死を目前にして尚、彼は笑う
「―――――!!?―――――!!」
「―――――――!――――――?!」
「――――!!――――――!!?」
ドタドタと数十人という武士が寺の中を耳障りな足音を鳴らしながら駆け走り、そして同じように耳障りな喧騒を撒き散らしながら走っているのを彼は静かに聴いていた。
慌てるわけでもなく、恐れるわけでもなく。
彼はただただ目の前にある現実を受け入れ、その時が来るのを待っていた。
「………………来たか。遅かったな」
「………………」
そして少しの間、その場に座して待っていると一人の男が彼の前に姿を現す。
彼にとってよく見知った顔だ。
彼はその男に話しかけるが、その男は何も返事をしない。
「貴様は儂が新しいものが好きなのを当然ながら知っておるだろう?今宵の貴様の見せ物、儂の期待に違わぬ素晴らしいものであった。誉めてつかわそう」
「………………」
彼の表情や声色の嘘偽りは無い。
本当にその男に対して「良くやった」と、言わんばかりの気持ちが溢れている。
男は当然彼の言葉が嘘では無いことに気づいているが、彼の言葉に返答はしない。
しかし、彼はそれでも構わないと言った様子で男に更に話しかける。
「尾張の国に産まれ、統一・上洛。今川の連中と刃を交え、美濃攻略の後、天下布武に始まり、浅井の人間と戦い、下らぬ僧侶と共に比叡山を焼き払い、徳川と共に武田と戦い、くっくっ……!本当に儂の人生は波乱万丈じゃ!そうは思わぬか?」
「………………」
男はやはり、答えない。
「その中で出会うた奴らも奇特な奴ばかりであったがおかげで退屈せずにすんだわ。儂の最後に、このような催し物をしてくれる光秀、貴様も含めてだ」
「……………!?」
男は……明智光秀は相対する元主君、織田上総介信長のその言葉に疑問の色を隠せない。
信長はすぐ目の前に自身の死が迫っているというのに、そのことに恐れることなく、それどころか現状を受け入れているのだから。
光秀はどうして信長がこうも落ち着いていられるのかが分からなかった。
それ故に、このまま無抵抗のまま殺すよりも、元主君が何を思い、何を言い残すのかを聞き届けたいと考えた為、光秀は何も言わず続く信長の言葉を静かに聴くことにした。
時間が無いのは分かっている。
寺には信長が放った炎が広がり、いつ焼け落ちるか分からない。
ただそれでも、自分が裏切った主君の最後の言葉をこの耳に残したいと光秀は考えた。
「全く……いつからだ?貴様はそのような素振りを一切見せなかったではないか。思い立ったが吉日、という言葉を聞いたことがあるが昨日今日の話なのか?それとも長く計画してのことか?それならばよくぞ儂の目を騙したと言う他ないな。くっくっくっ!」
「………………」
信長はこの場がまるで茶室での他愛の無い会合のようにケタケタと笑う。
その様子に光秀はこのお方は今日ここで死なぬのではないか?とすら思えてくる。
「世は戦国。あらゆる人間があらゆる国と戦い、地を治める。それはまさに弱肉強食の世。儂が産まれた時から強き者が栄え、弱き者は死に行いた。儂は幾度となく繰り返した戦に時には負けつつ、勝利を治め、生を勝ち得、如何なる謀略でさえもはねのけ、それを利用してきた。それが出来ぬものは死に行くだけであると理解していたからだ」
「………………」
先程とはうって代わり、信長の言葉は真剣そのものになる。
「だからこそ、光秀よ。貴様が儂を討つということは儂が弱く、貴様が強かった。ただそれだけのことだ。故に儂は後悔なぞせぬ。ここで後悔をするは己が生き様に泥を塗るだけ。儂が果たせなかった天下統一も儂の家臣が必ずや遂げてみせてくれるだろう」
「………………」
信長は確かに死を覚悟している。
しかしその覚悟には諦めの想いはない。
それどころか希望の想いが芽生えている。
「言うておくぞ。光秀。天下を取るのは貴様では無い。儂を討ったからといって天下をとれる程この世は甘くない。仮に取れたとしても長くは続かぬであろう。儂が死ぬことで変わるのは、この世から儂という存在が消えるということ。それだけだ」
「………………!」
光秀は彼のその言葉を聞くと腰に携えた刀を抜くと、それを構える。
信長に対して、これから私があなたを斬りますという意思表示のように。
「……ふん。先程儂は貴様を誉めてつかわすと言ったが、あくまで誉めてやるだけだ。褒美はやらぬ。貴様が今最も欲しているであろう儂の首は冥土へと儂が持っていくとする。……だが、本気で天下を狙うのであれば、一つだけ助言をくれてやろう。光秀よ」
「…………?」
「理念を持ち、信念に生きよ。それが出来ねば、貴様も儂と同じように死ぬのみよ。……さらばだ。光秀」
信長がそう言い残し、切腹をすると同時に光秀と彼の間に火災により材木が焼け落ち、まるでそのことが信長には分かっていたかのように互いの姿を見えなくする。
ゴウゴウと燃え盛る炎の前に、光秀は信長の首を手にすることなくその場から撤退することを余儀なくされる。
炎が収まった時には信長の遺体は消失し、生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。
光秀は後悔する。
あのまま素直に殺していれば、と。
時は天正10年6月2日。
場所は京都・本能寺。
尾張の国に産まれ、天下統一を目論んだ一人の武将、後世にまで名を轟かす織田上総介信長がその短き人生に家来の謀反という形で幕を降ろした。
彼が本能寺での出来事以降、どうなったかを知るものは誰も居ない。