたんでしょう?」
視線のぶつけ合いを続ける二人を余所に、冷静さを取り戻したレンがキリエへ訊ねる。
だが中年の女艦長は問いに答えず、首を捻って疑問の顔を浮かべるだけ。
「さぁて、どんな事してたかねぇ」
「憶えてないんですか?」
「当時の帝国は多くの傭兵を雇ってたからね。あたしの下にも幾つか傭兵団が付いてたが、その中に居たような……」
キリエは腕を組んで天を仰ぎ、再び思考の海に意識を埋没させていく。
彼女が過去記憶の回収作業に入った少し後、再びルーリーが現有記憶を口頭で示した。
「……無明黎光傭兵団という戦団は、前線に出て直接戦ってはいない筈です。……主に都市コロニーの防衛を行っていたと」
「あぁ、そう言えば、そうだったね。思い出してきたよ」
明確な情報を開示する索敵担当の発言に、キリエは同意の相槌を打つ。
与えられた切っ掛けが決め手となり、忘却中の記憶が脳内で再生され始めた。
「再三に渡って従軍要請を出したけど、一向に言う事を聞かなかった連中だ。後ろの方でコロニー周辺に固まって、サボってた奴等じゃないか」
話題に上る傭兵団の実状を思い出し、元帝国軍人は懐かしさに目を細めながら頷く。
今でこそ笑って話せる話題だが、当時はどれほど怒り狂ったことか。何となく想像出来るので、レンは深く突っ込まない。
「そうですか」
なので、そんな当たり障りの無い感想で遣り過ごす事とする。
しかし、このキリエの言葉へ敏感に食いついた者が居た。それは。
「なんでぇ、腰抜けの集まりかよ。そんなんで義の戦団だって?ハッハッハッ!こいつぁオ笑いだ!」
それまでルーナデルタと睨み合っていたシュウカは、大口を開けて思いっきり哄笑する。
気に食わない相手の情けない過去を知った途端、それを容赦なくネタにして扱き下ろすのだ。良心の呵責などない。精々大きな赤っ恥をかけばいいと、心底から思っての事。
今の心境を一言で表すなら『ざまぁみろ』というのが最も適切だろう。何とも大人気ない報復の仕方だが。
「あちゃ〜、またそないな火に油注ぐ事を言いよって。ワイは知らへんで、ホンマ」
愚弄成分全開で豪笑継続中のシュウカを横目に、ラウルは顔を青ざめさせる。
これでは余計に相手を怒らせるだけだ。どんなトバッチリが自分達に来るか判ったものではない。そう思うと、ラウルの笑い顔も引き攣ってしまう。
(せやけど、シュウカはんはそないな事、一切気にせぇへんのやろなぁ)
などと、内心で溜息を吐くのは彼だけに非ずだが。
けれど彼の不安は杞憂に終わる。何故なら意外にもルーナデルタは、粗暴な砲撃手よりキリエ達の声に反応したのだから。
「勘違いしないで」
声高に嘲笑するシュウカを無視して、眼帯の女は無事な右目をキリエに定める。
そこには先刻までの怒りが今も燻るが、もっと別の感情が強く灯っていた。
「無明黎光傭兵団はサボっていた訳じゃない。コロニーを、其処に住んでいる何百万という民を護っていたのよ」
キリエを見詰め、ルーナデルタは断固とした調子で発言する。
その言葉には強固な芯が通り、彼女の瞳には穢れぬ誇りが輝光を放った。
表情は真剣そのもの。他者の口出しを許さぬ堅さが容易に知れた。