第28話:女
現在地も定かでなく、逃げ出す事も叶わない牢獄。エクセリオンメンバーが其処に捕えられてから、果たしてどれだけの時間が流れたろうか。
最後に目覚めたカーナは空腹感の続く腹を抱え、所在無く牢の一角に座っている。見れば他の面子も思い思いに身を置いて、何するでなく静かに時を過ごしていた。
今更騒いでもどうにもならないというのは、全員共通の意識。なにせ実際に騒いで、何も起こらなかったのだから。空きっ腹に響き、疲れただけである。
その為、皆は考え方を変えた。これからは何かが起きた時に備えて、出来るだけ体力を温存しておこうと。
一同が大人しくなり、静まり返った牢周辺。彼等の息遣い以外には、何の音も存在しない。
そんな静寂の中へ、突然に響く音があった。
恐らく防音設備の妙なのだろう。一定距離まで近づいた事で聞こえ始める、降って湧いたような音の出現。
それは規則的な足取りで通路を進む靴音。何者かの接近を告げる確かな証拠。
「足音だ」
室内北面の光網発生地付近に佇んでいたレンが、逸早くその音に気付く。
彼の声に全員が顔を上げ、吹き抜けの北部方へ視線を注いだ。
一同が等しい方向を見ている間も歩行音は続き、彼等の側へ次第に近付いて来る。
それより程無く、至近距離まで迫った足音と共に、一人の女性が内外境界の外側へ現れた。
「女?」
自分達が捕えられる部屋の前で立ち止まった相手を見、キリエが僅かに目を細める。
「うほっ、こらエライ別嬪さんで」
同じ相手の姿を見て、ラウルは少々ニヤけ顔になり歓声を上げた。
比較的背の高い女である。身長は170cm程、歳の頃は20代半ばか、それより少し若いぐらい。
白銀の髪は後腰まで伸び、肌は褐色。長く通った鼻梁と桜色の唇、秀麗な顔貌は芸術作品のように整い、それでいて粛々とした凛々しさを持つ。
やや吊り上った目は意志の強さを覗かせるも、左眼は眼帯に閉ざされていた。
全体に気の強そうな雰囲気。公団メンバー内で言えばシュウカに近い。
彼女が着ている物は、白を基本とした公団軍の正式ユニフォームとは逆に、黒をメインに設えられた衣服。特別な意匠はないが、上等な布地を使った上品な仕上がりを見せる。
動きの妨げにならないよう考慮されたベストは胸元に菱形の口が開き、丈の短いタイトなスカートと相まって、彼女の女性的なボディラインを浮き彫りにした。
「全員、目が覚めたようね」
片方だけの瞳を室内へ向け、女は各員の様子を順繰りに見遣る。
声の内に宿るのは、些かの高圧的な響き。上位者が下位の存在へ対すような。
「テメェか?オレ達をこんな所にブチ込みやがった野郎は」
相手の声質に潜む蔑みの色を敏感に察知したシュウカは、挑むような目で女を睨む。
もしレーザー格子が無ければ、そのまま掴みかかりそうな勢いだ。
「そうよ。文句でもあるのかしら?」
そんなシュウカを前にして、彼女は鼻で笑ってみせる。
相対者が手出し出来ないのを知っていて、敢えて小馬鹿にしたような物言い。
元来に於いて気性の荒いシュウカは、これを受け簡単に怒りを爆発させた。未だ満たされない飢えが彼女の苛立ちを助長し、反骨心に拍車をかける。
「んだコラァッ!人をナメクサリやがって!ブッ飛ばすぞ、このクソアマッ!」
「やれるものならやってみなさい。私は一向に構わないわよ」
怒気に任せたシュウカの威嚇に微かな怯えさえ見せず、女は口許を歪め挑発的に笑う。
この手の遣り取りに冷静さを伴えない砲撃手は、怒号を吐き散らしながら殴り掛かろうとした。
「上等だぁぁぁッ!」
「お止め」
レーザー線の事も忘れて通路側へ飛び出そうとした時、シュウカの肩をキリエが掴む。
エクセリオン艦長は片手で部下の動きを制止させ、境界面への侵入を未然に防いだ。
「姐御、離してくれぃ!」
「今離したら、アンタはバラバラになっちまうよ。少し落ち着きな」
尚も興奮状態のシュウカへ呆れ声で言い、キリエは彼女を後ろ側へ引き下がらせる。
シュウカ自身は前へ突っ込もうと躍起だったが、キリエの腕がそれを許さず、力ずくで戻し遣った。
「ちょ、ちょ、姐御ぉ〜」
本人の訴えも意味を成さず、彼女は強制的に室内中央辺に送られる。
その傍へカーナとラウルが寄り、左右からシュウカの憤慨を治めようと宥め始めた。
「マシュー、どーどー」
「せやでー。短気は損気、笑っていこまいか。ほれぇ、ニコー」
「ウルセェ!馬鹿にされたまま黙ってられるか!」
ワーワー言っている三者の声が、閉ざされた室内に久方ぶりの活気を戻す。
背後に上がるそれらを聞きつつ、キリエは隻眼の女と対峙。北面部の通路前へ立ち、自らの正面に相手を捉えた。
「本当に私を殴るつもりだったのかしら。馬鹿な女ね」
彼女は嘲弄の含みを持った息を吐き、片手で後ろ髪を払う。
相対するキリエは腕を組み、その姿勢で小さく肩を竦めた。
「悪かったねぇ。こちとら腹が減ってるうえに謂われなく閉じ込められてるもんで、ちょいと興奮気味なのさ」
形ばかりの謝罪を述べて、キリエは遠回しに対面者の非を責める。
目は決して逸らさず、瞳の中へ相手の姿を映したまま。
「ふん」
己を注視する不笑の目を見て、女は詰まらなそうに鼻を鳴らす。
そんな彼女を眼鏡越しに、レンはブリッジ部を押し上げながら胸中に溜まる疑問を投げた。
「此処は何処で、あんたは何者だ?自分達を何故捕らえる?何が目的だ?これからどうする?」
「煩いわね」
次々と繰り出されるレンの問いを、女は事も無げに一蹴する。
彼等にとっては至極重要な問題でも、自分にとってはどうでもいい事。そんな意思が透けて見える態度だった。
「自分達には聞く権利がある」
それでもレンは諦めず、当然の如く食い下がる。
何としても聞き出してやろうという決意が、強固に滲んでいた。
「私には教える義務がない」
しかしてそれも、たった一言で断ち切ってしまう。
女は興味なさそうにレンを一瞥し、醒めた表情で再び髪を払った。
「な……くっ」
あまりに素気無い態度で返され、レンは思わず拳を握る。
自分達をこんな状況に追い込んでおいて、質問に答える気が無ければ悪びれもしない。あまつさえ自分の利権ばかりを主張し、こちらの声には耳を貸さず。
その傍若無人ぶりが彼の反感を煽る。冷静にならねばと頭では判っても、心がそれを受領しかねていた。
ライトの逆光に眼鏡を光らせ、レンは激しい憤りに両肩を震わす。
彼もまた継続中の飢餓感に苛まれ、精神状態がよろしくない方へ傾倒中だった。そうでもなければ、こんな簡単に激憤へ駆られる事はない。
「何か言いたそうね。言いたい事があるなら、どうぞ」
『喚くだけなら自由だから』と最後に付け足して、女は見下し目をレンに当てる。
意図してか、それとも素なのか。彼女は対話相手を馬鹿にした調子で、毎度言葉を紡いだ。
シュウカが簡単にキレるのも無理はない。
「レン、アンタらしくないよ。少し頭を冷やしな」
「……はい」
横から聞こえたキリエの声に我へと返り、副長は泡立った感情の奔流をゆっくりと鎮めていく。
確かに一度は猛然たる反意に身を焦がしたが、一度自らの過ちに気付けば、それを素早く治める事も彼には出来た。
己が感情の抑制法を、若いながらに会得しているのがレンという男である。ただ、それもまだまだ完璧ではないけれど。
「此処までわざわざ来たんなら、少しはあたし達と話す気があるって事じゃないのかね」
数歩下がるレンと入れ替わりに、一歩だけ踏み出し、キリエは対面の女へ語りかける。
面上の表情筋は比較的緩やかだが、双眸は感情を読ませない。深い輝きを湛え、真っ直ぐに相手を射抜いている。
この目へ対す女は僅かに顔を引き締めて、眼光の鋭さを増した。
「そうね、全く無いという訳でもないわ。下らない質問に答える気はないけど」
キリエは見た通り牢へ囚われている。だというのに銀髪の女は、その中年女傑へ警戒の念を抱いていた。
囚われの身であって尚、牢外の優位者を身構えさせるだけの迫力を、エクセリオン艦長は秘めている。
手出しなど出来よう筈もないのに、女は安心感とは違う感覚を胸に得た。それが本能レベルの戦慄だという事に、結局彼女は気付かず終いだったが。
「下らない質問ねぇ。アンタの名前もそれに入るのかい?」
女を眼中に留めたまま、キリエは何気ない風に述べる。
彼女の言葉を耳にした瞬間、隻眼の女は片眉をピクリと動かした。
「どういう意味」
「下らないから答えられない中に、自分の名前が含まれてるのかって事さ。己を表す名前も堂々と言えないようじゃ、底が知れると思うけどね」
口の端を僅かに吊り、キリエは小さな笑みを作る。
ニヤリという擬音が聞こえてきそうな笑いだった。
「…………」
大柄な相手を見たまま、黙した女の右目は感情の波を打つ。
火の粉のように儚げな、しかし非情に濃い憤怒と等しい光。
それが挑発だと判っている。しかしプライドが素通りを許さない。
そこまで言うなら乗ってやろうと、彼女の心は瞬速で固まった。
「いいわ、教えてあげる。私は自分の名を誇れないような人間じゃないもの」
キリエへと挑戦者の目を突き込み、彼女は一つ前置きする。
そして初めて投獄者側の質問に、自ら答えを送った。
「私の名前はルーナデルタ。ルーナデルタ・ベルステイン。誇り高き義の戦団、無明黎光傭兵団団長オフレイユ・ベルステインの後継者」
女―ルーナデルタは、キリエの誘導に自ら乗って、己の名を声高に宣言する。
その様子を、エクセリオン艦長は満足そうに眺めていた。