先輩の家で、先輩と二人っきりでプレイする、初めての遊び
──ピンポーン。
とあるマンションの五階、五○二号室。
ボクがおそるおそるインターフォンを鳴らすと、しばらくしてドアが開き、綺麗なロングの黒髪を揺らして先輩が現れた。
「や、後輩ちゃん、来たね。ささ、入って入って」
先輩はいつも通りに強引なノリで、ボクを部屋の中へと連れ込んだ。
正直、ドキドキしないと言ったら嘘になるけど──ボクは先輩のノリに引きずられるままに、お宅にお邪魔する。
「やー、よく来てくれたね。狭い部屋だけど、適当に座って」
ボクを居間に通して、先輩は奥の台所へと向かった。
先輩は鼻歌を歌いながらお湯を沸かしつつ、急須に茶葉を入れている。
どうやらお茶を淹れてくれるようだ。
ボクは勧められた通り、居間で座って待つことにした。
先輩の言う通り、居間は決して広くはなかった。
四畳半ぐらいの広さの、畳敷き。
中央にはちゃぶ台が置かれていて、その前後の対になる位置に座布団が二枚用意されている。
……今どき、乙だなぁ。
ボクはそんなことを思いながら、座布団のうちの一枚に正座をし、先輩を待つことにした。
ちなみにちゃぶ台の上には、いくつかの「道具」が置かれていた。
何枚かの紙と、シャープペンシル、消しゴム、そして何個かのサイコロ。
紙はコピー紙とかルーズリーフとかがあって、それぞれ印刷されたり手書きだったりで、さまざま文字や数字が書き込まれている。
まあ、見ても何だか分からないので、ひとまずそれらは放置して、じっと待つことにした。
しばらくすると先輩が、お盆に急須と湯呑み二つを載せて、居間に戻ってきた。
「お待たせ~……ってうわっ、後輩ちゃん、相変わらず行儀いいね。もっと足崩して、楽にしていいのに」
先輩はボクの前と自分の前にお茶を置きつつ、そう指摘してくる。
ボクは言われるままに、足を崩して座ることにする。
一応、スカートを皺にしないようには気を付ける。
「それにしても後輩ちゃん、制服のまま来たんだね。着替える時間なかった? まあ、後輩ちゃんのセーラー服姿は最高に可愛いからいいんだけど、お姉さん、後輩ちゃんの私服も、ちょーっと見て見たかったなーなんて思ったりするよ?」
言えない。
先輩の家に初めてお邪魔するのに、何を着て行ったらいいのか分からなくてへたったなんて。
……それにしてもこの先輩は、「可愛い」なんて言葉を平気で使ってくるから困る。
お世辞か、からかっているだけなんだろうけど、言われるたびに自分が赤面してしまっているのが分かる。
まったくこの人は、こっちの気も知らないで……。
「ま、いいや。──それじゃさっそく、始めるとしますか」
ボクが先輩に想いを馳せていると、先輩がそう言って、ちゃぶ台の上の紙束をトントンとまとめた。
そしてその紙束を、自分が座っている座布団の横の、畳の上に無造作に置く。
それからまっすぐに、ボクの方を見てきた。
先輩をぼーっと見つめていたボクは、彼女とバッチリ目が合ってしまい、慌てて視線を逸らす。
先輩は、そのボクの動揺を知ってか知らずか、笑顔で話を進めてきた。
「それじゃ、そこにあるサイコロを二個、手に取ってくれるかな」
──テーブルトークRPG。
今からボクが先輩と一緒に「プレイ」することになっているのは、そういう名称の遊びらしい。
先輩は「でもプレイヤーが一人だから、どっちかっていうと『ゲームブック』に近いのかにゃー」なんて言っていたけど、正直ボクにはその差が分からなかった。
というか、『テーブルトークRPG』というもの自体、何だかよく分かっていない。
どこかでちらっとそんな名前を聞いたことがあったかなかったか程度で、一体どんなものなのかは、全然まったくさっぱりぷーさんである。
でもボクが先輩にその旨を伝えると、
「大丈夫大丈夫、後輩ちゃんには私が、手取り足取り教えてあげるから」
なんて不穏当なことを言われて、熱病にかかったかのようにふらふらと誘いを受けてしまったボクは、流されるままに今ここにいるという次第だった。
先輩とは、学校の委員会でたまたま出会っただけの間柄だったはずなのに、一体どうしてこうなったんだろう?
ともあれ。
先輩と、先輩の家で、二人っきりで何かをする。
それだけで、ボクにとっては至福のひと時なのだった。
「はい、じゃあこれ、キャラクターシート」
そう言って先輩が、紙束の中から一枚の用紙を取り出し、ボクの前に置いてきた。
……キャラクターシート?
って、一体なに?
A4サイズのコピー紙に、いろいろの文字とかが印刷されたそれを見ても、何だかよく分からない。
「これから後輩ちゃんには、ファンタジー世界で自分の分身となって冒険する『キャラクター』を作ってもらいます」
……はあ、キャラクター。
っていうと、漫画とかアニメとかに出てくるアレ?
いきなり作れと言われても、よく分からないけど……
「って言っても、難しい事考えなくていいよ。とりあえず、いま手に取ったサイコロ二個、振ってみて」
うーん、そう言うなら……。
ボクは言われるままに、手に取ったサイコロ二個を、ちゃぶ台の上にいっぺんに振った。
カラカラっと小気味よい音を立てて、サイコロが転がる。
そうして出た目は、二と五。
「出目の合計は7だね。そしたら、その合計値に3を足したものを、キャラクターシートのここ、「STR」っていうところに書き込んで。出目の合計は7だから、書き込むのは“10”』だね」
シャープペンシルを渡されたボクは、先輩に言われるままに、コピー紙の所定の場所に数字を記入してゆく。
「じゃあ次はVITね。もう一度、サイコロを二個振って」
さっきと同じように、サイコロを振る。
出た目は二と三。
「合計は5だね。じゃあそれに3を足して、「VIT」のところに“8”って書いて。うん、そう──」
そんな風にして、ボクは合計で七回、サイコロを振らされた。
そうして、「キャラクターシート」と言って渡された紙には、こんな数字が書き込まれていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
STR(筋力):10
VIT(生命力):8
DEX(器用さ):11
AGL(敏捷性):14
INT(知力):9
WIL(意志力):13
LUK(幸運度):10
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そうして書き込まれた結果を見て、先輩がうなずく。
「ん、オーケーオーケー。能力値は9~11が標準だから、まずまずの結果だね。後輩ちゃんの分身は、ちょっと撃たれ弱いけど、動きが素早くて、意志が強い。そんなキャラクターになったわけだ」
……能力値?
サイコロを振ったら、何かが決まったみたいだ。
「あー、うん、分かんなかったら気にしなくていいよ。いずれ使うときになったら、また教えるから。──それじゃあ、あとはキャラクターの名前を決めよっか。いつまでも『後輩ちゃんの分身』じゃあ、具合が悪いからね」
名前?
名前かぁ……。
さっきファンタジー世界って言っていたから、それっぽい名前がいいよね。
んー、じゃあボクの名前からもじって……あれ、もじらなくてもいいかも?
ボクはあまり深く考えないで、自分で決めたその名前を、先輩に告げた。
「あはは、『アイナ』か。そのまんまだけど、いいんじゃない?」
──だけど、ボクはこのとき気付いていなかった。
これからその名前を、先輩から何度も連呼されるということに。
……ボクの下の名前を、先輩から呼び捨てにされるということに。
「それじゃ、準備も整ったし、ゲームを始めようか」
先輩はそう言って、紙束を取り出し、そこに書かれているのであろう文章を読み始めた。
「──空にはおどろおどろしい暗雲が立ち込め、止むことのない雷鳴が轟いている。旅の戦士であるキミ──アイナは今、邪悪な死霊使い(ネクロマンサー)を退治するため、そのねぐらである洞窟の前までたどり着いたところだ」
先輩が、演劇のナレーションのように調子を付け、テキストを読み上げてゆく。
凛々しいアルトの声で、噛むこともなく流麗に語りかけてくる。
……え、何これ、カッコいい。
先輩カッコいい。
「──というわけで、アイナはファンタジー世界を生きる、旅の女戦士だよ。きっと後輩ちゃん似の、黒髪ショートカットの美少女剣士に違いないね」
今度は普段の調子で、普通に話しかけてくる。
え、何これ、何なのこれ。
「あー、言い忘れてたけど、この遊びはこうやって会話を使って進行する、疑似体験ゲームみたいなものなんだ。後輩ちゃんはこのゲームの間、自身の分身となるキャラクター──アイナを通して、ファンタジー世界での冒険を繰り広げる。……どう、面白そうじゃない?」
先輩から言われて、ボクはこくこくと首を縦に振る。
なんかその……ワクワクする。
「よかったぁ……。じゃあ、先に進めてもいいかな」
どこか安堵したような、先輩の声。
ボクは再びこくこくとうなずく。
「よし。ちなみに今回アイナは、近くの村から死霊使い討伐の依頼を受けて、この洞窟まで来たんだ。死霊使いはこの洞窟をねぐらにしていて、これまでに村から何人もの娘をさらっているらしい。死霊使いを打ち倒し、できればさらわれた娘たちも救い出してほしいというのが、なけなしの財をはたいてアイナに依頼した村人たちの願いだよ」
ほへー……なんか、すごい。
こういうお話とか、全部先輩が作ってるのかな……?
「んー、まあ、これに関してはそうかな。──さて、そんなわけでアイナの前には、ぽっかりと開いた洞窟の入口がある。あたりは空に立ち込める暗雲のせいで暗いけど、洞窟の中はもっと暗い真っ暗闇で、灯りがないととても進めそうにない。そこでアイナは、背負い袋の荷物の中から松明を取り出して、それに火打ち石で火をつけて、左手に持った。そうして左手に松明を、右手に剣を構えて、洞窟の中へと足を踏み入れて行く。──いいかな?」
えっと……『松明』って、何だっけ。
「ああ、そこで引っかかるのね。あれよ、オリンピックの開会式とかで持ってるやつ。えっと──こんなの」
先輩がタブレットで検索し、画像を見せてくれた。
http://dic.pixiv.net/a/%E6%9D%BE%E6%98%8E
筋肉ムキムキのおっさんの絵だった。
……ま、まあ、松明がどういうものかは分かった、うん。
「よし、じゃあ進むよ。──左手に松明、右手に剣を構えた剣士アイナは、禍々しい気配を放つ洞窟へと、足を踏み入れる。ごつごつとした洞窟の壁がたいまつの炎に照らされ、その照明範囲が、アイナの歩みと同じ速度で徐々に奥へと進んでゆく」
先と同じように、先輩が紙束を見て、朗々と読み上げる。
「そうして、ぐねぐねとうねる洞窟の通路を、どのぐらい歩いた頃だろうか。カラカラという何か硬いもの同士が擦れあうような音が、洞窟の奥から聞こえてきたかと思うと、キミが掲げる松明の灯りが、奥の闇から這い出てくる『それら』を照らし出した」
ちらと、原稿から視線を外して、ボクのほうを見てくる先輩。
ボクは先輩に、こくっとうなずいてみせる。
……すごく雰囲気がある、と思う。
ボクはドキドキしながら、先輩が先を話すのを待った。
「漆黒の闇の中から現れたのは、骸骨──人間の骸骨だった。それらは骨がきしむ音を鳴らしながら直立歩行で動き、アイナのほうへと向かってくる。──数は、二体。それぞれの骸骨は、手には錆びた小剣を持っていて、それを振り上げて、侵入者を排除しようと襲い掛かってくる!」
えっ、えっ……?
ど、どうしよう──!?
逃げ……違う、戦う……?
でも、どうやったらいいのか分からない。
それに慌ててみたけど、冷静に考えたら、ボクが今いるのは先輩の家の居間だ。
ファンタジー世界にいるのはボクの分身の『剣士アイナ』であって、ボク自身じゃない。
そんなわたわたしているボクを見て、先輩が微笑みかけてくる。
ボクは少しドキッとする。
……先輩の笑顔、いつ見ても綺麗だな。
「というわけで、襲ってきたのは動く骸骨──スケルトンだよ。剣士アイナは、戦うっていうことで、いいかな?」
ボクはおずおずとうなずく。
むしろボクが先輩に襲われたい──なんて考えが一瞬頭を過ぎったけど、すぐに頭を振ってその戯れた考えを消し去る。
「オッケー。じゃあアイナは、手にした剣を振り、スケルトンに向かってゆく。──じゃあまた、サイコロを振ってもらおうかな」
そう言って、先輩はボクに再び、二個のサイコロを渡してきた。
きょとんとしているボクに、先輩が説明する。
「剣士アイナは、スケルトンを打ち倒せるかもしれないし、もしかすると逆に、その凶刃にかかって殺されてしまうかもしれない。アイナがスケルトンを打ち倒せるかどうかを、サイコロを振って決めるんだ。──ちょっと、キャラシート、貸してもらえるかな?」
先輩がそう言うので、ボクは先輩に、自分の前のちゃぶ台に置かれているA4のコピー紙を手渡す。
それを受け取った先輩は、シャープペンシルで何かを書き込んでゆく。
少し時間がかかった。
手持無沙汰になったボクは、先輩が淹れてくれたお茶をすする。
少しぬるくなっていたけど、お茶はやや渋めで、ボク好みの味だった。
「はい、お待たせ。ごめんねー」
先輩は書き込みが終わった紙を、もう一度ボクの前に返してくる。
のぞき込むと、さっきまで書かれていなかった数字がいくつか、先輩の筆跡で書かれていた。
「さて、まずはアイナの攻撃が、スケルトンを打ち倒せるかどうかを判定するよ。サイコロを二個振って、その出目の合計値に、アイナの『命中力』を足して。それがスケルトンの『回避力』と同値か、それを上回れば、アイナの攻撃はスケルトンに見事命中したことになる。この二体のスケルトンの『回避力』は、どっちも“7”だね」
先輩がさらさらと説明してくる。
あう……ついていけない。
えっと、『命中力』っていうのは──この『キャラクターシート』に書かれている、この数字か。
二センチ四方ほどの大きさの印字された囲みがあって、その上部に小さく『命中力』という印刷。
そしてその囲みの中に、先輩の筆跡で大きく“3”という数字が記入されている。
これと、サイコロを二個振った合計値を足して、スケルトンの『回避力』である“7”以上になればオーケーと。
ふむふむ、何となく分かってきたぞ。
ボクは手の中の二個のサイコロを、ちゃぶ台の上に振る。
──出た目は、五と二。
「よし、アイナの命中力と足して、合計は“10”だね。じゃあアイナの剣による攻撃は、見事スケルトンを捉えた。そうしたら次に、その一撃でスケルトンを倒せたかどうかを判定しよう。今度はサイコロを一個だけ振ってみて」
ボクは先輩から指示されるままに、サイコロを一個だけ振る。
出た目は、四だった。
「うん。じゃあ、その出目に、アイナの『攻撃力』を足した値を教えてくれるかな」
えっと、攻撃力、攻撃力……あ、これか。
そこにはまた先輩の筆跡で、“2”という数字が書き込まれていた。
「オッケー、出目と攻撃力の合計は、“6”だね。アイナが攻撃したスケルトンの『防御力』は“1”、『ヒットポイント』は“5”だから──ちょうど倒せたね。じゃあ、アイナが振るった剣による一撃は、スケルトンの骨の体を袈裟懸けに打ち砕いた。そのスケルトンはバラバラになって崩れ落ちて、地面に散らばった骨の山は、二度と動かなくなった」
おー。
なんかよく分からなかったけど、あれよあれよという間に、勝っちゃった感じ?
「残念、まだだよ。スケルトンはまだ、もう一体いるんだ。──残ったスケルトンは、倒された仲間のことなど見向きもせずに、アイナに向かって剣を振るってきた。……というわけで、今度はスケルトンの攻撃だよ」
先輩はそう言って、今度は自分がサイコロを二個、手に取った。
そしてちゃぶ台の上に、それを振る。
出た目は、四と一。
「残ったスケルトンの『命中力』は“0”だから、ダイス目と足して、合計は“5”だね。アイナの『回避力』はいくつ?」
先輩から質問が飛んでくる。
ボクは慌てて『キャラクターシート』を漁った。
回避力、回避力……あ、これだな。
そこには“10”と記入されていた。
「んー、全然だね。オッケー。そしたら、そのスケルトンの攻撃を、アイナは余裕をもってかわした。じゃあまた、アイナの攻撃の番だよ──」
──と、そんなやり取りを何度かやって、アイナはもう一体のスケルトンも撃退した。
ふぅ……。
「そんなわけで、アイナは襲い掛かってきたスケルトンを、見事撃退したよ。で、そんなアイナの前には、左右にうねりながら続く洞窟が、奥へと続いている。……どうする後輩ちゃん、いっぺん休憩する?」
先輩からそう聞かれて、ボクは首を横に振る。
早くこの先に進みたくて、うずうずしていた。
ボクの──剣士アイナの冒険は、まだ始まったばかりだった。
原作は、だいぶ以前に書いたこちら。
『ゲームブック:死霊使いの洞窟』
http://ncode.syosetu.com/n7874cu/