第一話:男子校パツキン幽霊の噂
一言目には「彼女が欲しい」と嘆く野郎ばかりが生息する我が学び舎は、山奥にある全寮制の男子校であり、名前を私立許斐学園という。
山奥というのは誇張ではなく、最寄り駅までは歩きで二時間以上。携帯電話のディスプレイには常に《圏外》と表示されるほどだ。
寮は木造建てではこそないのだが、だからといって良い点はなにもない。プライバシーが尊ばれるご時世だというのに二人部屋で、驚くなかれ電源のコンセントが存在しない。現代的な生活はほぼ不可能といっても過言ではないだろう。
とはいえ、娯楽目的の家電製品がまったくないわけではない。テレビくらいはある。しかし、食堂と職員室、管理室の三台しかない。つまり、食堂にある一台だけが唯一の生徒用ってわけだ。そのテレビにしても最高学年である三年生がすべてを掌握しているため、二年生以下の俺たち下級生は醜悪なチャンネル争いを眺めているしかできなかった。
学校と寮との往復しかない、古い言い回しをするならば壊れたラジカセのような日常だからだろう。代わり映えのない毎日にちょっとしたエッセンスを加えるためか、一週間に一度はどこからともなく気のふれたような噂話が耳に届く。
梅雨のあけたばかりとはいえ先取りしすぎの感があるが、本日のネタはホラー風味の法螺話だった。
「あー彼女が欲しいなぁ、幸平」
昼休み。いつものようにそう嘆いたのは、ルームメイトであり隣の席に座る横浜陽一だ。それに対して、いつものように「そうだな」と答えると、奴は「そういえば」と言って話を切り出した。
「隣のクラスの奴から聞いたんだけど、女の幽霊が出たらしいぞ」
「どこで?」
と俺は即座に訊ねると同時に「またかよ」と心の中で呟いた。
この学校に入学してから一年と数ヶ月が経とうとしているが、幽霊を見たという話を三十回以上拝聴している。それでいて、すべて女の幽霊なのだから信用しろという方が無理な話だ。
まあ、どっかのだれかの妄想が、いるはずのない幽霊を見たことになり、それがまことしやかに流れてきただけだろう。
「音楽室」
「書類上のミスか、なにかしらの陰謀によってコノ学に教育実習でやってきた女教師がバカ共にセクシャルなことをされ、都会に逃げ帰ったはいいけど、そのせいで将来の夢であった教師への道を絶たれ、悲観に暮れているときに交通事故にあって死んで、音楽室に呪い出たんだな」
「いや、それはない。うちの歴代音楽教師に女はいないから」
へえ。思わず口笛を吹いた。
自分勝手な理想的な妄想を事実で早々につぶすということは。裏があるに違いない。適当に流し聞き流そうとしていた俺は、態度を改め陽一の話に耳を傾ける。
「じゃあ、なんだ?」
「すごいぞ、なんとパツキン(金髪)ギャルだ」
「…………」
俺は深く息を吐き出した。
「いつもよりも、さらにケミカルな妄想かよ。アホらし。それで巨乳とかそういう要素が加わるんだろ?」
「いや、たしかにイエスオーイエと腰を振る淫乱な奴かもしれない。だが、まだビジュアルはわからないらしい」
はて? またしても、下腹部が肥大するようなわかりやすいシチュエーションを否定するのはどういうことだ。
まったく腹立たしいのだが、本格的に興味を向けたことを表情に出していたらしい。陽一はにやりと唇の端をゆがめ、人差し指を立てて見せた。
「音楽室に毛が落ちていたそうだ。金髪のだ」
「軽音楽部のやつが雑誌投稿用にアイムロッケンローラーと中指を立てて、一時的に金髪にしたんじゃないのか」
「髪が短かったらそう思っただろう。でもな、ロングだったんだ。しかも、シャンプーとリンスの甘い香りつきのな。そして、食べて核心した。これは確実に女だと」
「食べんなよ」
とツッコミながら、「なるほど、それは面白い」と俺は思った。
理由は二つ。
まず、噂の発生源について。先に説明したように、幽霊の噂そのものはよくある話だ。常に女の幽霊ということからわかるように、「女がいて欲しい」ということから端を発している。
男子校だから当然女はいない。でもいて欲しい、といった歪んだ願望が「幽霊ならばいてもおかしくないだろう」という荒唐無稽な妄想を膨れ上がらせ、溢れ出した結果、実しやかであって欲しい噂として流布されるわけだ。
だが、今回は結果として女の幽霊となったが、「金髪」という物的証拠があった。願望や妄想からではなく、事実から始まっているのは大変興味深い。
そして、その金髪にしてもまた興味をそそるだけの要素を含んでいた。
うちの学校では、髪を染めるのはもちろん、長髪も禁止されている。健康的な日本男子云々というのが理由らしい。
入学当初、それなりに見栄えを良くしたいと考える思春期真っ盛りの新入生の多くは、この校則に対して異を唱えた。だが、よくよく考えてみると着飾っても周りには女がいない。となると、寝癖が立っていようがフケを振りまこうがなんら困ることはない。
一年の一学期が終わるころには、身だしなみよりも腹が膨れるようなものがなによりも大事だということを理解する。
そんな悲しい現実故に、キューティクルを保っている長髪金髪の男なんているわけがないのだ。
とはいえ、素直に幽霊の存在を認めるのかと問われれば話は別だ。
「じゃあ、カツラだろ。自分でかぶって、女装して、鏡の前に映る自分を見てオナニー。証明終了」
「カツラかどうかを調べるために、食べたんじゃないか! 食べれば鮮度がわかるだろ!」
「さいでっか」
わかるか、ボケ。
「とにかく、モノホンの金髪が落ちていた。うちの学校にはパツキンの女はいない。となると幽霊しかない。以上、SSだ」
「SSってなんだよ」
「お前の真似だ。証明終了の略だろ」
それはQ.E.D.(Quod Erat Demonstrandum)。おおかた、証明終了という言葉と外国語とだけ覚えていて、後者をすっかり忘れたのだろう。ツッコミを入れても理解できるとは思えないので無視する。
とまれ、ここまで具体的な発言から鑑みるに、金髪の髪が落ちていたのは事実に違いない。だからといって幽霊の仕業と非科学的なものに逃げるのは気に食わない。
例えば……そうだな。金髪フェチの人間が、通信販売かなにかで黄金色の毛を数本注文したのはどうだろう。どんなに喘ぎ声を出しても外には漏れない音楽室で、一心不乱に利き手を動かしていたというわけだ。
実際、金髪の売買が行われているのかは知らないが、世の中には理解しがたい性癖を持つ人間がおり、その需要と供給のバランスは不思議と保たれている。むしろ、金髪を金で買えない、と考える方が思慮が狭いといえよう。
「そこでだ」
そう言いながら陽一は中指も立てた。
「音楽室に行ってみないか?」
神妙な表情を浮かべながらピースサインを向ける陽一の間抜けな姿を眺めつつ、「そうだな」と答えた。
いや、なにも言うまい。一言目に「彼女が欲しい」とは口にしない希少種であったが、俺もコノ学生の一人。どんな馬鹿げたことであっても、停滞した日々を潤いと刺激を与えてくれるような面白そうなものには目がないのだ。
昼休みが終わり、まどろみを誘う国語の授業のあと、六時限目の数学の授業が始まった。
数学の教師である浦安は、いけ好かない人間と全校生徒から嫌われている。細身のフレームなしメガネをかけたスカした野郎であることも然ることながら、大学進学率が一割にも満たないバカ学校の生徒を見下しているような視線を向けるのがその理由だ。
まあ、バカなのは間違いなく、大卒の人間には耐えられない環境なのは否定できない。
はっきり言おう。コノ学の授業は総じてレベルが低い。どれくらい低いのかといえば、中学と同レベルの事をやっているといえば判るだろうか。そして問題なのは、中学の頃よりも理解している人間がおらず、教師の話をまともに聞こうともしていなかった。
「抜き打ちテストをやる。お前ら、教科書ノートを机の中に入れろ」
だから、浦安がそう吐き捨てたとき、誰もがその日本語を理解できなかった。
「抜き打ちテストをやる。お前ら、教科書ノートを机の中に入れろ」
浦安が一語一句そのままの言葉を繰り返すと、数秒の沈黙が流れ、悲鳴と非難と怒号が教室を包み込んだ。しかし、だからといって浦安に慈悲の心が芽生えるわけがなく、テストは粛々と始まった。
内容は因数分解が十問。一つ十点である。難易度は初級もいいところで、制限時間の四十分どころか、八分もかからず終わるレベルで、さらによく見てみると教科書の問題の丸写しだ。浦安のことだから俺達に対して問題を考える暇すら惜しかったのだろう。先ほどの台詞からもよくわかる。
俺はあくびをしたあと、正しい答えを三問、途中式が狂ったのを三問を満遍なく書いて、残りは空白のまま机にうつ伏した。赤点ギリギリ三十点。絶対補習にもならないベターな点数なのだが、下手すると高得点を獲ってしまったのではないか、と一抹の不安を抱かずにはいられない。
さて、あなたがコノ学生ではない――思慮が足りず、異性にばかり興味を持ち、手段を選ばず暇つぶしに労力を割く、そんなおバカではないのならば、すでにお察しだろうが、俺はコノ学にあまり相応しくない人間だ。
そこそこの常識と十分な学力を持っている俺が、コノ学にまで堕ちた学校に来る予定ではなかったとはいえ、相応な学校に進学していないのには、それなりの理由がある。
自分の病気――と言ってもいいのだろうか。とにかく、個人な問題が孕んでいるのだ。それを一つずつ丁寧に説明していきたいと思う。
まずは学力について。初級の因数分解のテストというサンプルでは簡単すぎるのでセンター試験を例に挙げよう。
俺は全問正解する自信がある。
百回やれば百回同じ結果を出せると思うが、文字が汚くて勘違いされてしまう可能性を考えると、数問は間違いはあるかもしれない、と言っておこう。
その自信は、頭の回転がそれなりに早いからではない。半端ではない記憶力を持っている――いや、そんな言葉では生温い。俺は見たもの憶えたものを一切忘れることはないのだ。
一切というのはその言葉どおりである。例えば、見聞きさえすれば人の会話は一字一句リピートすることも可能だ。もし演劇の才能があるのならば、アクセントやニュアンスすら再現することができるだろう。
もっとマクロな部分を挙げるのならば、人の髪の毛がリアルタイムで伸びていることを実感できる。一日が経っただけで「あ、伸びたな」とわかるほど。
はっきりいって異常だ。
その異常は学力に対して絶大な効果を持つ。
例えば「一+一」という式はある。その解が「二」であることはすぐに誰も出せるだろうが、計算して出したものだろうか? いや違う。知識として「一+一=二」として憶えているから、反射的ともいえる速度で解を出せるのだ。
それがありとあらゆるものに適応できるとしたら? そりゃ、間違えようとする意図がなければ間違えることはできなくなる。
もちろん、全てを知っているなどと自惚れるわけではないが、大学受験までの学力テストレベルならば、その例外はないという自信を持つくらいには、見て憶えた自負はある。
コミックやノベルスに登場するサヴァン症候群のキャラよろしく、すべて記憶しているが故になにかしら弊害がありそうなものだが、思い当たる節はない。過去の記憶が突然フラッシュバックすることもなく、情報過多による混乱も一度として起こったことはなかった。
《忘却消去/忘れる機能がなくなってしまった》。一種の超能力といえようか。
しかし、これだけならば実生活において問題はない。この異常に関係しているのか、たった一つだけ問題が存在していた。
それは、人様に噂をされるとくしゃみが止まらない、というものだ。
そのことに気づいたのは天才少年と持て囃されつつ、止まらないくしゃみとともに生活をしていた時だ。
聡明なお子様であった俺は原因を探求し、そして、人の噂が関連していることに気づいた。常識から「なにを馬鹿げた事」と一蹴することはできたが、それが事実であることを俺の記憶が証明していた。
因果関係はわからないが、事実を事実として受け入れ、くしゃみまみれの生活からオサラバするために、平均的な人間になる生活を選んだ。もちろん、神童から凡人に戻った際に色々と噂され酷い目にあったものだが、先行投資と思えば安いものだ。
しかし、凡人であろうとするにはまだ問題があった。
それは俺の顔だ。両親ともに平凡な日本人なのだが、母方の祖母にあたる人間がえらく美しい外国人だったそうだ。クオーターである俺は、隔世遺伝の結果、うまい具合に祖母の遺伝子を受け継ぎ、日本人離れした容姿を持つ羽目となってしまった。
本来ならば喜ばしいことなのだが、特異体質を持ち平凡を望む人間とって、それは障害と化した。
それでも若かりし頃の俺は、問題ないと思っていたわけだ。ツラがツラのため非常にモテたのだが、自分がしっかりしていればオールオッケーだと。些事の問題は《忘却消去》でなんとかできると。しかし、恋愛ごとというのは頭がいいこと以上にやっかいであることを早々に思い知る。
誰かと付き合う。「○○さんと付き合ったんだって?」と噂される。くしゅん。彼女と別れる。「○○さんと別れたんだって。チャンスだ」と噂される。くしゅん。付き合うのはダメなのか? じゃあ、告白されても断る。「○○さん、告白したけどダメだったんだって」と噂される。くしゅん。
ここで、奇人っぷりをアピールし、恋愛ごとなんて興味がないんだぜ、とするアイディアも思いついたが、凡人でありたい以上、俺は目立つことも許されていない。
何もしなくても女が寄ってくる。何かをすると変人として噂される。
いったいどうすればいいのだ? と考えた結果、女がいない場所に行けばいいというシンプルな結論を出した。
こうして全寮制の男子校であるコノ学へ進学することになる。
想像以上にバカが集まる学校なのだが、聡明なお子さんというレッテルは中学までには払拭していたため、その点については特に騒がれることはなく、取り立てて平穏な毎日を手に入れたというわけだ。ビバ、コノ学。
しかし、全寮制の男子校に進学が決定したとき、最大規模のくしゃみの嵐となったのだが、それはいったいどんな噂だったのだろうか。女がなにを考えているのかわからない。真実は闇の中である。
「時間だ。解答用紙を後ろから集めろ。十点未満は補習だからな」
チャイムの音と共に浦安がそう告げると、教室は悲痛なうめき声に包まれた。どうやら難問だったらしい。その辺の調整を怠った俺は、三問も解いた天才として噂されるのを恐れた。
「よし、行くか」
まわりの沈んでいる連中とは違い、意気揚々と陽一は席から立ち上がった。
「お前は大丈夫だったのか?」
「どういうわけか、問二の問題と答えを知っていたんだよ。たぶん、デジャブって奴だな。そのおかげで完璧だ。やったぜ、前世」
どうやら、陽一はテストの問題が教科書に記載されていたことに気づいていないようだ。「俺もそんな恩恵を受けたいものだね」
「というお前は……あー言わなくていい。お前のような秀才は抜き打ちテストなんて朝飯前だろう」
「一応六問は埋めたけどな」
下手に隠すことなく事実だけを都合よく言った。
ここの連中は勝手に言葉の裏を読んで、妄想に彩られた物語を勝手に作る習性がある。六問解いて、三問正解する結果は覆らないのだから、それ以上に余計な疑惑を与えた最後、「影で勉強していた」と言われるのがオチだ。
ここでの生き方は、考えるよりも前に口にしろ、それがどんなに馬鹿にされるようなアホなことでもである。
「六問も埋めたら完璧じゃねーか。俺はその一問以外埋めていない」
「書き間違えたらどうするつもりなんだ」
「う……。お前だって全部間違っている可能性があるだろ」
「全部正解する可能性もある。六十点だぞ。六十点」
「はっ、それはないね。いいところ三十点だな」
そんな下らない会話をしながら、特別棟へ続く一階の渡り廊下を歩いていた。
特別棟には、科学室や美術室などの特殊な用途の教室が集まっており、目的の音楽室はこの三階に存在する。
「しかし、この渡り廊下は長くて滅入るな」
「まあ、仕方がないんじゃね? あのボロを基準にして建てられたもんなんだし。陽一はあそこで勉強したいのか?」
「それは勘弁」
猫の額ほどの広さしかない東京の学校とは違い、山奥にあるコノ学は無駄に広大な校地を持っていた。その中心にあるのが、旧校舎と呼ばれる数年前まで使われてていたという木造の学び舎である。
後から増設された特別棟も新校舎は、立地条件のよい旧校舎に従うよう両脇に建てられていた。そのため、新校舎から特別棟へ向かうには、旧校舎の前を通る必要があった。これが大変難儀であり、授業で移動教室を使うときは、気持ち駆け足でなければ間に合わないほどだ。はっきり言って、旧校舎は邪魔以外のなにものでもない。
現在では新入生への肝試しと噂話の発生源以外に使われなかった。新校舎設立時にと壊してしまえばよかったのだが、卒業生で構成されているOB連合の連中が、取り壊しを反対したらしい。OBの無責任な発言を学園側が無視できないのは、運営基金の多くがOBからの寄付金で賄っているからだそうだ。あくまで噂なのだが、旧校舎を残す代わりに、例年の数倍にもなる寄付金が集まったらしい。
人間誰でも戻ることができる故郷も必要だろう。古い学舎はその象徴の一つなのかもしれない。しかし、過去にしがみついていても、なにも生み出すことはない。そのことは、俺達以上に社会人であるOB連中が一番理解しているはずだ。それなのに、なぜ残そうとするのか。俺には理解できなかった。
陽一と馬鹿話をしながら歩くこと数分、俺たちは目的の音楽室にたどり着く。重いドアを開くとそこには先客がいた。
「よお」
と陽一は気楽に声をかける。相手に見覚えがない。陽一のその態度から同級生か下級生だと思いたいが、この馬鹿の場合、先輩後輩関係なしのケースが大いにありえる。うちの学校では上下関係がはっきりしているので、相手がもし先輩だったら即鉄拳制裁だ。
「ああ、横浜か」
とにこやかな笑みを浮かべて返したので、ほっとした。どうやら同級生らしい。危機が回避されなによりだ。
「誰だ?」
俺がそう訊ねると陽一は「ん、知らん」と緊張感がない笑顔をよこした。なんて恐ろしいことを言うのか、この男は。
そして、知らないと言われた相手は、呆れたような表情を浮かべた。
「失礼な奴だな。一度、委員会で一緒だったことがあっただろ?」
「そうだっけ? ごめん、いろんなことに首突っ込んでいるから憶えてないわ。すまないけど、改めて名前を教えてくれ」
「妹尾健太郎。隣のクラスだ」
妹尾は呆れたように自己紹介を始めた。
「隣にいるのは伏見幸平だろ?」
「よく知っているな」
妹尾が俺の名前を知っていることに内心驚いていた。俺自身は一度でも自己紹介をすれば絶対忘れないため、こちらが一方的に憶えているというケースは多かったが、相手が知っているというのはあまりない経験だからだ。
「横浜のツレだしな。名前しか知らないけど」
なるほど、納得した。陽一はうちの学校のトップレベルのバカだからである。どんなジャンルでも極めれば有名になる。それなら知っていてもおかしくはない。
「妹尾も噂の真相を確かめにきたのか?」
そう尋ねると妹尾は「噂?」と怪訝な表情を浮かべた。しかし、それは一瞬で「ああ、そうそう」と相槌を返す。
「それでいたのか?」
陽一は興味津々といった風に訊ねる。
「い、いた? いやーいないぞ」
「怪しいな。どうして言いよどむ。ははん、わかったぞ。いたんだな。女の幽霊の痕跡を見つけたのだろ!」
「なに言っているんだよ。幽霊なんているわけがないじゃないか」
「お前こそなに言ってやがるんだ。幽霊がいると思わなきゃ、わざわざこんな場所に来るわけないだろ」
「…………」
「ふ、俺の灰色の脳細胞が導き出した結論は正しかったか。これにてSS」
「……SS?」
「知らないのか。将来終了の略だ」
「そいつはお気の毒」
そんな馬鹿げたやりとりを眺めながら、俺は妹尾を観察する。短髪の一七〇センチほどで筋肉も発達した見た目はコノ学生そのもの。違う点といえば、肉食系ばかりの一般的なコノ学の生徒とは違い、草食系の雰囲気をかもし出しているくらいだろうか。あまりにも平均的すぎて、すぐに忘れてしまいそうな印象を持った。
「で、どうなんだ。パツキン幽霊の痕跡を見せてくれよ」
陽一が妹尾に詰め寄る。
「……しょうがないな」
妹尾は取り出すところを見せたくないのか一度背中を見せた。そして、すぐに向き直り、手を開いて差し出した。手のひらに乗る八十センチほどの金髪。思ったよりも長い。「おお!」と陽一が歓声を上げ、指二本で摘み上げる。
そして、さも当然のように口に入れた。
まるで既定された流れ作業のような動きだったので、一瞬なにが起こったのか理解できなかった。それは妹尾も同様だったらしい。
「ちょっ!!」
妹尾は大声を上げた。俺もあらかじめ人毛を食すことを聞いていなければ同じ反応をしていただろう。なるほど、妹尾はどうやらコノ学生にしては健全な魂を持った人間ようだ。正直、まともな人間は自分しかいないのかもしれない、と常日頃思っていただけに、健全な精神を持った人間がいたことに少し安堵をした。
「おい、陽一」
「安心しろって、俺もそこまで飢えているわけじゃない。ちゃんとお前の分も残してあるから」
そう言って二十センチほど残された金髪を俺に渡した。妹尾を見ると「お前も食べるのか?」と不安と恐怖が入り混じった色を瞳に浮かべている。
「とりあえず、これは保管しておく」
「非常食だな」
「あほか!」
「だったらよこせよ。貴重なんだから」
なにを考えての発言だかわからないが、陽一はさも当然のように言う。
「貴重だからこそ、証拠として残す必要があるんじゃないか」
「……なあ、どうして髪の毛を食べたんだ?」
一般的思考を持つ人間ならば当たり前に思う疑問を妹尾は訊ねる。
「俺にもわからないんだが、食べると持ち主の素性がわかるらしいぞ。なあ?」
「ああ、正直口にするまで半信半疑だったが断言しよう。この髪の持ち主は間違いなく女だ」
俺が冗談交じりに言い、陽一が断言する。妹尾は苦笑いだろうか、なんとも形容しがたい複雑な表情を作った。
「横浜は魔法を使えるのか?」
「いや違うな」
妹尾の問いに対し、陽一は人差し指を立て、左右に振った。ちっちっち。
「雄が持つ、本能の力だ」
「その本能の力で、どこまでわかったんだよ」
俺はなんて優しいんだろうね、と自画自賛しながら相槌を入れる。
「そうだな……この子は、金髪の長い髪を持っている」
「それは食べなくてもわかることだよな?」
「まあまて、体格まで当てようじゃないか。きっと、小さい」
「ほう、陽一がロリコンだとは知らなかった」
「ちげーよ。それに……むむむ、なあ、幸平。残りの髪もくれないか?」
「なぜ?」
「情報が足りない」
「足りていないのは常識以上に必要な、人間としてのなにか、だろ」
呆れて物も言いたくなくなるが、残念なことにコノ学の大半は似たようなことを口にするので、こんなことで呆れていては身が持たない。
「馬鹿はほっといて、他に変わったことはないのか」
と妹尾に水を向ける。すると、なにか考え事をしているのだろうか。返事がなかった。
「妹尾」
「……ん?」
「他に変わったことはなかったのか?」
「とくにない」
「じゃあ、ここにいてもしょうがないな。帰るぞ、陽一」
回れ右で音楽室から出ようとするが、「まあ待て」と陽一は静止させた。
「もう少しいようぜ」
「なぜだ」
「まだ、髪の毛が落ちているかもしれないだろう」
「お前、まだ食べたいのか!」
俺は思わず叫ぶようにツッコんだ。
「なあ、そんなに食べたいものなのか? お、美味しいものなのか?」
同じ常識人である妹尾も怯えたように訊ねる。
「まさか。所詮髪の毛だろう、美味しいわけがない」
「じゃあ、なんでそんなに髪の毛を求めるんだよ」
「他の連中に売れるだろ。味はともかくとして、一回くらいは食べたいと思うが人間だからな。商売になる」
なるほど、納得した。
「だがな、そう高く売れるのか?」
「――んー、一本千円くらいじゃなかろうか」
「なら、商売をするには数が必要になるだろう。しかし、もし、逆に大量に落ちていたらどうする?」
「そ、それは恐怖だな」
「だろ?」
「よ、よし、呪われたくないし帰るか」
陽一は手のひらを返す発言をすると、我先にと音楽室から出ていた。俺も続いて出て行こうとすると、後ろから声をかけられる。
「伏見」
振り向くと妹尾が真剣な表情を浮かべていた。
「一つだけ訊いておきたいことがある」
「なんだ?」
「お前も落ちていた髪の毛、やっぱり食べるのか」
「食べるか!」
すると、妹尾はほっとしたように息を吐き出した。
「ああ、よかった。正直さ、俺、この学校に来て、自分の考え方とか色々不信感を抱くようになっていたんだよね。もしかして、俺がおかしいのか? 男としてなにか間違えているんじゃないかって。伏見がそう言ってくれて安心した。俺は間違っていなかったんだな」
「安心しろ。世間的からみたらこの学校の連中が狂っている。絶対にな」
しかしだ、そんな当たり前のことを悩むという時点で、お前もちょっとおかしいんじゃないか? と心の中で思ったが、あえて口にはしなかった。




