s; さようなら
尋問は十二時を廻ったところで最終段階となり、兼田の手帳は走り書きされた記述で真っ黒になっていた。冷めてしまった紙コップの茶の残りを飲み干すと兼田は、
「さて、あと二つ三つでおしまいです、もう少しですよ。疲れましたか?」
兼田の問いに、どうにでも取れる曖昧な笑いで応じた彼女は、
「いえ、大丈夫です」
「よろしい。では、被疑者の交際相手の噂についてですが、貴女は ――」
隼人は背筋を伸ばし膝に両手を置いたまま微動だにせず、真っ直ぐ彼女を見つめていた。彼女は兼田の問いに答えながら、時折隼人が気になるのか、ちら、ちらっと彼の方向へ視線が揺らいでいた。そして彼の視線と絡むと、つと視線を外し、暫くは彼の方を頑なに見ない様にした。だが、彼の自分に向けた動かない視線を意識するのか、再び彼の方へと視線が泳いで行く。この一時間程、そんな事の繰り返しが続いていた。
彼女は彼が記憶した彼女とも精神が映した彼女とも違っていたが、以前の彼女にあった蠱惑的な魅力が薄れ、その代わりに彼女が本来持っていた誠実さ、真面目さが表情に出ていて、それはそれで好ましいものに見える。元来童顔で、目と口が大きくよく動くところは変わっていないが、一年経ってその分『若く』なった彼女は益々魅力的に見えた。これから彼とは身体的に年齢が離れて行くのだ。
まだ老いを考える齢でもないが、確実に自分は老いて行くのに対し彼女は若く、若くなって行き、背が縮み体重が減って行く。今この瞬間、彼女を見つめる彼にはその事実がとても現実とは思えない。更に遣り切れないのは彼女の見せる表情。彼を見る目には怯えと戸惑い、不審が見えている。
兼田に止められた思考潜入や思考会話は試みなかった。彼の言う通り彼女には『鈴』が付いているはず。投薬で精神を曲げ、彼に纏わる一切の記憶を消去した上の事、彼や他のサイによる思考潜入に備えて『思考解析報知器』、隠語で『鈴』と呼ばれる生体送受信機を彼女の脳に埋め込んでいるに違いない。
『鈴』は、レシーバー即ち思考兵器対抗兵の脳に埋め込まれている強力なタグとは違い、単なる警報器に過ぎない。アクセスを察知すると特定の周波数で微弱な電波を発する。それを受聴装置が受け取り『鈴』を付けた対象者が心理攻撃やアクセスを受けている事を知らせるシステムだった。兼田が言う様に隼人が彼女に『話し』掛ければそれこそ方々で警報が鳴り、厄介な事になるはずだった。それに……
この部屋には彼以外にもう一人、自らアクセス可能な者がいる。隼人はそれに気付いた後、防御を二重に展開、精神に引き籠った。
彼女の前で自分の未練をすっぱ抜かれ嘲笑されるのだけはごめんだ、と思った。
「以上です。長時間、また日付が変わるまでお付き合い頂きありがとうございました」
いつの間にか尋問は終わった。元村が椅子を引き、
「では、これで?」
「はい、結構です。ありがとうございました」
元村は頷くと彼女に、
「遅くまでご協力して戴き申し訳ありませんでした。朝はウチの者に送らせます。一時間程遅刻なさるといい。その旨、職場に伝えますからご安心下さい」
すると彼女は戸惑いながら、
「よろしいのですか?私なら大丈夫ですけれど」
「いいえ、その位はさせて頂かないと。急に済みませんでしたね、では部屋までお送りします」
元村はちらっと兼田を見ると、兼田は頷く。彼女は立ち上がり、一礼すると先にドアを開けた加藤の方へ向かう。その瞬間。
「ああ、篠田さん」
何かを思い出したかの様に兼田が呼び掛ける。彼女が何か、と言う風に振り返ると兼田は、
「篠田さんは夕焼け、お好きですか?」
「兼田さん!」
思わず加藤が彼女を庇う様に前に出て、険しい表情で詰め寄ろうとしたが、横に立った元村がその腕を取って止める。元村は加藤に首を振ると兼田に対し、
「どうしました?兼田中尉」
「いえ、ね。前任地での篠田さんを知る『関係者』が、篠田さんは夕焼けを眺めるのがお好きだった、と言っていたものでね。他意はないですよ」
「あ……ええ。好きです」
彼女はお愛想に微笑む。
「そうですか。そうそう、先程警備の方に伺ったが、スクーターに乗って走るのがご趣味とか。大型のスクーターをお求めになったとか」
彼女は顔を赤らめ、目を伏せる。
「前はそんな趣味はなかったのですが、『病気』になって、職場を変わってこちらに引っ越した後、何故か無性にスクーターに乗りたくなりまして……何なのでしょうね?」
兼田は目を細め、大きく頷きながら、
「よろしいではないですか。お見受けするところ、篠田さんは内に引き籠るより外で行動された方がお似合いですよ。羨ましいですな、これからはいい季節だ、どうか安全運転でお楽しみ下さい」
彼女は何かほっとした様な表情を浮かべ頭を下げる。
「ありがとうございます。そうですね、私も病気の後、何か自信が無くなってしまって。後五年で引退です。御国のためにしっかり最後まで働くためにも前向きに行く様、頑張りますわ」
彼女はそう言いながら、どこからそんな科白が湧いてくるのだろう?と自分を訝ったが、表情は晴れやかだった。兼田は満面に笑みを浮かべ、加藤の鋭い非難の眼差しを平然と受け流し、にこやかにいう。
「では、重ね重ね、ありがとうございました。お休みなさい」
「お休みなさい、中尉さん」
すると、今まで一切発言しなかった陸軍のかなり若く見える中尉が軽く頭を下げながら、
「お休みなさい」
彼女は改めて、暗緑色の作業衣姿というラフな格好の青年に目を遣る。尋問中、彼女をじっと見つめ続けていた彼は、陰の部分を強く感じ不気味でもあった。どことなく漂う様な凄味を感じるのは、この若い士官が実戦を経験しているのでは、とも思わせる。二つの大戦と内戦を知る人間の例に漏れず、彼女も過去戦闘で人を殺した人間を数え切れないほど見て来たし、これはその者たちに共通した特徴だった。
しかし今は、何故か思い詰めた様な表情を浮かべる彼の目に、優しい労りの様な、否、どちらかと言えば情熱の様な色があった。彼女はそれに戸惑いを覚えたが、嫌な感じはしなかった。むしろ胸が締め付けられる様な高揚感を覚え、驚く。初対面の、少々ハンサムな青年士官に一目惚れでも仕掛っているのかも知れない。彼女はそこまで考えると、自分がまじまじと彼を見つめているのに気付き、慌てた様に言った。
「お休みなさい、中尉さん」
すると、彼は静かに言う。
「さようなら」
彼女も静かに返した。
「さようなら」
加藤がドアを開け、彼女が続く。その後ろから慈父の様な微笑みを浮かべた元村が二人に敬礼し、続く。部屋に残った二人も答礼し、ドアが静かに閉じられた。
隼人は暫くの間、何も言う事が出来なかった。兼田は集会室の窓に歩み寄り、夜半過ぎ、上って来た下弦の月を見つめる。やがて隼人はポツリと、
「兼田さん。ありがとう」
兼田は月を見つめたまま、静かに言う。
「礼なら言う必要なんかない。こいつも命令だからな」
くるりと振り向いた兼田の表情は、例の達観したかの様な諦めの表情だった。
「誰かは知らん。雲の上の方さ。その彼の秘蔵っ子がどこかは知らんが、厳しいところにでも出張する事になったが、何かグズグズ昔の傷を嘗めてばかりいる、と報告を受けた。ちょうどタイミング良く、その原因となった彼女が尋問される事となった。白羽の矢が、普段その秘蔵っ子が一般の場で無茶しない様に目付けている、薄給の中尉に当たったのさ。元村と加藤にしたって言い含められているに決まっている。俺がわざと正直に所属を言ったのに顔色ひとつ変えなかった。普通なら疑念が涌くはずだろ?制限区のゴリラが何で一級捜査で出張るのか、ってな」
兼田は窓に手を当てると、その冷たさに思わず手を引っ込める。
「なあ新開。これで良かったんだよな?上はあんたが気持ちよくその力を使うのを期待している。何せあんたの商売は精神を使うんだろ?ココが元気で無くっちゃ、せっかくの力も発揮出来ないだろうからね。ギブ・アンド・テイク。あんたが上手く仕事をやって貰えるようにしたって、それだけさ。そういうことだから、あんたは俺に感謝する必要はないのさ」
隼人は何も言わず頭を下げ、兼田を見つめた。兼田は振り返ると、その顔を見て、微笑む。
「そう言やぁあんた、休暇だったよな。この先少し走った所で俺の古い知り合いが漁師をやってる。この辺は夏でも牡蠣がうまいんだ。行くか?」
「まだ夜中だよ、兼田さん」
「バッカだな、漁師の朝は早いぜ。着く頃には漁に出る頃合いさ」
兼田は歩き出すと、隼人の肩を抱く様にして耳元に囁いた。
「この辺りは、朝焼けも奇麗だぜ」
「……ありがとう、兼田さん」
※読者の方へ
このお話は後二章で幕を閉じます。
作者は作品の終了直後にモノを言って余韻を壊すのが好きではありません。
そこで異例ではありますが、終盤に向かうここでごあいさつ致します。
この作品は元々「空想科学祭2008」用に書き下ろされたもので、残してある旧作をお読み頂ければ分かるように、作者の拙作「RE;BIRTH」のスピンオフ扱いで提出致しました。
このため、「登場人物の関係が全く分からない」「説明不足で設定が分かり辛い」「本編作品への誘導が強過ぎて興醒め」などのご批評が相次ぎました。
作者もそれは晒してしまってから後悔している点ですが、企画作品ですから中々手を付けられずここまで来ました。
しかし、この数ヶ月ほどの間ではこの旧作が私の作品の中では一番読まれていることに気付き、何とかこの作品だけで世界観とお話が完結するようにしたいと言う欲求が湧いて、こうして恥を覚悟でリライトした次第です。
その様に書けたのかどうか、自信はありません。どうも私は自分の世界観に浸ってしまう悪い癖がありますから、また小田中がマスターベーションをしていると思われる方もいるでしょう(失礼!)。そういう方にはお見苦しいものをお見せして申し訳ありませんでした、と申します。
でも、僅かでもこのお話に好感を持って頂けた方がいらっしゃいましたら、私はとても幸福だと申し上げます。
自分が今風でないものを書いている自覚は十分にあります。折角だからもっと軽いものを、と仰って下さる方もいらっしゃいますが、私はどうもこういうものしか書けないようです。こんな作者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
改めまして。
お付き合い頂き誠にありがとうございます。後少々、付き合ってやって下さい。
本当にありがとうございました。
小田中