第21話:漂流
エクセリオンとフィルモアの遭遇から20時間程が経過した頃。
誰も知らぬような未開の宙域を、破損した航宙艦の残骸が漂っている。
古き地球時代、青き海洋を巡った大型海生哺乳類。その中でも最大級の大きさを持っていたとされるシロナガスクジラを模し、建造された資源惑星開発公団の探査艦。
第三期公団軍に属するエクセリオンが、航宙艦の正体であった。
但し、同艦は殆ど原形を留めていない。
艦体は中心部から先がもげており、艦尾方が完全に消え失せている。
本全長の半分程度しかない艦は、背面、側方、艦腹等、装甲壁の随所に大穴を穿ち、或いは抉れ窪み、全体を著しく損壊している状態だった。
艦内の大部分にも深刻なダメージが刻まれ、8割方のブロックが放棄されている。そんな中にあって唯一無事なのは、艦橋と機関室の二つ。
艦橋は艦の行動管理を一手に担い、全てを取り決める司令塔。機関室は艦の各機能を支える中枢動力炉。
どちらも航宙艦の運航に無くてはならない最重要区だ。それ故に艦内では最も高い防性能を有し、堅牢厳重に設計されている。何かしらの要因で艦に実害が出ても、最悪、運航能力だけは護る為に。
根底にあるそうした意図が幸いし、両区画は辛うじて機能を保っていた。
損傷の大きい他区画との境を隔壁で閉ざし、自区の機密性を高め、酸素供給や艦内温度の調整等、生命維持機能が乗員の活動を保護している。
しかしそれ以外の場所は、人の生存出来る状態に無い。乗組員の90%以上は死亡しており、無重力状態の艦内を幾多の死体が漂っているというのが現状だ。
事実上、エクセリオンは探査艦としての機能を失っていた。
先刻まで艦橋内を満たしていた危険域非常事態警報の波も、各員の対応操作で一応の収まりを見せ、ブリッジは久方ぶりの正色を取り戻している。
艦橋の至る所に浮かび上がっていたホログラムモニターは、画面全体を赤一色に染め、現在エクセリオンが置かれている状況を、その危うさと共に執拗に訴えていた。
司令部たる艦橋に詰めている総員で一つ一つに対処し、それら膨大な警告アラームを処理するのへ要した時間は大凡6時間に及ぶ。
この間に被害状況や死傷者情報を知り得た一同の中には、絶望色に彩られた暗澹とする空気が漂ったものだ。
しかして、それも今は幾分か緩和され、各々に生気活力を取り戻しつつある。皆の感じた心の痛みはけして浅くないけれど、時間が多少なりとも癒してくれたのだろう。
死した仲間達の願いと志を引き継いで、これを達成してやろうという思いが、各人の中に前へ踏み出す力を与えていたのかもしれない。
それから程無く。状況の安定化と個々人の休息を終えた後に、艦橋面子各員は本格的な活動を始めた。
「……近域星及び恒星までの距離を演算式に組み込み、現在位置の特定を試みましたが、記録されている全データに該当する宙域が存在しません」
無数の英数字からなる膨大な座標データ。過去に人類が到達した事のある宙域情報をモニターに見つつ、ルーリーは淡々と告げる。
「つまりぃ、此処が何処だかワカンナーイって事ぉ?」
自分の座席を回転させたカーナが、索敵官の背中へと問い掛ける。
艦内統括オペレーターの質問を浴びたルーリーはゆっくりと振り返り、相手の目を見て小さく頷いた。
「……そう」
「広大な宇宙の只中で迷子、か」
少女の呟きを聞きながら、上層の副長席に座すレンは眼鏡を押し上げる。
フィルモアとの予期せぬ戦闘を経、同艦の爆発に巻き込まれてしまったエクセリオン。
艦体を中央から分断されるという多大な被害を被った探査艦は、非常時に際して起動する緊急脱出システムの働きにより、ブリッジクルーの操作とは無関係に、最後の爆流に合わせて強制的なゲートジャンプを果たした。
だが致命的な打撃を受けていた艦のリアクター出力は不安定で、尚且つ移動先の演算処理をする筈の電子頭脳が途中で機能を停止してしまった為、エクセリオンが辿り着いた場所は、何処とも知れぬ全く未知の宙域だった。
「それじゃぁ、エクセリオンは今何処に向かってるの?」
もう一度座席を回して、今度は操舵手の背を見ながらカーナは首を傾げる。
問われた側は頬を掻きながら体を回し、後方へ向いて肩を竦めた。
「こっちが聞きたいぐらいや」
糸に似た細目が特徴的な顔へ、ラウルは困ったように苦笑を浮かべる。
というのも、先の騒動時に致命的なダメージを受け、艦の推進機関が機能を停止してしまったのだ。お陰で艦は進むも戻るもならず、今や風の向くまま気の向くまま、当てなく宇宙を彷徨うだけ。
「どーすっかねぇ。つっても、どーしようもねぇんだよな」
シュウカは後頭部で両腕を組み、自席の背凭れに身を預ける。
フィルモア内で傷を負った右肩には、公団軍ユニフォームのブレザーから切り離した裾部が、包帯代わりに巻かれていた。
その他にも、露となる素肌には幾つもの切り傷が目立つ。フィルモアからの脱出を試みた際、襲撃してきた線管によって付けられたものだ。
また同敵艦の爆発に巻き込まれた折、座席から投げ出されて負った打撲痕も見える。それは彼女に限った事ではなく、他のメンバーにも言える事だ。
艦橋内に備えてある簡易医療キットで、それなりに治療は済ませてある為、取り合えず問題は無さそうだが。
「それよりもぉ、お腹空いたね〜」
自分の腹部を押さえ、カーナは首を擡げる。
脱力気味に肩を落とし、物寂しげな表情で溜息を吐いた。
「さっきから、なんも食うてへんからなぁ。ワイもヒモジイわ〜」
ラウルも同じように腹を抱え、少女オペレーターに共感する。
二人は似通った姿勢でだらしなく座席へ沈み、力ない顔で空腹に耐えた。あまりに腹が空きすぎて、癇癪を起こす余裕がなくなっている程だ。
「うるせぇなぁ。ハラヘッタって口にすんじゃねぇよ。余計に腹が減るじゃねぇか」
カーナとラウルを睨み付け、シュウカは不機嫌そうに文句を言う。
けれど荒い言葉の中には、常の刺々しさが薄い。彼女もまた空きっ腹に気力の多くを奪われていた。
「食堂は吹き飛んだ後部方だったからな。資材管理用の倉庫区も同様。艦橋には食料の備蓄もないし、正直これからが辛い」
体面のコンソールに手を付いて、レンは長々と溜息を漏らす。
艦は半壊、航行機能も停止、現在地は不明で、食料までない。クルーの生き残り達が立たされている状況は、極めて危うい。且つ絶望的。
状況打開の決め手も見付からず、副官も途方に暮れていた。
「やれやれ、困ったことになったもんだ」
上層中央の艦長席に腰を下ろすキリエ。
恰幅の良いエクセリオン艦長は、様々な要因から疲弊している一同を見遣り、顎に手を当て思案顔を作った。
それから少しして、手許に並ぶ幾つかのスイッチから一つを選び、徐に指を落とす。
すると彼女の面前にホログラムモニターが表示展開され、艦橋同様に壊滅を免れた機関室と回線が繋がった。
『なんだ?』
些か画像の乱れる其処へ、額に包帯を巻いた男が映る。
挑むような目付きの悪人面は、機関室長のタカギだ。
「そっちの様子はどうだい」
『至って良好とでも言って欲しいか?ふん、生憎だがヨロシクないな』
キリエの問い掛けに、タカギは憮然として返す。
何時も不機嫌そうにしているので判り難いが、今の彼は本当に機嫌が悪い。理由は言わずもがなであろう。
「リアクターの調子は?」
『極端に悪い訳じゃないが、頗る快調でもない。まだ暫くは問題なく動くだろうが、早いうちに本格的な修理をせんと停まっちまうぞ』
前髪を鬱陶しそうに払い除け、タカギは投げられた質問へ応じる。
機関部を受け持つ総責任者の面倒臭そうな応対に気分を害するでなく、キリエは思考を進めた。
けれど、これといった妙案が直ぐに閃く事もない。
「このままじゃジリ賃だ。どうするのがイイかねぇ」
『さぁな。それを考えるのがソッチの仕事だろ。俺達の仕事は気に入らない命令に文句を言って、ブータレながら手を動かす事だ』
「違いない」
己の問いへ冷笑で対すタカギに、キリエは口許を緩める。
その後、呼気のような微笑声を残し、モニターの閉示ボタンへと指を伸ばした。
「まぁ、適当に何か考えるさ。それまで気楽にやってな」
『腹の減り過ぎで野生に還った連中が、噛み付き合いを始める前にやってくれ』
あまり冗談とも思えぬ言葉を最後に、タカギとの通信は終了する。
閉じて消失したモニターを越え、エクセリオン艦長は下層の部下達を眺め見た。
頭の中では今後の方針をどうすべきか、答えの定まらぬ問題が渦を巻く。だと言うのに顔へは危機感を全く浮かべず、至って平然とした面持ち。
皆を不安がらせない為の演技か。それとも生来の豪胆さが成せる業か。
今回から第二部です。