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u;深い霧を越えて

 やがて隼人は彼女を降ろすと、あちらの彼女に、

「彼女を宜しく頼みます」

 深々と頭を下げた。

「いえ、ある意味、自分の世話ですからね。それって当たり前でしょ?これ以上迷惑は掛けられませんからね」

 老女はそう言うと隼人に歩み寄り、優しく背中に手を廻し、彼を抱き締めた。彼が驚く間もなく身体を離すと、

「『分身ドッペルゲンガー』とは言っても、全く同じ身体つくりでなく、同じ人生を歩む訳でもない、と伺ったわ。だから私の半生はこの人の様にドラマチックではなく、とても平凡だった。私も貴方の『分身』と彼方あちらで恋仲になれば幸せだったのかしらね。きっと貴方の分身も彼方にいるのでしょう……あ、それは無理ね。私は普通に歳を取っているから、『彼』はこんなお婆ちゃんに興味が湧くはずがないわ。ほんと、この子の羨ましい事」

 彼方あちらには人工的に作られた自分の分身などいない。隼人はそう思ったが指摘しようとは思わない。場を明るくしようとする彼女の心使いが嬉しかった。皆、一仕切り笑った後、ラミエルは、

「隼人さん」

 真剣な面持ちで彼を見る。

「あなたも一緒に来ませんか?」

 辺りの時間が止まる様な一瞬。

 隼人はラミエルを見、飛鳥を見、ウァンリェンを見、二人の彼女を見る。全員が息を止めて彼の次の一言を待っている。その一言に至る短いが非常に長い時間。

 ふと、彼は微笑する。そして言った。

「非常に残念ですが」

 ラミエルも一瞬だった。

「そうですか。残念です」

 プロがプロを口説いたのだ、結果断られたらそこまで。

「自分には、後ろに続くサイがいます。飛鳥さんが行方不明になって後、私はこの国でナンバーワンの称号を背負わされています。その私が離脱したら、彼らに害が及ぶでしょう。もはや個人の心情だけでは裏切る事は出来ません。それに私はこの国が好きなので」

 海外で戦った後、帰国の途に就いた時、機上からこの国が見えると無性にうれしいのだ。こんなにも無情でろくでもない世界なのに。

「そうですか」

 ラミエルはそう言うと、突然、ククッと笑い出す。呆気に取られた皆が見つめる中、エンジェルのボスは何とか笑いを沈めると、

「いや、すみません。なあに、そっくり同じことを言うなぁ、と思いましてね。二十年程前になりますか、武装警察で厄介者とされていた方を組織に誘いましてね」

「ほう」

「好きなのだそうですよ、禄でもないけれどここは正しく自分の国だと言って」

「その人はまだ武警にいるのですか?」

「どうですかね。しかし、私と会ったことやエンジェルの秘密は漏らしていない様子。私が見込んだ通りの人でしたね」

 ラミエルは思い出を振り切るかのように頭を振り、

「いや、つくづく私はスカウトに向いてないな、と思いますね。あなたたちこそ本物の愛国者と呼ぶのでしょうね」

「こうしてテロリストたちと親しげに話し、リバーサーの逃走を黙認する愛国者なんかいませんよ」

 自虐と皮肉に塗れた毒を吐いた隼人だったが、ラミエルは首を振る。

「そんなことはありませんよ」

 そしてラミエルは憂いの表情を浮かべ、

「私は、あなたたちの事を思うに付け劣等感に苛まれるのです」

 すると隼人は、

「人は置かれた環境で、それぞれの身上を試しているのです。それを恥じる必要などない、と私は思いますが」

「なるほどね」

 ラミエルは苦笑すると、

「では、あなたの置かれた『環境』が、あなたの『身上』を発揮するに相応ふさわしく変わる事を祈ります。私はそれに期待をする事が出来きませんでした。自由は人に与えられ護ってもらうものではない。特にリバーサーたちの境遇は酷い。自ら変えるしかない、と思った。あなたは違う。国を捨てた私が言うのもおこがましいですが、どうかこの国を頼みます」

 隼人はそれについては何も言わず、ただ敬礼する。相手は軍人ではなく国家の敵だったが、今は敬礼が相応しい気がしたからだった。そして先程から所在無く彼を見つめている飛鳥にも敬礼を送る。

「お元気で」

 隼人の声に飛鳥は一瞬、淋しそうな笑みを浮かべたが、今度はきちっと答礼すると、

「君も元気でな」

 隼人は頷くと、つと視線を隣の少女に移し、まだ涙が止まらない彼女の目線までしゃがむ。

「これで本当のさようなら、だけどね……」

 彼はそこでにっこりと笑う。

「幸いにも、僕は電話じゃなくても遠く離れて会話をするすべを知っている。君に『鈴』が付いていた時はそれも無理だったけれど、今は無力化されている様だね」

 これにはウァンリェンが頷き、彼は軽く頷き返すと少女の目を覗き込む様にして言った。

「君が淋しくて仕方がなくなった時、僕はきっと会いに行くよ。色んな話をしよう」

「うん。待ってる。勿論あなたが淋しくなっても、来ていいのよ?」

「勿論だよ。約束する」

 彼は微笑みながら彼女の頬に唇を当てると、お返しにひんやりと冷たく潤んだものが彼の頬にも当てられた。

 そう、これでいい。これでもう、離れても大丈夫だ。

 彼は二つ大きく頷くと立ち上がる。

「では行こう」

 それを合図にラミエルがそう言うと、老女が深々とお辞儀をし、彼も深く頭を下げた。

 飛鳥は頷くともう振り返らずに歩いて行く。ウァンリェンは、じゃあ、と手を上げ、ラミエルは頷くときびすを返した。少女は老女に手を取られ、歩き出したが、ずっと振り返ったまま引きずられる様にして霧の中へと消えて行く。

 五つの後ろ姿はそのまま影となり、薄れ、消えた。

「さよなら!ハヤト!」

 少女の声が霧の中から聞こえたのを最後に、後は静寂が彼を押し包み、砂利を踏む音もたちまちにして消えてしまった。


 彼は暫く無情な霧を睨んでいたが、ゆっくりときびすを返した。

 公園を迷うことなく横断し、入り口まで戻った。生け垣沿いに歩いて行くと霧の中、彼のワゴン車がフォグランプに縁取られ黒く浮かんで見えて来る。彼が近付くと、生体認証ロックが彼を認知し、ロックは解除され、彼が冷え切ったフロントシートに身体を沈めると、再びロックがカシャンと閉じた。

 そのまま彼はざっとサーチを行なうが、あの五人や、姿は現わさなかったものの周囲に展開していたはずの天使テロリストたちの所在も掴む事が出来なかった。

―― さすがだな。

 彼は一人納得すると、今の自分を見つめ直してみる。


 これは美談なんかじゃない。そう彼は思う。

 あのラミエルは、彼をスカウトしたいがために瑛子の脱出などと言う危険で手の混んだ作戦を展開し、自ら虎穴に入ったのだ。そこにあるのはおきまりの誘惑、策謀だ。ラミエルや国にすれば隼人は駒に過ぎない。盗られれば相手の強力な駒となる。その好例が飛鳥だ。彼らはそんなゲームを戦っているのだ。それにゲームはこれで終わった訳でない。

 現に彼は揺れている。いつかはこの霧の向こうへ、彼女を追って歩き出す時がやって来るのかも知れない。そんな予感に怒りすら覚える。

 ラミエルは今日の出来事を、彼の精神こころが疼いて止まない、そんな可能性のトラウマにして彼に残して行ったのだった。


 それでも、と彼は思う。彼女はこれで、やっと念願の夕焼けの向こうへ行くことが叶う。

 サーチでは探れないが、彼にはありありと今後を思い浮かべる事が出来た。それはサイに備わるとされる予知夢の如く……

……黒いワゴン車の車列、途中の詮索好きの目や耳は、飛鳥とウァンリェンが目眩ましを仕掛け暗示で逸らし

……やがて山へ入り、指定の時刻、エントランスが開くのを待つ姿

……もちろん警察は網を張っている。警報は鳴るだろう。しかし誰一人間に合いはしない。駆け付ける武警の機動隊を尻目に一人また一人、穴へ入って行き

……彼女の番となると、分身の老女に引かれ、最後に振り返り、戻る事はない祖国を一瞥し、別れの言葉を呟き

……大丈夫。安心してお行きなさい。その先に自由があるから

……小さな肩を励ますのはウァンリェンだ。その後ろで飛鳥が力強く頷いている

……二人に促され励まされ、彼女は、もう振り返る事無く穴の中へ消えて行く。直ぐにウァンリェンが続き、最後は飛鳥。こちらを振り向くと、まるでそこに隼人がいて見ているのを知っているかの様に呟く。聞こえないが、口の形で理解する。だ・い・じょ・う・ぶ。やがて飛鳥も見えない穴へと消え

……エントランスは間もなく閉じて、後は駆け付けた者たちには足跡だけが残されて、そして……


 そこで彼は現実へと戻る。寒い朝なのに汗に塗れている。彼はそっと息を吐き目を開く。その目から光るものが一筋流れたが、彼は気付いていなかった。

 その時、ワゴンの横を突然車が通り過ぎ、間を置かず正面にヘッドライトが現れ、車の姿になると彼の横をかなりの速度で過ぎて行く。後には渦を巻きながらも消える事がない霧が乱舞する。

 一日が始まっていた。彼は体を起こすとフレシキブルマイクに向かって話す。

「なあ、どこでもいいが、霧のないところへ向かってくれないか?」

『認証出来ません。 ゆっくりと、おおきな声で、もう一度、はっきりと、お話ください』

 彼は溜息を付くと、

「オートモード解除。コード。なな・さん・にい・ごう・よん・いち。エンド。エンター」

『オートモード解除しました。只今、手動モードです。左右を良く見て、安全運転を心がけましょう』

 操作表示灯が緑色からマニュアル運転中を示す黄色に変わる。彼はサイドブレーキを外し、マニュアル運転で車を道路へ出すと、霧など無いかの様にアクセルを踏み込んだ。


 ワゴン車は道路の先に出来た霧の壁を突き抜け、一瞬の内に白い空間の中へと消えて行ってしまった。


 


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