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20/21

t;再会

 その公園は市街地の真ん中にあり、公式には『人口密集地帯指定公共遊地標準甲型』と呼ばれる。つまりは在り来りの都市型広場と言う代物。

 大体十万都市以上に創られ、ほぼ二キロメートル四方に一ヶ所の割合で存在する。概ね四百平方メートル、有料男女トイレ二ヶ所、水飲み場三ヶ所、四方は桜か銀杏の立ち木、ツツジや茶の生け垣、芝生の広場を数ヶ所、広さの割に少ない四人掛けベンチ二ヶ所という構成。遊具などはない。

 ただ広い平坦な空間だけがある。これは人員点呼や集会を催すにはちょうど良い環境と言える。『およそ八百名が起立して指示を受けるに丁度良い大きさとする事』内務省の省令にはそうある。


 長い冬が漸く立ち去って行く足音が聞こえる様な朝だ。夜の間冷え切った空気に入り込む、南からやって来た湿った数度高い空気が生み出した霧。濃霧は関東地方の春の風物詩、桜が散る頃まで当たり前の朝の光景だった。

 明けて間もない午前六時。その濃霧の中、一台のワゴン車が公園前に停まる。すると続いて後ろからパトカーが徐行しつつやって来て、ワゴンの後ろに停まると、制服姿の二名の警官が降りて来る。

 年上で背の低い方がコミュニケーションボード片手にワゴンのバックナンバーを調べると軽く唸って、若く背の高い方に耳打ちする。

「『あ』ナンバーだ。慎重に行くよ。お仲間か軍か首相か知らんが」

 若い方は幾分心臓が高鳴るのを意識すると、年上が後方に廻り援護の態勢に入っているのを確認してから、ワゴン車の前右側ドアガラスをノックする。ガラスが下がると若い警官は、

「おはようございます。地区警察です。すみませんがIDを」

 運転席に座る男は無言のままカードを警官に渡す。若い警官はカードの写真と運転席の男の顔を見比べた後、薄い青のカード/政府職員、06で始まる十桁の数字/軍関係、を見てカードを後ろの年上に渡す。受け取った警官はIDカードをボードの読取りスロットに差し、ペンでエンターを叩く。小型の液晶表示に、微かに顔をしかめた年上の警官はカードを取り出すと、若い相棒を押し退ける様に窓の横に出て、

「中佐殿。ご出勤ですか?」

 運転席の男は差し出されたカードを受け取ると、

「いや、夜勤明けだよ。0500に明けた。今日は待機日でね。そのまま官舎に帰るのも憂欝だったので、少し走り続けていた」

「そうでしたか。お引き止めして申し訳ありませんでした」

「いいよ。少し休もうと思ったんだ。いくらオートドライブと言ったって本当に寝てしまっては君たちを困らせる事になるからね」

 年上の警官はお愛想で笑いながら、

「皆さんが中佐殿と同じ様に遵法主義でいらっしゃれば、私たちも楽なんですがね」

「それはご苦労様です」

「いや、公務ですからね。お邪魔しました。お休みなさい」

「お疲れ様」

 二人の警官は敬礼するとパトカーへ帰る。中佐はそれをミラー越しの目線で追ったが、二人がパトカーに乗り込むと座席に身を沈め、目を閉じた。


「見ました?すごいですよ、あの中佐殿」

 パトカーに乗るなり若い警官は年上に呟く。年上はシートベルトをしながら、

「確かに物騒な目をした旦那だな、朝霞(国防庁)の長官直属だぞ、そりゃ歴戦の勇士だろうよ」

「当たり前じゃないですか。勲二等瑞宝章の略章、普通退役する将軍が貰う勲章ですよ?それを現役三十そこそこの中佐で貰ってる。通常の略綬は八種、戦傷章パープルハート二つ、湾岸戦争にコロンビア内戦、ホンジュラス内戦にコンゴ戦争の参戦記章までありましたからね」

「マニアだなお前も」

「憧れているだけですよ」

「こっちじゃなくあっちに入ればよかったのにな」

「受けましたよ、国防大学。落っこちたんで警察予備校に入ったんです」

「やれやれ、お前の様なディレッタントだらけだよな、最近のウチは」

「悪かったですね、オタクで」

「さ、油売ってないで行くぞ。次はパターンDで行く」

「了解」

 若い警官は、ハンドルの横からフレシキブルケーブルで伸びているマイクに、

「パターン、デルタ、実行認証。なな、ごぅ、はち、はち、にぃ、はち、さん。エンド。エンター」

『認証されました。実行しますか?』

 合成音で女性の声が問うと、

「実行せよ」

『発車します、お気を付け下さい』


 オートドライブが勝手にブレーキとギアを操作し、ハンドルが右に切られ、それぞれ左右を警戒する二人の警官を乗せてパトカーは巡邏に戻って行った。


 パトカーの回転灯が霧の中へ消えたと共に、中佐はアクセスを解き一息吐いて目を開ける。

―― 君が思うほどの勇者じゃないよ、オカモト一等警士。こんなオモチャの飾りは上の優越感が与えるものさ。貰えば貰うほど雁字搦めになるだけ

 中佐は現れない表情の下、二重防御シールドの奥で苦笑すると、

―― そんな世界に入れなくて君は幸せだった


 ワゴンのエンジンは掛けたまま、フォグランプとリヤフォグを点灯し、うっかり者の早朝出勤者に追突されない様にしている。空調は切って窓を少し開け、制服のポケットからタバコを取り出し火を点ける。煙を吐き出すとフロントグラスに手を伸ばし曇ったガラスを手で拭う。霧は五メートル先も見えない濃いもので、フォグランプが反射して数え切れない水蒸気の渦が次々に生まれては消えて行く様を見せている。

 タバコを銜えハンドルに凭れ、流れては寄せて来る霧の波を眺めている中佐はふと、子供の時の事を思い出す。

 あれも深い霧の中、饒舌だが薄情な養育官に手を引かれ、林の中、道を外さぬ様にゆっくりと歩いて行く。霧は音を吸い、上から聞こえる養育官の息遣いが籠って聞こえる。ほら、あそこ。見える?養育官が指差す先、投光器の光が日輪の様に輪を作り、やがて見えて来る人の影。アノラックに水滴がびっしりとついて、その冷気で身体が震え出しそうな春。四歳の自分は冷たい手をした中年女性に手を引かれ、物々しい警戒を続ける特殊部隊の兵士の間を抜けて、自分が初めて仕留めた『獲物』を確認するために ――

―― 来た、か

 頭の中、チクチクと痛みを感じる。強力な能力者サイがシールドを『ノック』する音といったところだ。中佐は一旦シールドを解くと、

(誰か?)

(中佐?そこにいますか?)

(ああ、いるよ)

(お一人ですね?)

(一人だ)

(中佐を職質したパトカーは二キロ先、一キロ先にレシーバーの気配がありますが、離れて行きます。この周囲ではサイは我々だけです)

(分かった)

(我々は今から公園に入ります。中心に向かって歩いて行きますので)

(では私もそちらへ向かう)

(ありがとうございます)

 中佐はエンジンを掛け点灯させたまま車を降りる。オートロックの音がすると車は自動的に省電力モードとなり、エンジン音が低くなった。湿った風に霧が流れるが一向に消える気配は無く、却って白い紗が幾重にも迫って来るかの様な圧迫感と息苦しさを感じる。

 中佐はタバコを側溝に投げ込むと芽吹き始めた生垣に沿って歩き、公園の入口を目指した。

 広く平坦な公園は、植え込みや芝生以外細かい砂利が敷きつめられている。砂利は中佐が一歩踏み出す度にジッジッと湿った音を立てた。霧はひどくなる一方だ。複雑な濃淡を付け渦を巻いて足に絡み、足元すら霞んで見える。

 辺りは静寂が支配している。中佐の足音以外音もない。否、あるが、霧が音まで包み込んでしまい、伝わらないのだ。


 真実まで包んでしまう様な濃霧……この世とも思えない白い世界。いいや、真実は霧の中の方が素直だ。一体実際の世界と何処が違う?見えていようが、いまいが、僕らはお互いどんな姿をしているのか、どんな顔をしているのか常に探りあっているのだから。

 そんな事を思った瞬間、

(中佐は詩人でいらっしゃる)

 頭の中で女の声がする。と、同時に複数の人間が砂利の上を歩く音がすると、ぼんやりとした人影が大小五つ、並んで中佐の前に現われた。中佐が立ち止まると影も歩みを緩め、霧が棚引くと五つの影は五つの男女となる。

 五十歳位の男、三十代に見える東洋系美人と言ってよい女、同じく三十代の背の高い女。七十程だが背筋の伸びた老女、そして……

「暫らくだったね」

 中佐は少女を見ながら感慨深げにそう呟くと、まずは視線を背の高い女に向け、さっと敬礼する。

「久し振りです、大佐」

 女の表情は最初から険しい。気のない答礼を返しながら、

「呼び出しに応じて貰えてうれしい、隼人君。活躍振りは色々と聞いているよ。立派なものだ」

 隼人は首を振ると自分の略綬に触れ、吐き捨てる。

「全部虚飾ですよ」

 女も頷きながら、

「ああ、同感だね、全くだ。どうだい、今はお互い階級は忘れないかな?」

「賛成ですよ、飛鳥さん」

 そして隼人は東洋美人に、

「ウァンリェンさん、ですよね?」

「ええ、そうですよ。初めまして、新開中佐」

「お初な感じがしませんね」

「私もですよ、隼人」

 流暢だが微かにイントネーションが違い、外国人と知れる。先ほどから彼に思考会話を送って来たのは彼女だった。隼人は飛鳥とウァンリェンの顔を見比べてニヤリと笑う。

「なるほど。エンジェルが崩壊しても直ぐに立て直される訳だ。内部と外部から飛び切りの支援があった訳だから」

「確かにそうだよ、新開さん」

 今まで黙っていた五十代の男が口を開く。

「初めまして。私のことはラミエルと呼んで貰いましょう」

「こちらこそ。エンジェルの首魁と会えるとは思いもしませんでしたよ」

 隼人は笑みを湛えたままで、

「上手くやりましたね。こちらの切り札を口説いて協力者にして、潜在的敵対国の援助を取り付ける。あなた方は私の上司たちよりも政略がお上手だ」

「隼人、それは違うぞ」

「いえ、今はいいですよ、飛鳥さん」

 隼人は手を上げ、弁明に動いた飛鳥を止める。

「私の『誤解』を正しても、何一つ変わりませんよ。今はやめて置きましょう」

「分かった。難しい話は止めましょう」

 ラミエルと名乗った男が少し声高に言い、渋々といった感じで飛鳥が引く。隼人はじっとこちらを見つめるウァンリェンに、

「連絡をありがとう。でもあなたたちは僕が通報する可能性は考えなかったの?」

 ウァンリェンは笑い、

「あなたに限っては、ないわ」

「すごい自信だね。この国ではウァンリェン、あなたは抹殺リストの一頁目だと言うのに」

 ウァンリェンも負けてはいない。

「そう言えば隼人も私の国のリストに載っていたわね。あなた、貴国の首相より上みたいよ」

 一瞬二人は冷たい視線を交わすが、直ぐに二人とも笑い出した。

「さて、そろそろ本題に入らないか?世界的に見てもトップクラスのサイが二人いて、広範囲に目晦ましを仕掛けていても、じっくり友好を温める時間などないはずだ」

 隼人の問い掛けに対し、ラミエルは一歩前に出ると、

「仰る通りだ。時間を有効に使おう。周囲は警戒させているが、危険に変りない」

 隼人が頷くのを見ると、ラミエルは後ろに控える七十代の老女を手で示し、

「隼人さん。こちらを見て誰だか当てて御覧なさい」

 エンジェル側の全員、霧を意識して軍用の雪中用ポンチョを羽織っている。その大きなポンチョに半分隠れた十歳位の少女は、勿論、篠田瑛子だ。くりくりとした目は幼くなった事により更に強調されている。その目は彼に注がれたまま動かない。大きめの口も開いては閉じ、何かを言い掛け止める、その繰り返しをしている。しかし彼女の隣のこの老女は見覚えがないが……その時突然彼は覚る。

―― ドッペルゲンガーか!

「気付いた様だね」

 ラミエルは満足そうに、

「そうだ。『彼方あちら』の篠田瑛子さんだ」

 老女は黙って頭を下げる。

「私が直接、彼女を、ああ、『此方こちら』の瑛子さんのお世話をお願いした。ウァンリェンの国が場所を提供する」

「そうですか」

「新開さん」

 老女は、戸惑ってはいるがしっかりした声で、

「事情は丁寧にラミエルさんから伺いました。何と申しましょうか、こちらの『私』に色々尽くして頂いたそうで、ありがとうございます」

「……いえ、何も出来ず申し訳ありませんでした」

 老女は隼人の言葉に首を振り、

「あなたのお気持ちを頂けた事で『この人』も、いえ、私も幸せだと思います」

「そんな」

 隼人は言葉に詰まった。間違いなくリバースしなければこちらの瑛子はこの老女の様に、溌剌としたお婆さんになったことだろう。そう思うと何か込み上げてくるものがある。すると突然、『十歳』の篠田瑛子が、

「私は……隼人さん、事情を聞きましたが、ごめんなさい、やっぱりあなたの事は思い出せません。でも、十年前、確かにあなたと愛し合った、それは事実だと信じます。今、貴方を見て……分かったもの」

 幼くなって少し声が甲高いとは言え物腰、その話し振りは変わらない。隼人は息が詰まった。じっとこちらを見続ける隼人の視線に負けまいと瑛子は必至だった。

「私の記憶が奪い去られた事は憎むけれど私は信じる。あなたは私を愛してくれたのね。私は記憶を無くし、そのまま日常を受け入れて平凡に暮して来たけれど、その間、あなたは危険な戦いに身を投じ、そんな中でも私の事を思い続けて下さった、そう皆さんから伺いました。本当に……本当にありがとう」

 彼女の目から大粒の涙が一つ、二つ、零れた。老女の目も涙で潤んでいる。

 日本の能力者サイの中では、四年前に戦場から行方不明になった飛鳥大佐と並ぶ実力者の新開中佐。常に沈着冷静、無表情ポーカーフェイスが板に着いた彼だったが、今はとても平常心には見えなくなっていた。

 言葉は途切れる。声を掛ける者もない。後はお互い見つめるだけだった。

 片や、見上げる目から溢れる涙が頬を伝い、片や、見下ろす目から一滴、涙が零れ落ちて。

 彼女が一歩彼に近寄ると、彼は彼女の脇に手を入れ、少女を抱き上げ、そのままきつく抱き締めた。少女はあらがう事も無くそのまま抱きすくめられ、怖ず怖ずとその両腕が彼の首に巻き付く。

 隣で見ていた隣国のサイ、ウァンリェンは一瞬、二人が二十歳の同い年で幸せそうにお互いを抱き留めている姿がはっきりと見え、息を呑んだ。同時に同じ光景を見たのだろう、飛鳥がこちらに視線を送り、二人は頷きあう。

 サイである彼女たちは、人の業の深さを知っている。過去の想いの残滓 ―― 彼の精神こころに秘めた熱い想いと、彼女に残っていた想い出のカケラ、それらが互いに干渉し合い昇華して、六感のある自分に幻を見せたんだ。彼女はそう結論し、抱き合う二人を見ると既に幻は失せ、現実に戻っていた。 


 現実はとても残酷だ。ウァンリェンは目を逸らせた。



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