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篠田瑛子は内務省の国家情報センターに勤めていた。初期のコンピューターが導入された当初からオペレーターとして働いて来た彼女は、今や指折りのコンピューターの使い手で、与えられた分析や資料収集・ファイリングなどをてきぱきとこなし、重宝がられていた。
ある日のこと、几帳面に積み上げて台車に乗せられたファイルボックスの山が彼女のデスクの前に運ばれ、センターの資料室長から索引インデックス付きのマイクロフィルム化を求められた。時折依頼される骨が折れる作業で、ざっと見たところ、警察から政府機関へ送られた十数年分はある何かの事件の報告書の様だった。
職務上LEVEL―AA(機密)からLEVEL―AAAA(極秘)までの様々な書類に目を通さなくてはならない。その上、彼女はこの仕事でのオーソリティとして確固たる地位を築き上げていた。結果、彼女は五年前から保安レベル最高度のLEVEL―AAAAA閲覧許可証の所有者、俗称『ファイブA』だった。その彼女が書類の左上に赤い縁取りの白星5つを目にして息を呑む。今までお目に掛った事が無かったので、存在することを疑っていた5つの☆。
それは正しくLEVEL―AAAAAの印。最高機密の『ウルトラ』と呼ばれる書類だったのだ。
彼女を初めとして機密事項に接する秘書や記録事務員は、耳にしたり眼にしたりする国家機密は覚えない様に訓練されている。しかし、人間である以上、自身に関係する内容や興味のある内容に反応しない方がおかしい。そのため、防諜や保安関係を司る部署では、こうした人員の趣味や生い立ちを徹底的に調べ上げ、少しでも彼・彼女に関連する情報を含む機密事項には触れないようにリスト化し、関係各部署に要注意ファイルとして配布していた。
当然彼女の上司や資料作りを頼んだ室長も、そのファイルの山が最高機密に属し内容が彼女の興味を引くものである事は承知していた。しかし、膨大な資料を短時間でファイリングする腕では彼女の右へ出る者はいなかったし、何しろこの資料の出所からせっつかれてもいた。何事も例外はある。それに彼女はファイブAとして不定期に信用調査対象になってもいる。漏れる心配はないだろう、そう考えた室長は彼女に託したのだ。
勿論ファイブAなど滅多にいない。国家の秘密の巣窟とも言われる国家情報センターでさえ両手に満たない。この資料作りはたった一人でやるしかないだろう。
彼女は極力顔色に出ない様に気を付け、室長が差し出した受け取り書類に署名・捺印すると、事務的に言う。
「五日、否、六日下さい」
「他の仕事はやらなくていい、係長に言っておくから今取り掛かっている仕事はデスクの横に積んでおきなさい、誰かにやらせる。いいかね、これだけやってくれ、四日でな」
それだけ言うと室長は、彼女から受け取りを奪う様にして受け取ると、後は挨拶もなく足早に部屋を出て行った。彼女は室長の後姿を見送ると、軽く吐息を吐き、まずは『愛機』を保留にするとやり掛けの仕事を掻き集め、言われた通りデスクの横に積み上げ、反対側に置かれたファイルボックスの山を切り崩しに掛った。
まずはソートの基準を決めるため、ざっと件名を眺める。ファイルボックスは一部を除いて年度毎にまとめられている様子で、几帳面な人間がファイリングをしている年もあればいい加減な人間が適当に突っ込んだ年もあり、ボックスに付属する目次やタグもソート方法は五十音順やら地域毎やら様々。
資料を保管したり記録したりする部署は、地味で報われることの少ない部署なので、年金間近の人間や組織から爪弾きにされた人間などが溜まり易く、こうしたいい加減な保存がまかり通っている場合が多い。特にファイブAなど上層部の人間だった者が多い筈。人にやらせる事に慣れている人間が、面倒で時間の掛かる仕事をきちんと全うする事は稀である。
このファイルを作った人間は悔し涙を浮かべながらタグをつけたのだろうか? 彼女は頭を振って雑念を振り払うと作業に没頭した。
―― 七十五年四月九日、宮崎……家族共に行方不明……妻の日記から幻歳睡眠三日目と思われ……届け出無し……指名手配。七十九年一月十八日、島根……姉も行方不明……幻歳睡眠中……届け出無し……指名手配。八十三年九月二十二日、秋田……家族共々……置手紙によると男女二名が訪問し……届け出無し、近所の通報……指名手配。これは!
『幻歳者の拉致に関する犯罪報告』と走り書きされたメモが張り付けられたファイルボックスの山。日付、地域、項目、内容、目を通すにつれ驚愕の内容がどうしても頭に入って来る。そして。
―― エンジェル?
こうして彼女は国家の敵『エンジェル』を知ることとなった。リバーサーを拉致し場合によっては官権とも戦うテロリスト集団。その方法が ――
ビー・ビー・ビー・ビー!
はっとした彼女が手を伸ばしてブザーを切る。二十時五十分になっていた。二十一時からは夜勤の時間帯で、昼勤の彼女がその時間を超えて働くのには許可がいる。確かに緊急で仕上げねばならない仕事だったが国家の一大事という訳でもなく、夜勤は許可されない。立ち上がって彼女の区画を出て広大な電算室を見廻すと、夜勤組の三人が隅で仕事をしているだけで、昼勤組は彼女しか残っていなかった。
彼女は、はぁ、と大きな吐息を吐くと自分の区画に戻り、振り返って天井を見やる。そこには丁度彼女の区画を狙う防犯監視カメラが設置してあり、彼女はそれに向かって両手を上げ、左右の人差し指でXを作って見せる。その方が内線より早い。昼勤組が誰も残っていないのならこの時間、必ず見ているはずだ。
案の定、一分も経たない内に二名の警備員がやって来る。
「篠田さん、終了しますか?」
「ええ、ファイルを片付けます。お願いするわ」
すると一人が抱えて来た紺色の厚手のビニールカバーを広げ、カバーの裏側に何も細工の無い事を彼女に示した。
「これで全部ですね?デスクに残っていませんね?」
「全部よ」
「サインお願いします」
彼女は警備員が差し出したクリップボード上の書類にサインをし、警備員が台車に掛けたカバーのファスナーに張り付けた封印に自分の印を押した。
警備員はそのまま台車を押して行き、部屋の反対側の壁にずらっと並んだ大型金庫風の扉の一つの前に行く。ついて来た彼女が組み合わせダイヤル錠の一個を操作して離れ後ろを向くと、彼女の作業を見ない様にしていた警備員が振り返って、もう一つを操作し解錠して扉を開く。中はがらんどうで、警備員は台車をそのまま中に納め、扉を閉じて両方のダイヤル錠をくるくると廻して鍵を掛けた。
「お疲れ様でした。ただ今二十時五十八分です。二十一時にSゾーンのシャッターが自動的に締まりますが、中央監視に報告してありますからご心配なく。シャッター横の非常口でお待ち下さい、案内が来ます」
「ありがとう、助かります」
「では、おやすみなさい」
その日から三日間、彼女はリバーサーを奪還するというエンジェルなる組織と、その先に見え隠れする不思議な状況の知識を蓄積して行った。書類を整理してマイクロフィルムに撮影し、それを専用容器に納めて行きながら、目は新たな情報を求めて書類の上を走っていた。こうして読む量が増える毎、パターン化された情報がヒントを与え、状況が沁み込むように理解されて来る。
―― 発生年月日;一九八七年六月十九日。発生場所;福井県敦賀市。被疑者;三十九歳男性。勤務先;エヌ電子光学工業福井営業所敦賀工場、第二設計部課長。 家族構成;妻三十七歳、長女七歳、長男三歳。両親は死亡。義母が福井市に居住。 事件の概要;同年六月八日、職場に妻から連絡、家族の問題で一週間ほど休むとのこと。本人は電話に出られないとのことで、受けた上司が不審に思い自宅を訪問したが、敦賀市内の一戸建て自宅は不在。一週間後の同月十四日月曜日も出社せず、自宅を訪問するが不在、福井の母親に連絡、こちらも不在だった。同月十六日、勤務先総務部より福井県警敦賀署に捜索願。同日、所轄署により自宅を捜索したが、ア;家財道具一切そのままの様子 イ;置手紙に訪問者の言及 ウ;義母を含む家族全員の蒸発 以上の特徴からエンジェルが介在した幻歳者拉致と断定。状況から幻歳者は男性本人と思われる。同月十九日。福井県内08―A04―395に於いて不審者通過を記録。当該地区はエントランス潜在度A重点区であるため、直ちにKM経由該当パターンREDで彼方の担当当局へ通報。同日回答有、通過記録該当有、員数大人六子供二。よって本件はER指定事件B08206154と認定さる。
―― 『エントランス』……『彼方』の担当当局へ通報?カナタって……
思い当たる節はあった。覚えるな、と訓練され興味も無かったので、記憶の奥底に澱の様に溜まって行った過去。このセンターのために記録した様々なファイルに忍んだ言葉の断片。
彼方、あちら、此方、こちら、ゲート、帰還門、往還、渡る、書簡通信、通行通報、通過記録、物資交換、戦略物資輸送……そしてエントランス、エンジェル……
それらは一見繋がりや関係の無い膨大な報告や記録の中に潜んだヒントだった。それが今、巨大なジグソーパズルが組み上がるように姿を現していた。
彼女は確信した。世界は二つある、と。




