橋本環なちゃんが最後に助けてくれる!
「四百七十七円や。四百七十七円に気ィつけなはれ」
いきなり、ババアにいちゃもんをつけられた。
俺のこめかみがビキビキと鳴るよ。
ここはイオソモール一階、食料品売り場や。夏、よう晴れた日曜日のお昼やから、店は客でごった返しとる。
表の広場でははるばる九州からライブしに来たご当地アイドルグループ、『博多明太子シスターズ』が噴水を囲んで踊っとる。非モテ、キモオタも、歓声とも怒号ともつかない、低い唸り声を上げて手を叩いとる。
そんな表の喧騒をよそに俺はレジに並んでいた。
ババアをジロリとにらむ。
ババアはこの真夏にフードつきの黒いローブを目深くかぶっとる。パッと見はロリ少女だが、なかみはババアだ。皺だらけの肌に灰色が混じった白髪を伸ばして、険悪な目がギラギラと光っとる。
薄い唇を歪めて皮肉気にもう一回叫びよった。
「四百七十七円!」
俺が何をしたというねん。思わず涙目になる。
俺の名前は木桜昂々(きざくらこうこう)や。このイオソモールの近所の工科大学に通う、どこにでもいるふつうの大学二回生や。
今日は研究室の連中が真夏に鍋パーティをやるというから買い出しにきた。
なんのサプライズも期待しとらんから、Tシャツにハーフパンツ、サンダルという気の抜けた格好や。
暑いから、先にアイスとジュースでも買おうと思って一人で並んでいただけなんや。
レジを見ると、バイトの姉ちゃんは気にせずに勘定しとる。
イオソの制服を着た、二十代半ばの太った女や。名札には、『西田』と書いとる。西田さんや。
「婆さんは、もしかしたら、有名人なんやろか?」とふと思う。
前の客が足早に去って、俺の番がきた。カウンターに買い物カゴをのせる。
ババアがまた絶叫しよる。
「ほわあああ。死相や。死相が浮かんどるで。お前マジで死ぬわ。四百七十七円で死によるわ」
「今度はお前呼ばわりかよ」とジト目になる。
ババアは喉を掻きむしって泡を吹いとる。目をクワッと見開いて今にも倒れそうや。「お前の方が先に死ぬんとちゃうか?」という感じや。周りの客も婆さんに駆け寄って介抱しとる。
そのときレジから声がした。
「四百七十七円になります」
標準語や。イオソモールの店員はよう教育されとる。どこに行っても標準語で接客しよる。イオソは店員の品質もトップバリューや。
次の瞬間、天井を突き破って槍が降ってきよった。天井のパネル板をボゴッと貫いて、競技用の槍が俺の顔面目がけて飛んでくる。とっさの判断で体をねじって転ぶ。槍は俺の顔をかすめて床に突き刺さった。
間髪を入れずにドスッ、ドスッ、ドゴンとさらに三本の槍が降ってくる。俺の頭をかすめて突き刺さる。
ゾワッとした。冷や汗が流れる。
「すんませーん。ケガはないっすかー?」
陸上競技服を着た男子高校生がしきりに謝りながら走ってくる。そのまま槍を抜いて去っていった。
続けて、今度は天井から弓矢が降ってきた。
これも床を転がってよける。
矢は五本、六本と俺が寝ていたところに次々と突き刺さる。
「すみませーん。生きてますかー?」
弓道着を着た女子高校生がやはり謝りながら走ってくる。同じく弓矢を抜いて去っていった。
今日は休日だから、イオソモール近くの競技場では陸上大会をやっているらしい。たまたま手が滑ったせいで、デパートの天井を突き破り、槍や矢が降ってきたらしい。
「そうか、たまたまか。だったら仕方がない」
納得して立ち上がる。
「なんやなんや、どないしてん」
騒ぎを聞きつけて研究室の連中がやってくる。男三人と女一人や。
男は海斗、陸、明という。長身で細身のイケメンが海斗で、後は短足ぽっちゃりのブサメンや。俺はフツーや。男の格好にはあまり違いがない。みんな、Tシャツとハーフパンツにサンダル姿や。
女は結さんや。工学部にしては珍しい綺麗どころや。おっぱいの大きさはちゅうくらいや。残念ながら、イケメンの海斗とくっついてしもた。服装はやっぱりTシャツとジーンズという気の抜けた格好をしとる。
真夏に鍋パーティを言い出したのもこの連中や。
野郎どもは鍋の具材が入った買い物カゴをそれぞれ手に提げとる。
体を起こした。
「いや、この婆さんがさ。いきなり絡んできよってん」
婆さんを指差す。
「あ、この婆さんは!」
突然、ブサメンの陸と明が驚いた声を上げた。
「顔を見ればピタリと当たる。百発百中、顔相占いで有名な、『浪速のお銀』はこの婆さんのことや!」
『浪速のお銀』て、なんや水戸黄門か。
婆さんを見ると鼻高々な顔をしとる。腰にも手をあてて、なんか偉そうや。
婆さんは俺を見ると上から目線で言いよった。
「お前さんが気になったから、わざわざ声をかけてやったんや。感謝しな。いつもなら、ゼゼコを頂戴するところさ。その顔相の持ち主には以前も会うたことがある。その末路は悲惨じゃった。槍に降られ、弓矢に襲われ、落ちてくる建物の天井から逃げ出すと後ろから猛獣に追われ、最後は全裸でケツの穴にナスビやキュウリを突き刺した格好で噴水に浮かんどったわ。お前も災厄を払いのけんと終いにはそうなる」
話を聞く内に顔が青ざめる。浪速のお銀に震え声で尋ねた。
「そ、そいつは死んだんか?」
「いや、死んではいいひん。幸い、命に別状はなかったわ」
「なんや、死ぬんやないやんけ」と心のなかで毒づく。
婆さんは恩着せがましく続ける。
「助かる方法は一つだけじゃ。四百七十七円にならないように会計を済ましなはれ。今はお前だけじゃが、助からなければ、やがては他の人にも災厄を及ぼすじゃろうよ」
ババアが凄まじい形相で顔を近づけながら言う。思わず後ずさり目をそらす。研究室の連中を見た。
「買い物カゴ、あるか?」
「これか?」
イケメンの海斗がカゴを差し出す。それを奪い取りレジカウンターに置く。陸と明のも一緒に並べる。
「俺が払う」
「いくらか払おうか?」
ブサメンの陸と明が申し出て、釣り銭台に千円札をのせる。気は優しくてもブサメンだから女にはモテない。非モテの悲哀だ。
「ならぬ! 他人のカネを使ってはならんのじゃ。それでは災厄からは逃れられんぞ」
浪速のお銀が口からツバを飛ばしながら叫ぶ。
台に置かれたお金を二人に返した。
「だ、そうだ。悪いが気持ちだけ受け取っておく。カネは全額、俺が払う」
レジの姉ちゃんを振り返る。
「いくらだ?」
「四千五百二十三円になります」
「ほい。カネだ」
五千円札を一枚渡す。
「ありがとうございます。お釣りは四百七十七円になります」
西田さんは笑顔でそう言った。
「さっきのやり取りを聞いてへんかったのかよ」と心のなかで突っ込む。ほんま、イオソは店員の品質もトップバリューやで。
ゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ
天井が崩れ落ちてきよった。
イオソモールは全四階からなる。
天井と一緒に階上にいた人も次々と落下してきよる。土埃が舞い、悲鳴がこだました。
「逃げんで!」
みんな、食品売り場と反対方向の建屋へ向かって走り出す。
俺も全力で走って逃げていると、後ろから凄まじいスピードで占い師が追いかけてきた。俺に並ぶ。
婆さんに声をかけた。
「婆さん、えらい健脚やないか。さっきは死にかけていいひんかったか? そんなに走って大丈夫なんか?」
「さっきのは演技じゃ。老いぼれは老いぼれらしくしとかな、若者が心配するやろが」
浪速のお銀がカカカと入れ歯を鳴らして笑う。
「なんとか、この災厄を止められへんのか?」
「アホか。災厄を引き起こしとるんはお前じゃ。なんとかするのはお前や。早う、会計を済ましなはれ」
身も蓋もあらへん。
走りながら、通路に転がっとる買い物カゴを拾う。倒れてくる商品棚からテキトーに商品を取る。
ドド、ドドド、ドドドドド
咆哮がした。驚いて後ろを振り返ると、猛獣が追いかけてきよる。
ライオンを先頭にキリン、ウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジ、ウサギ、サル、ワニ、ニシキヘビ、イグアナ、アリクイ、ミーアキャット、フクロウ、オウム、ニワトリが走ってくる。
近所の野良猫も一緒や。
思わず叫んだ。
「なんで、ライオンがおんねん!」
俺と併走しとる婆さんが答えた。
「知らんのか。リニューアル・オープンの目玉に移動動物園を呼んどるんや。動物と触れ合えるのが売りや。この騒ぎで檻から抜け出したんやろう。心配ない。あの先頭のライオンは年寄りじゃ」
「なんで、俺を追いかけてくんねん!」
「お前が走って逃げるからやろが」
「クソッタレが」と言って、持っていた買い物カゴを放り出す。方向転換して、ババアを後に置いたまま建物の外へ脱出した。
外の広場も、突然、イオソの建物が崩れ出して大騒ぎや。パニックになったキモオタが奇声を上げながら走り回っとる。噴水の周りで踊っとったアイドルたちは係員の誘導に従って、奥の建物へ避難しようとしていた。
俺は外に出てグルリと辺りを見回した。
広場の隅っこ、表の国道に面した入り口のところで的屋の兄ちゃんがタコ焼きとフランクフルトを焼いとる。
髪を金髪に染めた、引き締まった体に黒いTシャツを着とる、二十代半ばぐらいのヤンキーや。この騒ぎのなか、平常運転を続けるとはなかなか肝の据わった兄ちゃんやで。
俺は出店まで走っていった。兄ちゃんに五千円札を渡して注文する。
「すんません。ここにあるタコ焼き、全部ください」
ヤンキーは少し驚いた顔をしたが、ボロボロの歯を見せながらニカッと愛想笑いを浮かべた。
「全部っすか?」
根性ダコがついた手で千枚通しを操りタコ焼きを丸める。その手を止めて布巾で手を拭うと電卓を叩き出した。
「えっと、おまけしときますね。一割引いて……」
嫌な予感がした。
配送のトラックが国道に停車するのが見えた。きっと、なかにはナスビやキュウリといった野菜が詰まったコンテナが積まれとるはずや。
俺は的屋の兄ちゃんを制止した。
「いやいや、割り引かんでもええねん。余計なことはせんでええから。ふつうに計算してくれたらいいねん」
「えっと、四百七十……」
ヤンキーは計算が苦手みたいや。計算に集中して人の話を聞いとらへん。
視界の隅で、配送のトラックのケツに別のトラックが突っ込むのが見えた。鈍い音がした。搬出しようとしていたコンテナが宙に舞い上がる。なかからナスビやキュウリが飛び出してきよる。
「アカン。もう終わりや。俺はケツの穴に、ナスビやキュウリを突き刺した格好で噴水に浮かぶんや」
そう思った。
そのとき、広場の奥から噴水を越えて、一人の小柄な美少女が駆けつけてくるのが見えた。
橋本環なちゃんだ!
橋本環なちゃんだ!
今年で十六歳になる。クリクリッとしたつぶらな瞳におちょぼ口、鼻筋の通った小顔が印象的だ。先ほどまでステージで踊っていたからやろう。肩までかかる黒髪は後ろで束ねとる。
身長は百五十センチメートルほどだ。体重は知らんが、少し痩せすぎとる。おっぱいは大きい。痩せ巨乳や。白地に青いラインが入った半袖短パンのセーラ服を着て、黒い靴に同色のハイソックスを穿き、青いネクタイをしとる。
橋本環なちゃんはご当地アイドルグループ、『博多明太子シスターズ』の一員や。キャッチフレーズは、「ちっちゃいけれど、態度はでかい」。可憐なナリして、なかみは元気娘や。
インターネットにアップされた一枚の写真が、「天使すぎる」と評判を呼んでブレイクした、千年に一人の写真映りがよすぎる子や。今ではバラエティにドラマやCMにも引っぱりだこの人気者や。
橋本環なちゃんは困っている人がいたらすぐに助けてくれる。悩み事があればたちまち解決してくれる。完全無欠のスーパーアイドルや。
美少女はウサギのように軽やかに走り寄ると、たこ焼きの隣で売っていたフランクフルトを手にとった。
屋台のヤンキーに言う。
「これも追加してください!」
兄ちゃんは俺の方を見ると、「あんたが払うの?」と目で聞く。俺は口が乾いてよう言葉が出えへんから、黙ったままコクコクと頷く。
「お釣りは三百五十七円ね」
ヤンキーの言葉とともに災厄は消え去った。
「それじゃ、またね!」
スーパーアイドルは手を振ると、フランクフルトを片手に再び軽やかな足取りで噴水の彼方へ走っていった。
俺はタコ焼きの袋をぶら提げたまま茫然と立ちつくす。
的屋の兄ちゃんはお金を袋にしまっとる。イオソモールは全壊や。なかから人が溢れ出しとる。広場にはナスビやらキュウリやらが散らばっとる。
建物からこちらへ向かってくる浪速のお銀や研究室の連中が見えた。
今日もええ天気や。お日さまが輝いとる。
橋本環なちゃん、マジ最高ーー