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命の讃歌  作者: Vinus Lop
1/1

傷心

 明治中期、東京でのことである。

 街から少し離れた郊外の一軒家に、ある夫婦が住んでいた。



 「律(りつ)、新聞を読んでくれないか」



 葛城才蔵(かつらぎさいぞう)は盲目の作家だ。



 「ええ、少しお待ちを。漱石先生の小説は…」



 毎朝妻の律に新聞小説を読ませ、物語を楽しむと同時に文法や表現技法を学ぶ。

 原稿を書くのも律だ。口頭で物語を話し、律に字を書いてもらう。

 才蔵にとって律は必要不可欠な存在であったのだ。



 「律、今日は街へ出てみないか」

 「まあ、あなた、急にどうなさったんです」

 「もう髪が大分伸びてきただろう。私が髪飾りを買ってあげようじゃないか」

 「…あら、とても嬉しいわ。そうね、たまには街へ出てみましょうか」

 


 二人は支度をして街へと向かった。

 外に出るときも律の助けが必要であり、才蔵一人では行動できない。



 「あなたの洋服姿を見たのはいつぶりかしら。なんだか恋人だった頃を思い出します」

 「ふ、おまえも今日はヘリオトロープをつけているようだね。花の甘い香りがするよ」

 「あら、よくご存じで」

 「その香水は私の母が気に入ってよくつけていたものなのだよ」



 才蔵はふと愁いを帯びた表情をした。



 「どうかなさいました?」

 「ああ、いや、なんでもないよ。行こうか」

 「ええ」



 二人は腕を組んで街を歩いた。

 街にはラムネやあんパンなどを売った店がずらりと並び、大勢の人々で賑わっていた。



 「あら、あなた、あそこに素敵なお店がありますわよ。行ってみましょう」

 「ああ」



 二人が入ったのは小さな雑貨屋だった。

 趣のある小物がぎっしりと陳列され、値段も様々であった。



 「まあ、この髪飾りとても綺麗だわ」

 「ほう、どんな髪飾りなんだ?」

 「小さくて赤いお花がついているんです。とても華やかだわ」

 「そうか、おまえがそれをつけたら大層綺麗なんだろうなあ…よし、その髪飾りを買ってあげよう」

 「えっ、あなた、こんな高いもの買えませんよ」

 「いいんだ、おまえが喜んでくれれば金など要らん。他に気になるものが無ければ誰かに買われる前に勘定を済ませておこう」

 「ええ、ありがとうございます。とっても嬉しいわ」



 才蔵が店の奥に向かって声をかけると、奥から店主が現れた。

 どうやら異国人のように見えた。上背があり、髪が茶色で目の色も青い。

 ゆったりとした動作でこちらに歩いてくる。



 「はい、おっ、奥さん、そちらをお買いになるんですか」

 


 日本語に慣れているらしく、とても流暢で、艶のある低い声が耳に優しく響いた。

 その店主には不思議な雰囲気があった。異国人というのもあるが、それだけではない何かを感じた。



 「まあ、日本語がお上手なんですね」

 「ありがとうございます。ここに来て大分長いので」

 「そうなんですか…。お勘定よろしいですか?」

 「ええ、これは良い品物ですよ。素材が良いので長持ちするし美しさも変わらないんです。その代わりお値段が高くなってしまうんですが、こちらはご主人に伺ったほうが宜しいですかね」

 「ああ、はは。いやあ構いませんよ」

 「おやまあ、素敵なご主人で。奥さん、ここでつけてご主人に見せてあげたらどうです?」

 「ああ、すみません。主人は目が見えないんです」



 そう言うと店主は気まずそうに人差し指で頭を掻いた。



 「おっと、それは失礼致しました。それにしても奥さん、とても良い髪をしていますね。貴女のような方にこれを買って頂けるとは、店主として嬉しい限りです」

 「まあ、お上手なのね」



 それからしばらく談笑し、会計を済ませて二人は店を後にした。

 その後も他の店を見て歩いたが、髪飾り以上に気に入ったものはなかった。



――――――――――――――――――――

 


 夜、二人は寝床につき、今日の出来事を振り返った。



 「今日は楽しかったですね」

 「ああ、あんなに楽しそうに笑うおまえの声を聞いたのは久しぶりだよ」

 「ええ、なんだか終わってしまうのがさみしいわ」

 「おまえが望むならいつでも連れていってあげるよ」

 


 二人は満ち足りた気分で就寝時刻を迎えた。


 

 「お休みなさいあなた」

 「ああ、お休み」




――――――――――――――――――――


 それから三日が経った。

 才蔵が縁側で物語の構想を練り、その隣で律が洗濯物を畳んでいるときだった。



 「すいませーん、ちょっといいかなぁ?」

 「どちら様です?聞き覚えの無い声だ」



 家を訪ねてきたのはガラの悪い巨漢の男達だった。

 


 「…私の知り合いです。あなたはここで待っていて下さい」

 「……?」



 才蔵は不審に思いながらも律の言うことを聞き、その場にとどまった。

 一方、律は男達とその場を離れ、裏庭へと向かった。

 律は男達に囲まれ、ただ一点を見つめて俯いていた。



 「奥さん、ちゃんと用意してくれたんでしょうねえ、お金。ええ?また先延ばしとなっちゃあこっちも待ってられませんよ?」

 「申し訳ありません、まだ―」

 「謝って済むもんじゃないでしょう。こちとらずぅーっと待ってあげてるんですよ?いつになったら返してくれるんです?」

 「そうだよ奥さん、体売ったくらいで全然稼げてないじゃないの」

 「あのね、まずあんたみたいなおばさん、誰も手ぇつけやしませんよ」

 「こりゃあ土地も売ってもらわなきゃかなわねぇなあ」


 四方八方から続けざまに攻撃され、律は泣きそうになった。

 言い返してやろうとも思ったが、言葉が思い浮かばなかった。



 「そんな、堪忍して下さい」



 律は涙を流し謝ることしかできなかった。



 「ん、おい兄貴、あれ見ろよ」

 「ん?」



 律は男の視線に気が付いた。

 見ている。才蔵に買ってもらった髪飾りをじっと見ている。


 律は咄嗟に手で覆い隠した。



 「おいおい、借金抱えてるってのにそんなもん買っちゃってるの?」

 「これは…主人に買って貰ったのです」

 「へーえ、結構イイもん買って貰ったんじゃないの」



 男はニタニタと下品な笑みを浮かべている。きっとこの髪飾りを売るつもりなのだ。



 「やめて下さい…これは大切なものなんです」

 「借金を返すほうが先でしょうよ、なあ奥さん、これじゃあほんとに生活できなくなっちゃうよお?」

 「でも…」



 律は言いさして決意した。



 「…分かりました。では、私の…この髪をお売りしましょう」

初投稿です。まだまだ未熟ものですがどうぞよろしくお願い致します。

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