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f;スクーターに乗って

 夕暮れ時、橋の上で二人は会い続けていた。決まって夕焼けの綺麗な日、彼女言う所の『異界』が見えるという時に。 


 あの日、バイクを持ち込んだ修理屋は、エンジン不調の原因を突き止められなかった。だがそれ以来彼のバイクのエンジンは快調で、あの時の不調が嘘の様、もっともあの時エンジントラブルが無かったら彼女の前を素通りし、出会う事も無かったかも知れない。 


 夕焼けの日、決まってバイクでやって来る彼に、彼女は、

「バイク、好きなの?」

「マニアってほどでも無い。これに乗っていると、色々ラクだから」

「私も運転出来るかな?でも、この格好ではだめね」

 彼女は自分の制服姿を見下ろし、残念そうにタイトなスカートにちょっと触れて見る。

「なら、今度私服の時、タンデムでもしてみる?あなたの休みの時」

「休みの時はだめ」

 まだお互い全てを話している訳ではない。彼女にアクセスさえすれば、何故休みの日に会おうとしないのかが分かるだろうが、彼にはそのつもりはなかった。彼女が彼の事をまだ警戒しているのが分かっているからだ。それに、覗く事で相手の本音を知ってしまう事が、折角出来上がりつつある関係を御破算にする早道となるかも知れない。


 このように彼女の方は打ち解けながらも警戒を解かない、そんな感じだったが、彼の方は会う度に打ち解けて行き、気さくに色々な話をする様になった。

 『工場』や『木更津』の人間がこの様子を見たら目を丸くしたに違いない。子供の頃から人見知りがあり、他人に自分から声を掛けることなど滅多に無い彼が、にこやかに、楽しそうに女の子と話をしている。普段の彼からは全く想像付かない態度だった。


―― 次はスクーターにしよう。

 彼女と別れた帰路、彼は思う。

 実験棟の若手技官が川崎重工業の大型スクーターを持っている。あれを貸して貰おう。そうすれば制服姿の彼女も運転する事が出来る。

 そこまで考えると彼はアクセルを一杯に上げ、一緒に雑念も振り切った。疾駆するネイキッドは渋滞する一般車線を尻目に中央車線沿いの『国家優先レーン』を突き進む。


 次の夕焼けの日。

「あれ!バイク、どうしたの?」

「借りた」

「へえ、かっこいいね、これ、スクーター?」

「そう、大型のね」

 彼は真っ白に塗装され、ピカピカに磨き立てられたカワサキの大型スクーターで橋に乗り付けていた。実用一点張りの国産二輪車にあって、珍しく曲線を多用したフォルムと近未来的なデザインの大型スクーターで、あるお上お抱えの国民的デザイナーが、やっかみ半分に頽廃的デザインだと指摘したお陰で、却って売り上げが急増したといういわく付きのモデルだった。


 この手の車両は、日産自動車がヒットさせた一連の二人乗りスポーツカーと同類で、大いに警察を刺激し、普段は見逃されるような軽微な違反も取り締まりの対象にされると信じられ、一般ドライバーやライダーからは敬遠されている。

 しかし、そこに妙なスリルを求めるマニアや、絶対に検挙されないと信じる一部有力者の間では賞讃の的となり、この種の車両を運転する事はステータスシンボルと化しているのも事実。実際、ここに来るまでに、国道や重要道に必ず設けられている緊急公用車の優先レーン、『国家優先レーン』を七十キロでひた走るスクーターを、羨望半分で見返すドライバーの多かった事。


「私も乗れるかな?」

「免許は?」

「普通自動車」

「原付に乗った事は?」

「こういうやつの小さいのには、以前乗っていたことがある」

「なら大丈夫。乗って見る?」

「いいの?これ排気量が大きそうだから、私が乗ったら違反でしょ?」

「警察が来たら何とか誤魔化すよ」

 彼女は吹き出すと、

「じゃ、お願い」

 東京側の人気のない河川敷で、まずはゆっくりと真っ直ぐ走らせる。彼女は予想通り直ぐにコツを掴み、夕焼けが消え掛けた頃には、右に左に蛇行させたりしながら乗り回していた。白いシャツに黒いスカート姿の彼女が運転すると、急速に暗くなって行く中、白いシャツだけが走って来る様な錯覚を覚える。彼の指示でヘッドライトを点けた彼女は、河川敷に設えた広場をもう一周すると彼の前にスクーターを停めた。

「ありがとう。面白かった。もう地面が良く見えないから、穴にでも嵌ってコケる前に止めておくわ」

 大き過ぎるヘルメットを脱いで彼に渡すと、代わりに自分の上着を受け取って袖を通す。ハンカチで額の汗を拭う彼女は、彼が今まで見た中でもっとも生き生きとしていた。

「しかし爽快ね。貴方がバイクに乗る気持ち、良く分かる。これって独りになれるのね」

「うん」

 彼女が満足したのなら、嫌がる技官を宥めすかし、無理してこいつを借りた甲斐があったというものだ。彼のネイキッドではスカート姿の彼女は乗れないし、ズボン姿になっても汚れる心配もある。それにエンジンをきちんと見なくてはならなかったから、ちょうどよかったのだ。

「じゃ、そろそろ帰る」

「うん」

 彼はスクーターを押して土手の取り付け道を登った。彼女は後ろから何か考え事をしながら付いて来る。土手の上に上がると彼女は、

「それ、二人乗り出来る?私が後ろで。あ、跨がないと乗れないか……」

「大丈夫。横に向いて乗ればいい。ゆっくり走るから」

「じゃ、家まで送ってくれないかな。近くだから」

「いいよ」

 彼はスクーターをスタンドするとヘルメットを渡し、

「それ被って、後ろに詰めて横乗りで。そう、足は左側に出して」

 彼女がそうすると、彼はスタンドを外して前に乗り、エンジンを掛けながら彼女に、

「僕に腕を回して掴まって。そう、腰に。しっかり持ってて。行くよ」

 すると、彼女は、

「貴方のヘルメットは?」

「それ一つきりだよ」

「警察捕まるよ?」

「そうなったらなっただけ。行くよ。何処?」

「橋を渡って右、土手下へ降りる道があるから、それを百五十メートル行った左側、四階建ての官舎が四棟並んでいるわ。その手前で降ろして」

「アイ、マーム」

「何それ?」

「了解、女性士官殿、って言う意味。USマリンコ(米海兵隊)じゃそう言うんだ」

 彼は返事を待たずにスタートさせた。背中の彼女が腰の締め付けを強める。作業着越しに彼女の火照った体温を感じた彼には、少し昂揚するものがあった。


 彼女は官舎に一人暮しをしている。無味乾燥な、個性や装飾の全くない建物。その白い四棟の官舎までは三分。あっと言う間に着いてしまい、彼女はヘルメットを返すと、

「ありがと。それじゃ、またね」

 そのまま彼の返事を待たずに高い塀の中へと消えた。 

 暫くその建物を見つめていた彼は、どこかの部屋の窓に明かりは灯らないかを見るため、スクーターに乗ったまま官舎を眺めていたが、どうやら官舎の入り口を警備する門衛が、彼の方を胡散臭げに窺う様子が感じられたので、彼らがやって来る前にヘルメットを被り、走り出す。

 彼女の被ったヘルメットは内革が微かに湿っていて、何か甘い薫りが漂っていた。



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