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39.喪われた花に重ねて



 かすかな風の音が耳に残る。

 枝がしなり、葉と葉が擦れる音。

 朽ちかけた桜の葉からは、半年前に咲かせていた花の色を想起することなどできない。


 散らない花がないのなら、終わらない恋もないのだろうか。


 それは寂しいと思いながらも、そうであればいいと心のどこかで望んでしまっている。

 彼の恋が終わることを。

 自分に、その資格はないのだけれど。


「誠司さん、おかわりはいかがですか?」


 感傷を絶ち、正面に座る青年に問いかける。

 彼も彼で物思いにひたっていたらしく、二度目を瞬かせてから、朗らかに笑む。


「お願いします」


 明るい笑顔も、やわらかい声音も、いつも通り。

 声をかけた瞬間、瞳の奥によぎった憂いの色など、見る影もない。

 静かに茶器に緑茶を注ぎ、誠司の前に差し出す。

 彼が器を手に取り、口に運ぶまで、沙夜子は挑むような思いで直視していた。


「沙夜子さんはお茶を淹れるのが上手ですね」


 ほっと、息をつくように自然に彼は言った。

 誰と比べたのか、なんて聞かない。聞けるわけがない。


「お祖母さまに仕込まれましたもの」


 そうして当たり障りのない対応で、場をにごす。

 自分が何も言わなければ、彼も明確に拒絶することはないから。

 ぬるま湯のような関係を続けながらも、いつかは、と願わずにはいられない。


 ずるい、のだと思う。

 沙夜子はまだ、終わらせられていない。

 幼く淡い初恋は、今もじくじくと胸を焦がしている。

 恋の終わりを、彼だけに望むのは不平等だ。

 わかっては、いるのだけれど。


 彼が、自分を求めてくれたなら。

 そうしたら終わらせられるような気がするのだ。

 新しい恋を、始められるような気がするのだ。


「いいお嫁さんになれますよ」


 妹に言うように、姪に言うように。

 ただ沙夜子の幸福を願うとばかりに、誠司の口は残酷な言葉を紡ぐ。

 『僕の』とは、どうあっても言ってはくれない。


 線引きされたのだろう。

 ここより先は、立ち入るな、と。

 親同士の取り決めに、自分は従うつもりはないのだ、と。

 明朗な笑顔の裏で、恐ろしく注意深く沙夜子との距離を測っている。


 似ているから、なのかもしれない。

 彼が、沙夜子を遠ざけようとする訳は。

 写真を見たときも、一度だけ顔を合わせたときも、自分ではそう思わなかったのだけれど。

 親類には何度か言われたことがあるから。

 沙夜子が選ばれた理由も、きっとそれが関係しているのだろうから。


 沙夜子が声をかける、沙夜子が微笑む、その一瞬。

 誠司の瞳に映る憂いは、喪われた面影を沙夜子に重ねてしまったがゆえ。

 思い出させるな。これ以上近づくな。

 そんな一心で、沙夜子に棘を向けるのだろう。


「ありがとうございます」


 他に何も言えずに、謝礼のみを言葉にする。




 いつか、棘ごと彼を包み込めたらいい。

 薔薇の咲かないこの庭で、桜の葉擦れの音を聞きながら。

 今はまだ護られ庇われる子どもである沙夜子は、ただそう願うしかなかった。






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