第27話:牢獄
「うに〜」
ゴソゴソと頭を動かしてから数秒、カーナはまどろみの世界から現実へと帰還する。
閉ざされていた瞼をゆっくりと開き、無意識に上体を起こした。
「ん〜……」
認識力の立ち上がっていない未覚醒な頭のまま、寝惚け眼を擦る。
判然としない自我を携えた少女は、大きく伸びして空気を胸いっぱいに吸った。
「ふぁ〜、ふー」
「良く眠れたかい?」
寝起きそのままなカーナが盛大に欠伸した時、横合いより声が掛かる。
目を瞬かせながら音声の出所へ顔を向けると、カーナはそこにキリエの姿を見た。
「うん、ぐっすりだよ」
彼女は上司を瞳へ映しつつ、屈託無い笑顔で頷く。
カーナの返答に微笑を送り、キリエは視線を別方へ流した。
元帝国軍人が眺め遣るのは、彼女等が立つ領域の様子。
ジャンプすれば届きそうな位置にある天井、何の意匠もない薄灰色の壁と床で構成される。広さは10畳程で、南西の角には剥き出しの洋式便座が一つ据えられていた。
東西南の三方は壁で閉ざされているが、北側だけは何も無い。壁もドアも存在せず、通路を挟んだ対面側に同じ設えの部屋が見える。
キリエは次に、室内に居る面々へ焦点を定めた。
部屋の中央辺りで床へ座るのは、今起きたばかりのカーナ。その傍には彼女へ先んじて目を覚ましていたレンにルーリー、ラウルやシュウカも居る。そして一同から少し離れ、東側の壁に背中から寄り掛かっているタカギ。
これに自分を含め、エクセリオンの生存者全員が此処へ集められていた。
艦橋メンバーの服装は、彼女達が意識を失った時から変わっていない。シュウカの肩に巻かれた包帯代わりの上着裾もそのままである。
ただタカギだけは艦外作業用の宇宙服を脱がされ、機関室要員の標準装備であるツナギ姿だった。ちなみにツナギの上から宇宙服を着ていたので、わざわざ着替えさせられたという訳でもない。
「こんな時によく寝てられるぜ」
充分に睡眠を貪った為に、気分爽快という面持ちのカーナ。その少女を前にして、シュウカは呆れた調子で独りごちる。
尤も、かく言う彼女もほんの10分程前までは爆睡していたのだが。
「もしかしたら、寝とったまんまの方が幸せやったかもしれへんなぁ」
細目を低い天井へ向け、ラウルは溜息を吐くように呟く。
これから何が起こり、自分達がどうなるのかは判らない。もしかしたら、とても恐ろしい目へ遭う事になるやも。
しかし眠ってさえいれば、少なくとも恐怖や怯えは感じなくてすむ。直に恐怖へ触れて苦しむよりは、何も知らぬまま眠りこけていた方が幸せではあるまいか。
そんな思いが述べさせた発言だった。
「ねー、此処ってドコ?」
「……判らない。……私達も目が覚めたら時から、既に居たから」
辺りをキョロキョロと見回して首を傾げるカーナへ、ルーリーは頭を左右に振って答える。
艦内オペレーターの疑問は、目を覚ました時に全員が等しく抱いた物だ。そして誰にも正解は得られていない。
「あのガスで眠らされた我々を、エクセリオンから此処まで運んできた者がいるのは確実なんだが……」
片手で眼鏡を押し上げつつ、レンが唸る。
自身等の現状に何者かの意思が介在しているのは明らか。しかし問題の主については依然として一切が不明。正体なき存在の影は奇妙であり、また不気味だ。
「皆はどーして外に出ないの?」
今度は隔たりのない室内北側を指差して、カーナが一同へ問う。
三方面を壁に閉ざされているが、彼女等が正面に見る其処には何も無い。現在地から離れる事は簡単、それは誰もが思う事に違いない。
にも関わらず誰も動いていないという事実。これを鑑みた結果、カーナが至った結論とは。
『皆でカーナちゃんが起きるのを待っててくれたんだね!』
である。
仲間達に問いながら、寝起き少女はそんな考えを脳内に描くのだった。
「どうしてって、そりゃ……」
「お待ちかねのカーナちゃんも起きたしー、早くゴハン探しに行こーよー」
投げられた質問にキリエが答えきるより早く、カーナは勢い良く立ち上がり、軽快なステップを踏む。
あっという間に北面部外通路側へ跳ね寄り、今正に外へ飛び出そうとした瞬間。
「やめろ!」
強烈な一喝がその場に響いた。
「うひゃぁ!?」
大咆に不意を突かれ、カーナは驚きの悲鳴と共に室内側で尻餅をつく。
強打した臀部を擦り擦り、涙目になって少女は呻いた。
「痛いよぉ〜」
「ケツ打っただけで良かったな」
泣き顔のカーナへ不敵に笑いかけたのはタカギ。彼女に怒声を浴びせ掛けたのも彼である。
寄り掛かっていた壁から背を離し、タカギは何の臆面もなく歩き出した。
「そう睨むなよ」
口の端を吊り上げて、機関室長はカーナを見ながら底意地悪く笑う。
非難の意思が滲む少女の視線も意に介さず、彼女が越えようとした室内北面部目指してタカギは悠然と進んだ。
良性とは真逆の笑みを面上へ貼り付けたまま、彼は外通路と室内の境目直前で歩を止める。
すると何思ったか、ツナギの胸ポケットから一本の煙草を取り出した。人差し指と中指で吸い口部分を挟み、先端を室内外の境目へ徐に突き出す。
直後、通路と部屋との境界面へ、眩く輝く光の線が網目状に出現。光の発生領域に入り込んでいた煙草の先端は音も無く焼き切られ、1cm程が消失した。
「ま、こういうこった」
熱断された接面に赤味が点いて、仄かに煙上げ始めた煙草を口へ咥え、タカギはカーナに不遜な笑みを向ける。
小さな隙間しかない光線網は、タカギが内外境界部より煙草を引き離すと、現れた時と同様に一瞬で消えた。
「あわ、あわわわわ」
カーナは床にへたり込んで、光線の消えた境目とタカギの顔を交互に見遣る。
口からは言葉にならない音の塊が零れるばかり。
「外に出よ思うたら、ズバッ!やな」
新たな溜息を漏らしつつ、ラウルが肩を竦めて首を振る。
元から緩めの顔は今や完全に脱力し、諦めが色濃く覗いた。
「捕獲者を逃がさない為の防衛機構だ。本来は命に関わる程のダメージにはならねぇ筈だが、こいつはどうもシャレにならん威力らしい。ま、馬鹿な真似すんなってこった」
煙草を口に挟んだまま紫煙を吐き出し、タカギは他人事のように論評する。
彼には無理矢理にでも此処を突破しようという気概が見られない。かといって諦観や焦燥を背負うでもない。
自分達に不利な現状へ甘んじつつ、その中で尚、己の在り方を崩さない。その姿勢は並々ならぬ豪胆さを感じさせた。
「三面が壁に囲まれているのに一ヶ所だけ何も無い。どう見ても怪しいだろ。何か仕掛けがあると思って当然だ」
未だ床にへたったカーナを一瞥し、レンは脱出不能ポイントを見詰める。
彼の幾らか後方では、何故かシュウカが憮然として同位置を睨んでいた。よく見ると、彼女の前髪が不自然に量感を変えているのが判る。微かにだが、髪の焦げたような臭いも感じられた。
「あぅぅ、腰が抜けちゃったよぉ〜」
先程から変わらない姿勢のカーナは、目尻に涙を溜めて嘆く。
彼女の近くに立つタカギは美味そうに煙草を燻らせ、嘲笑の形へ口許を歪めた。