鍵穴と私
どういう種類の話かっていうと、ちょっとよくわかりません(汗)
主人公に自分を置き換えて、読んでみてください。
ある日ベッドから起きるとそこは、見知らぬ部屋だった。
目の前には、大きな黒い扉。
そこには金色のドアノブがついていて、そのしたには鍵穴が在った。
でも鍵はどこにも見当たらなくて。
これはきっと夢だと、もう一度寝ようとしたらベッドは消えていた。
どういうことだろう。
部屋は洋風で、オシャレな小物が棚や壁いっぱいにちりばめられていた。
小花柄のカーペットはしっとりと美しく、クリーム色の壁紙はやんわりと暖かさを放っていた。居心地がとてもいい。
右を見るとそこにはハッキリとした青色の棚があり、
開けてみるとそこには、小さな箱があった。
これもまた、世界中の宝石を全て凝縮して装飾しました、みたいなキラキラのもの。
開けるとそこには紙切れとダイアモンド。
100円玉ほどのダイアモンドは、重く、精一杯に輝いていた。
紙切れには『生きた』と書かれていた。
なにを意味するのかは知らないけれど、不思議な感じだった。
ドキドキして、ワクワクしているのに、不安感もある。
ダイアモンドをパーカーの右ポケットに入れて、数歩歩く。
そして気がつけば時は止まっていて、頭は麻痺したみたいにぼーっとする。
足の裏に伝わる僅かにぬれた靴底の感覚すら不愉快ではない。
ふわりと香る甘い花の匂いは、隣の部屋からしているようだった。
隣の部屋へ行く扉を開けると、そこは同じように清潔で綺麗で、なにもかもが美しかった。
鍵を探すと同時に、棚にちばめられている小物を見てまわった。
小さな兵隊、馬に乗った騎士、色の白い美しい姫の乗る、天蓋つきの馬車。
並んだ行列は一寸のズレも生じていない、完璧な並びだった。
お城へ向かう行列らしく、先頭の騎馬が向く先には大きくて豪華なドールハウスが鎮座していた。
見たことのない美しさ。物語に出てくるような繊細さだ。
横にパカッと開いたお城の中にはいくつかの部屋と、1つの小さな部屋があった。
よく見るとそのお城の小さな部屋は、さっき目が覚めた部屋。
その部屋にある黒い扉は、玄関口へ向かう廊下に出るためのものだった。
「ここ、お城かぁ・・・」
何に向かってでもなく呟いた言葉さえ、甘く彩られているようだった。
「なんで、ここに居るんだろう。」
また呟いてみた。今度は、窓に向かって。
「なんで、私は存在してるんだろう。」
すると、窓際のプランターから返事があった。
「あんたはここから出るために、生きてるんだ。」
「どうして?」
「ここからでなきゃ、何も始まらないんだ。」
「そうなの?」
「ああ、そうさ。」
ピンクのチューリップから聞こえた声は、そのまま黙った。
そして数拍おいて、
「ここには、何も無い。」
また黙った。
「でも、まあ、」
「生きる希望くらいは、見つかるんじゃねぇか?」
ふっと軽い溜息をついて、チューリップは黙った。
刑事ドラマに出てきそうな渋い声のお花なんて見たことない。
その沈黙は破られる事なく、続いた。
部屋中を歩き回ると、どこかからパンケーキのような匂いがした。
匂いは甘く、そして懐かしさを思わせて漂ってくる。
幼少期を思わせる、アーモンドのような、マシュマロにも似た、匂い。
夕日のもれる台所でかいだような、ふんわりとした香りだ。
フラフラと歩いていくと、そこは予想通りキッチンだった。
見るとそこには、何枚も何枚も重ねられたパンケーキが。
レースのテーブルクロスがかかった丸いテーブルに、
蜂蜜、メープルシロップ、ホイップクリーム、イチゴジャム、マーマレード、他にも見たことのない字の書かれたたくさんの小瓶がおいてあり、その真ん中には顔ほどの大きさのパンケーキの塔。
夢のような光景だった。
薄っすら濡れたパーカーを不愉快に思う暇もなく、甘い香りが肺を満たす。
深呼吸して、香りをこれでもかというくらい吸い込み、ゆっくり吐き出す。
それから慎重に椅子を引いて、塔を倒さないように、パンケーキののったテーブルにつく。
高々と詰まれたパンケーキの頂上を見上げてみる。
じっと見ていると首が痛くなった。そっと椅子に立ってみる。
もう外には戻らなくていい、そんな気になるくらい美味しそう。
一番上から順番に、色々なシロップを付けて1枚1枚食べつくしたら、突然眠気が襲ってきた。
窓、さえずる小鳥、その向こうには無数の雲。
青い空より高いところに居るようだった。
はぁ、と息を一つついて、ベッドのる部屋へ向かう。
さっき見たお城の中のとおり、キッチンには階段が居座っていた。
上に行く螺旋階段が、部屋の真ん中に。
そこを上れば寝室だったはずだと、記憶を手繰り寄せる。
階段に、古い階段特有のあのギシギシいう音を期待していたけれど、そんな音もしなかった。この階段は金属というよりも、プラスチックみたいだ。
登っているうちに、靴底のこすれる音すら消えてしまったように感じた。
案の定そこには大きくふかふかなベッドが在って、飛び込んで寝転ぶとやんわり跳ね返される。
宝石がたくさんついた薄布は静かにベッドを囲い、落ち着きを放っている。
いつの日か握り締めた母の手のように暖かい毛布。
ここはどこだろう。
気がつけば眠っていたらしく、はっと目を覚ました。
どのくらい寝ていたんだろう。
オレンジ色の灯りが部屋を照らし出していた。
外は案外暗く、窓の外は月明かりしかない。
かすかに頭痛を覚え、隣の部屋へ歩いていく。
そこには、
大きな車があった。
赤くつやつやしたボディが目立つ、すこし古めかしい形。
見たことがある気が、しないこともない。
それでもいつどこで見たのかは、かけらも思い出せなかった。
ぼーっと立ち尽くしていると、車の陰から誰かの声がした。
「どうしたい?」
その声の主が車の後ろから出てきた瞬間、何か忘れていると気が付いた。
その人物は遠く昔の記憶で、自分がとても大事だと思っていた人だった、気がする。顔を見せてくれないだろうかと、淡く期待する。
「どうって、なに」
何とも答えられずに聞き返すと、
「君がここから出たいのかってことだよ。」
と、優しげな声で答えた。
そのまま何もできずに悲しみに暮れていると、声の主は悲しげに呟いた。
「また、会いたいんだ」
車の陰を覗き込んでも、そこにはもう誰もいない。
消えてしまった男のことは、もう思い出せなかった。
また違う部屋へ行ってみると、そこは壁中が鏡だった。
幾重にも重なった自分は、まだ幼さの残る少女だった。
目が覚めてから一度も見たことのなかった自分を、ここで今見つけてしまった。
案外弱そうで、あの大量のパンケーキを食べ切れたことが奇跡のような小さい体。
私は女だったんだ。
そこからふと思い出した。
なぜ、私はこんなに濡れているのかを。
雨の降る路地を、泣きながら歩いている情景を頭に浮かべる。
でもそのあいまいな情景すら鏡に溶けて消えてしまうように、記憶は抜け落ちていった。
ついに最上階の部屋へついた。
そこはなぜだか普通の部屋で、いままでの部屋とは全く違った。
普通の少女が暮らす子供部屋のようだ。
そして、何かが部屋の隅で動いた。
視界の端にとらえてはいるけれど、そっちを向けないでいる私に物体は話しかけてきた。
「覚えてないでしょう」
決めつけるような言い方にむっとして、私は嘘をついた。
「覚えているよ」
と、必死で嘘をついて、同時に自分に言い聞かせた。
「いいえ、覚えていないはずよ」
その物体はまだしゃべる。私は言い返す。
「ううん、絶対におぼえてる、忘れるはずないんだから」
そして呆れたように物体はため息をついて、こっちによってきた。
やっと体を動かしてその物体を見ると、それは、
私とよく似た顔をした少女だった。
すべてが同じというわけではなく、着ているものや髪型、様々なところが違った。
「覚えてないよ。だって、あの日、」
涙が抑えきれなくて、何が悲しいのかもわからないのに、どうして意地を張らなければいけないのかも思いつかないのに、ボロボロ泣いた。
「覚えてるって言ってるでしょ!!!!何度も言わせないでよ!!!」
泣き崩れた私を、支えるように肩に手を置いた少女。
その手は暖かくて、自分の冷たさがやけに際立った。
「ここで、ずっと幸せにしていればいいの。どれも本当じゃなかったんだよ。こっちが本当なのよ、全部こっちが本物なの」
そして彼女も、ふっと消えてしまった。
いくら歩き回っても鍵は見つからなかった。
帰りたい。
でも、どこへ帰るっていうんだろう?
そんな自問自答を何度も何度も繰り返し、朝と夜はどちらも4度、過ぎ去っていった。
さすがに何もする気が起きず、一日と思われる時間を、ずっとベッドの上でぼーっとして過ごしたこともあった。
なにも変わらない、ずっと幸せなこの空間。
ずっといられたら幸せなんだろう。
矛盾した考えが浮かんで、消える。
帰りたい。
帰りたくない。
帰りたい。
なにを考えていても、思い出せない記憶があった。
なんだかその記憶は、とても暖かいような気がして、冷え切った体を温めるために、欠かせないもののような気がしていた。
頭の中で渦巻いていく、泥水。
茶色、黒、気味の悪い色を湛えた泥に、私はずぶずぶとはまっていきそう。
そして、私は完全に泥沼にはまってしまったようだ。
ある日突然、体が動かなくなり始めた。
「ど、して、うごか、らい、の……」
一人泣きじゃくりながら、あの車に縋る。
呂律が回らなくなってきていた。
昨日から、足は見る間に土色に変色していき、固く冷たくなり、動かなくなっていた。
腕の関節はもう曲がる気配もなく、筋肉がきしむ音が聞こえる気がした。
どうしようもない脱力感もあって、もう動けなかった。
動かない。
動けない。
その事実を真正面から突き付けられて、私は、
人が抜け出した布団のように、だんだんと暖かさを失っていった。
視界がだんだんとぼやけて、ピントが合わなくなっていく。
もう動かなくなる寸前の唇で、「死にたくない・・・」とつぶやいた。
もう時間がないことは気づいていた。
死にたくなくても、生きたくても、もうだめだと、気づいていた。
このまま私は、消えるみたいだ。
何も残せないままに、灰になって消える。
目の端で、何かが輝いていた。
ああ、あのダイアモンドかな。
そして、ピントが合わない視界が、ゆっくりと、確実に閉じた。
真っ暗になった視界を、走馬灯が走り抜ける。
死にたくない。
「ちょっとおねえちゃん!それ私のお菓子なのに!」
「えっ!ごめん!気づかなかったぁ」
すまなそうにしていれば許されるだろうと思っていたけど、そうではなかった。
「買ってきて!期間限定なの!もう売り切れかもしれないよぉ・・・」
妹にはいつも迷惑をかけているし、今日ばかりはしかたないか、と思う。
雨の降る夕方、走って買い物に出かけた。
学校でイジメられて、ほぼ3か月、家の中にいた。
そのせいでか元々の方向音痴のせいか、道に迷った私は途方に暮れた。
歩いて10分もかからないコンビニへ行くだけで迷うなんて。
家を出たあと知っている道を迷いなく突き進んで、
そのあとはもう覚えていないくらい、複雑に角を曲がった。
気が付けばそこは大通りで、近くに公園が見えた。
もし帰れなかったら、公衆電話で連絡して迎えに来てもらうしかないな。
すぐ人に頼る癖のせいで、私は一人にならざるを得ない学校という空間に怖気づいて、解決しようともせず逃げている。
嫌なことまで思い出してきて、涙がこぼれてきた。
瞬間、目の前が真っ白になった。
一瞬だけ見えた赤い車の色は、雨でつるつると光っていた。
クラクションの音が、鼓膜を破るようだ。
どこかから女性の悲鳴が聞こえた。
私にはまだ白しか見えなくて、何が起きたのかとその女性に聞きたかった。
ふいに誰かが私に触れ、その箇所から激痛が広がる。
思わず手で振り払おうとしたけれど、ダメだった。
「大丈夫ですか!?救急車、救急車だれか呼んでください!救急車!」
叫ぶその人はきっと男性だったろう。
声が太く低く、頭痛の広がる頭にガンガンと響いた。
体中が痛い。なんだか寒いなと思う。雨のせいか。
周りがうるさい。
きっと雨が強くなってきたのね。
白が、黒になっていく。
きっと、雨のせいだ。
私は病室の真っ白いベッドに横たわっていた。
死にそうな顔をした母が、ベッドの淵に寝ていた。
私は起き上がろうとしたけれど、体中がきしんで無理だった。
「おかあ、さん」
つぶやくと、母はビクッと身を起こし、目を見開いて私を見つめた。
「・・・起きた・・・目が覚めた!」
うわぁぁぁ!と泣き出す母。
そして大騒ぎした後、ナースコールを何度も何度も何度も連打して、ナースさんたちがたくさん駆けつけた。
真っ白い病室に広がるざわめき。
医師がやってきて、私の心拍数などを確認したあと、色々と母に話をして去っていった。どうやらもう、大丈夫みたいだ。
ああ、よかった、神様、ありがとう、よかった、よかった・・・
叫ぶ母を、苦笑しながら見つめていたら、大勢のナースたちも出て行った。
「ああ、本当、よかった・・・」
やっと母は泣き止んだ。
「電話、してくるね。お父さんと、ちーちゃんと、あとミサトくん・・・」
妹をいつまであだ名で呼ぶんだろう、と思う。
ああ、ミサト、元気かな。ミサトは幼馴染で、唯一仲のいい男の子。
ミサト、さっきまで見ていた夢の中で、私を励ましてくれた気がする。
顔もちゃんと思い出せないくらい、ずっと会っていないのに、いつも電話やメールで励ましてくれる。優しいんだ、いつだって。
ちーは、なんだかもう帰ってこなくてもいいよって言ってた気がする。
いじめられている姉を持ったせいで、学校で嫌な思いもしてたみたいだし、仕方ないといえば仕方ないんだろうけど。
ああ、生きている。
動く、動く、動く体。
骨が折れているから、ちゃんとは動けないけれど、足の指先はくいくいと動いた。
手もまた同じように、思いのままに動いてくれた。
右手は複雑骨折したせいで、ほとんど動かない。
左手は、地面に打ち付け擦ったせいでか痛みがひどいけど、完全に動く。
足を見たら、あんな黄色っぽい色じゃなくて安心した。
肌色、そして傷跡を覆う白。
「生きてる・・・」
自然と涙がこぼれてしまった。
涙は暖かくて、ちゃんと見えている私の視界を濡らした。
「はー・・・」
息を吐き、病室を見た。
ベッドの脇に、汚い布の山を見つけた。
手を伸ばして、その布をとってみた。
広げるとそれは、私のパーカー。
治療のために切ったらしく、腕のところとファスナーの隣が裂けている。
泥や血がこびりついていて、しかも左の袖はほとんど擦り切れていた。
右側のポケットになにか違和感を感じて、手を突っ込んでみる。
みるとそこには、大きなダイアモンド。
大きいといっても、百円玉ほど。それでもこれは大きいといえるだろう。
でもよく見るとそのダイアモンドにはくすんだところがあって、
それはダイアモンドのなかに、何かが入っているせいだと分かった。
中には、小さな小さな鍵が、ぽつんと浮いていた。
ゴールドの、アンティーク風の鍵。
こんな加工ができるなんて、と驚いた。
つるつるに削られた表面から光が入り、そして逆から出る。
壁にはその光が映し出されていて、幻想的な世界が広がった。
光の模様に、たくさんのシルエット。
小さな鍵は、影になるとすこし大きく、手を伸ばせばつかめそうだった。
いったいどこを開ける鍵なんだろう・・・
私が見ていた夢は、病室に差し込む光に、淡く溶けた。