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第2話:目覚め

「……提督。以前から聞きたかったのですが、一つ宜しいでしょうか」

「何だね?」

 宇宙を眺め見ていた艦長は、副官からの問い掛けに視線を移す。

 副官も艦長の方へ顔を向け、常の無表情で口を開いた。

「提督は何故、軍を辞め、資源惑星開発公団に加わったのですか?提督程の方なら、軍部での厚遇と上位階級特権で、以後の生涯を楽に暮らせるでしょうに」

 副官は双眸へ疑問の色を浮かべ、敬愛する元軍人に問う。

 対して質問を受けた側は、これに柔らかな笑みを返した。

「はは、そんな事か」

 微笑を口許に刻みながら、艦長はゆっくりと上体を起こし、腰掛けていた座席より立ち上がる。

「確かにあのまま軍に居れば、私は一生食うには困らなかっただろう」

「はい」

「しかしそれは、私の望みとは違う」

「艦長の、望みですか?」

 相手の言わんとする事が読み取れず、副官は思案顔で先方の言葉を追う。

「ああ」

 これへ頷き、艦長は正面に広がる無限の大海へ顔を向けた。

「私はあの大戦で、部下達を率い帝国軍と戦った。20年もだ」

「存じております。提督の手腕が何千という将兵を救い、数え切れぬ勝利を掴んだと」

「救った、か」

 副官の言葉に、艦長は静かに目を閉じる。

「だがそれは同時に、私の手で、命令で、同数の敵兵を亡き者とし、彼等が護ろうとした者達を不幸にした事も意味する。私は自軍の兵を生かすだけ、敵軍の兵を殺しているのだ。褒められたものではない」

 目を閉じたまま、艦長はゆっくりと述べた。

 かつて間接的に、或いは直接的に命を奪ってきた多くの者へ、彼等の死を悼むように。

「しかしそれは止むを得ぬ事です。統一政府と帝国は戦争状態にあった。殺らねば、こちらが殺られていたのですから」

 艦長の言葉を切り裂くように、副官が告げる。

 戦争の最中にあって、相手の命を奪う事に躊躇いを持っては自分が、仲間が命を落とす。そんな事は新兵でも判る事。

 そして当然、軍人として多大な功績を収めた艦長も判っているだろう。いやそもそも、それを知り突き進んできたからこそ、今の彼が居るのだ。

 副官が改めて口にする必要などない。艦長のこの言葉は、過去の行いへ、散った命達へ、遠く思いを馳せているだけ。

 それは判っていたが、それでも副官は言わずにいられなかった。

 敬愛する彼の痛みが、苦しみが、僅かばかりでも判るが故。少しでも艦長に掛かる重圧を取り除ければと。

「そうだな、君の言うとおりだ」

 艦長は若年者の生意気な発言に怒気を示す事無く、淡く微笑み返す。

 その表情には副官の思いを酌んだ、感謝のようなものさえあった。

「何より私が今更彼等の死を嘆き、心痛めたとて、殺された者達が喜ぶ筈がない。彼等はけして私を許さないだろう。そして彼等を失った家族もまた、私を許す事は永遠にない。私も許されようとは思うまい」

 諦めではなく、覚悟の薫る顔で、艦長は正面を見る。

 視界の先、耐硬性ガラスの外には雄大な宇宙があった。

 人間の心、思いなど意にも介さず、全てを無価値と断ずるかのような、永遠の広がりを以って。

「どんな理由であれ、私は多くの命を奪った。その私が贖罪を得られるなどと、そんな都合の良い話があっていい筈がないのだから」

 艦長の顔は副官と比べ、明らかな老いが見える。

 若者と比べれば当然だが、それを踏まえても実際の年齢より上に感じられた。

 それは彼の心身に掛かってきた苦労の結果。

 数多くの難しい決断を己一人で決め、あらゆる責任を一身に負い、下した命令の導く様へ心痛め、それらを決して人には明かさず、常に自ら内に留め生きてきた為。

「……提督」

 副官はそんな上司の顔を横から見て、微かに痛ましげな顔をする。

(自分のような若造に、この偉大な男の苦しみなど計り知れる筈が無い)

 内心で呟き、しかし副官は首を振る。

(いや、確かに全ては知れない。それでも、一欠けら程ならば……)

 全ては判らぬでも、責任者のみが有す心の痛みという物を、多少なりとも理解は出来た。

 帝国と統一政府の大戦が終わる前、彼は士官学校に通い、何時の日か将官として戦うべく教練に打ち込んだ。

 そんな折に行われた仕官候補生同士の模擬戦闘訓練。そこで下した彼の誤った命令が、同輩の候補生を殺してしまう。

 その時の衝撃、後悔、呵責、苦痛、恐怖……彼の心を襲った感情の波は、容易に耐えられるものではなかった。

 だが、それでも彼は自らの脚で再び立ち上がり、周囲の視線や陰口を背にしながらも、自らの技量を鍛え続けた。

 結局、彼が前線に赴く事無く戦争は終結したのだが。

 今でもあの心労と葛藤は忘れられない。拭えぬ傷となって心に深く刻まれ、不意に甦っては彼を苦しめる。

 それを知るからこそ、副官には艦長の思いが微かでも判った。

 しかしそれが判ったとて、どうする事も出来ないのが現実だ。こればかりは誰の言葉も、気遣いも、役にはたたない。

 己の問題である。自分自身で乗り越えるしかない。

 それもまた同様に判るからこそ、副官は余計にヤキモキさせられる。

 ただ、その感情を簡単に表立てぬのがこの男。内心の動揺や悔しさを、尊敬する人物の前で見苦しく披露する事などない。

 胸中でうねる感情を吐露する代わりに、感情味のない顔で発したのは別の言葉。

「それで提督は、せめてもの罪滅ぼしの為に、資源惑星開発公団に加わったと言うのですか?」

「ふむ、罪滅ぼしか。そうなのだろう」

 壮年の元軍人は顎に片手を当て、隣立つ若者へ目を向ける。

 充分な年齢を感じさせる顔に反し、彼の持つ眼の輝きは、若者のそれにも決して引けを取らない。

 溢れる情熱と希望、全ての困難を打ち砕かんとする吶喊力に満ちた瞳だった。

「人殺しはもう充分だ。あのまま軍に居ては、何時また不穏分子の掃討という名目で働かされるとも知れんからな」

 艦長の言葉に、副官は同意の形へ首を振る。

 それを見て、艦長は視線を正面に戻した。

「今まで私は祖国の為に戦い、敵国を苦しめてきた。だから今度は誰も苦しめず、皆の為に働きたいと思った。多くの不幸を振り撒いた私に出来る、数少ない幸福の作り方だ」

「提督は不幸にしてしまった人々を、少しでも救いたいのですね」

 艦長の思いを言葉から読み、副官は先を引き継ぐ。

 艦長はこれに目元を緩め、微笑混じりに顎を擦った。

「そんな所だな。今の私に出来る事は、それぐらいしか思いつかなかった」

 そう言うと彼は顎から手を放し、背方の椅子に再び腰掛ける。

 副官は暫く黙って正面の宇宙を見詰めていた。

 けれど少ししてから。

「ならば我々は何としても、本星に帰らねばなりませんね。今回の成果を、幸福の兆しを、必ず人々に届けねば」

 前を向いたまま、はっきりとした口調で述べる。

 決意の眼差しと共に。

「ああ、勿論だとも」

 年若い副官の言葉に、艦長は深く頷く。

 丁度この時、下層よりオペレーターの声が届いた。

「量子測定及び重力波の演算処理が終了しました。軌道計算も順次完了。ジャンプ、何時でも行けます」

「うむ、よろしい」

 歯切れ良い女性の声を耳に受け、艦長は手許のパネルを操作する。

 これへ合わせて艦長の眼前、何も無い空中にホログラムモニターが開かれた。

 三次元座標検出システムによる立体映像。その中に映るのは機関室、そして責任者であるツナギ姿の機関室長。

「これよりゲートジャンプを行う。準備はいいな?」

 熊の様な中年男を見て、艦長が問う。

 対する機関室長は自分の胸を叩いて、それへ応えた。

「何時でもどうぞ」

 男の言葉に艦長が頷くと共に、ホログラムモニターは消える。

 この間に副官は自らの席へと移動を終え、早々に着席していた。

「総員配置につけ。ゲートジャンプ、実行!」

 艦長が声高に宣言する。

 同時に、下層からオペレーター達の復唱する声が響いた。

 一連の流れの後、探査艦の前方空間が陽炎の如く不自然に歪む。

 そのまま艦は真っ直ぐに進み、その中へと突っ込んで行った。

 探査艦が歪みの中に消える。瞬間、発生していた歪みも治まり、後には何も残らない。



 資源惑星開発公団第二期公団軍に所属する探査艦が、恒星間航法技術ゲートジャンプを用いて移動していた頃。

 同艦内部に設けられた隔離倉庫ブロック――訪れた惑星で採取した資源サンプルの保管場所だ――の深奥で、それは起こった。

 その区画では、有益な資源が獲得出来ると判断された惑星より持ってきた土、水、植物、微生物、鉱物等が、専用の保護容器に入れられて、並ぶ棚へ陳列されている。

 奥行きのある空間には様々な物質が保管され、奇妙な博物館めいた様相だった。

 そんな空間の最奥には、艦長クラスの人物しか開ける事の出来ないS級セキリュティロックによって、完全に封鎖された扉がある。

 そこを越えた中、外部と隔絶された閉鎖空間内に、一つのひつぎが置かれていた。

 それは黒一色で塗り固められた長方体。一切の装飾はなく、ただ黒いだけ。

 人間が一人収まりそうな大きさで、何処と無く棺桶のように見えなくもない。

 酷く無機的で、薄ら寒い不気味さを感じさせる。全体の様子や雰囲気から、柩という呼称が最も適当に思える。

 この柩は床に電子ロックで固定され、上から幾つも鎖を掛けられた状態で保管されていた。

 探査艦内で最も隔離性の高い当室内には、誰もいない。

 にも関わらず、黒い奇妙な柩の上面体が、少しずつ動いている。

 雁字搦めに巻かれた鎖が揺れ、硬い筈の純鋼製鎖が軋み、徐々にひび割れていった。

 それより程無く、鎖は驚くほど簡単に千切れ、砕け、破片を周囲へ飛び散らす。

 一つが壊れると、連鎖反応を起こしたように、他の鎖も相次いで壊れ出した。

 ほんの数秒で、鋼鎖は全て吹き飛んでしまう。

 拘束は消滅し、柩の上面体はスムーズに横へと滑り進んだ。

 それが半ばまで開くと、柩の内部から金色の光と凍煙が溢れ出る。

 凍て付いた冷気の煙は柩の側面を伝い、床へと降り、これを這い進んで広がっていく。

 そして光は、輝きを増しながらゆっくりと、外を目指し上がってきた。

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