第24話:準備
キリエから発せられた食事への誘惑。それはカーナ達の心を掴み、激しく揺さぶっていた。
胸中に潜む恐怖と痛烈な食欲が鬩ぎ合い、進むべき道の方向性で葛藤しているのが表情からも判る。
彼女等は今、自らの内へ自問自答を繰り返し、己の道程を定めようと必死に戦っているのだ。自分自身と。
「おお、効いている」
懊悩に燻る三人の顔を見て、レンは感嘆の音を漏らす。
彼の目前で、心の苦悶に呻く者達。精神的な辛さに折れるか、肉体的な欲求に従うか。
本人限定の難問に各自が思い悩むこと数十秒。
その結果は。
「うっきゃー!!もぉ、お腹空いた!ガマン出来ない!カーナちゃん、ゴハン食べに行くー!」
カーナはヤケクソ気味な絶叫を上げ、大した勢いで立ち上がる。
思い悩んだ末に彼女が辿り着いたのは、堪え難い空腹を満たす道だった。
「くぅぅ、やっぱりワイも腹減りには勝てまへん。そこに食べ物があるなら、根性据えて行きまっせ」
「……私も」
カーナに続き、ラウルとルーリーも同様の結論へ至る。
彼女の様に立ち上がりこそしなかったが、明確な決意を固めて覚悟の表情を作った。
「あっはっはっは!そーこなくっちゃね」
部下達の返答に満足して、キリエは豪快に笑う。
しかし、無理して彼女等を連れて行く必要は、本来に於いて無い。望む者だけで探査行に赴き、食料を手に入れたならそれを持ち帰ってくればいいのだから。
にも関わらず、キリエはカーナ達の目前に食事の可能性という文字通りの餌を釣るし、苦手意識を自らの意思で打破させる方法を取った。
そうした理由は一つ。財団艦に入ったなら、もうエクセリオンへは戻らないつもりだったからだ。
フィルモアとの戦闘で、当艦は機能の大部分を喪失している。半端な修理では間に合わない程の、致命的な損傷であった。
此処まで来たらもう、現艦を捨てて別艦に移った方が良い。財団艦から部品を調達してエクセリオンを修繕するよりも、艦を乗り換えた方が早いし確実である。
公団軍には「絶対に規定の探査艦で活動せねばならない」という規則がある訳でもない。仮にあったとして、本星帰還時に必要資源を持ち帰ればいいだけの話。課せられた使命を全うしたのだから文句など言わせはしない。
それがキリエの考えだ。
「よぉーし、そうと決まれば善は急げだ。総員移動準備をしな!」
主艦変更の思惑を胸にするキリエの号令が艦橋内に響く。
上司の考えを正確に察すレンは、各員へ捕捉の言葉を送った。
「向こうの艦へ移ったら、もうこちらには戻ってこないだろう。各自に担当職務の累積データ等、バックアップを忘れぬように」
「なんだぁ?つまりエクセリオンを捨てるってのか?」
副長の提言に、シュウカが疑問の声を投げ寄越す。
レンは手許のコンソールを操作しながら、これへ頷き返した。
「そういう事だ。残念だが、この艦はもう使い物にならない。公団軍としての任務を続行する為には、新しい艦への移動は必要不可欠。それは皆も判るだろう」
五指の動きで今までに得た諸々の情報類を整理しながら、レンは一同へ問い掛ける。
各自に起こる肯定の頷きを眼鏡越しに捉えた後、自分の携帯型情報端末機に主要データを送り、コンソールの操作を終えた。
後は移動した艦の類似システムに今落としたデータを投入し、自己職に該当する専用プログラムを組み上げれば、エクセリオン時と同様の装置として利用出来る。
彼が新艦移動後の順応作業を終えたと同じ頃、他の面子もこれを完了させていった。
「カーナちゃん、おっわりました〜」
「こっちもOKや」
「……問題ありません」
「おっし、オレも出来たぜ」
皆の口から終了合図が上る。
これを聞き終えたキリエは片手を上げて了解を示し、もう一方の手で機関室への通信回線を開いた。
ホログラムモニターが眼前に表示され、その内へ目付きの悪い男が映る。
メンチを切っているようにしか見えないタカギへ、エクセリオン艦長は気にする風なく話しかけた。
「さて、あたし等は向こうの艦に行こうと思うんだが」
『あの艦を見付けた時から、そうするだろうと思ってたぜ。こっちはとっくに準備出来てるぞ』
「流石だね。話が早い」
何言うでもなく届けられた早期の返答に、キリエは口唇を緩める。
尚、艦橋が得た情報はそのまま機関室へ送られるよう、現在の通信機関は設定されている。その為、財団艦の存在はタカギ等機関室メンバーも知り得ていた。
『で、どうやって渡る?』
「相手は動いてないが、本艦は向こうに近付いてるからね。このまま放っておけば嫌でも取っ付くさ」
『成る程な。傍まで行ったら次は』
「アンタ達の出番だよ」
タカギが言葉を続ける前に、先んじてキリエが述べる。
彼女の発言に対し聞かされた側は、これ見よがしに眉を顰めて鼻を鳴らした。
『だろうな』
「船外活動用の作業服は機関室にしかないからね。外に出たらワイヤーでも引っ掛けて、こっちと向こうを固定しとくれ」
『その後は乗り込み口を抉じ開けて、艦内の調査をして来いってか?』
「動力が止まってんだ。生命維持機能だって働いてやないだろうさ。作業服着たアンタ等で、機関室に火を入れるんだよ」
さも当然と言うように、キリエは機関室要員の行動プランを口にする。
一方の機関室責任者は口許を歪め、憤慨一歩手前とも見える顔をした。
『まだ俺達を働かせるつもりらしいな』
「文句があるかい?このまま飲まず食わずでクタバルより、遥かにマシだと思うけどね」
不満そうなタカギへ、キリエは悪びれもせず相手の目を見詰めやる。
現状からいって反論の余地がない事を判ったうえで問う、挑戦的な態度だ。
『チッ、いい性格してるぜ。人を顎で使うのは慣れっこかよ』
「それが仕事だからねぇ。ま、期待してるよ」
『そいつはドーモ』
舌打ち混じりに言い捨てて、タカギの側から通信が切られる。
空間上に浮かび上がっていたホログラムモニターが消えると、キリエは微笑を刷いて視線を流した。
今度見るのは下層の部下達。
「さて、それじゃ機関室の連中が上手い事やってくれるまで、あたし等は待つとしようか」
張りのある声が全員の耳を打つ。
各員が了承を伝える返事は相槌や挙手。
そんな皆の見ている前で、財団の印持つ艦は自艦へと近付いていた。