第三話 聞こえるということ——リリー
「うげっ!」
情けない声を上げて、ラズが地べたに倒れた。
「今日からここはウチらのシマだ」
宣言して、血の混じる唾を吐き捨てた。
「お、覚えてやがれー!」
ラズが手下に肩を担がれて逃げていく様を見ながら、
「クソカスが……」
イラつきを抑えるようにまた赤い唾を吐き捨てた。
女を殴るなんて本当に終わっている奴だ。
「リリー、口には気をつけて」
テルに眉をしかめられる。顔中キズだらけで物騒な刀を腰に差す男の言葉とは思えない。
ウチが強いのは、テルのお陰だ。戦う術は全てテルから教わった。十七年前。九歳の頃、十二歳上のテルと一緒にウチは監獄街に来た。
ウチが住んでいる南区は、主に物資の管理を担う場所だった。食材、資材、その他、ありとあらゆる物が集められ、軍と民間人のための市場になっていた。そして、この街がもともと王都として栄えていた頃の善良な市民と、稀人でありながら犯罪者という特殊な人間が集められた、監獄街で最も治安の悪いエリアでもある。
南区は二つの組織が睨みあっていた。ウチがこの街に来るずっとずっと前から南区を恐怖で支配していた、ママ・マリアが率いる「ディバロ」と、ラッキーが率いる、平和的に南区が運営されることを望む新興勢力の「幸福商会」だ。
ディバロと幸福商会には大きな違いがあった。ディバロは無能力の犯罪者たちが稀人のママ・マリアの下に集まっている組織。幸福商会は無能力のラッキーの下に稀人が集まっている組織だ。長い間、ディバロに支配されていた南区に風穴をあけたのが幸福商会であり、ラッキーだった。
ウチとテルは幸福商会のメンバーだ。
「ディバロの連中、往生際が悪いですね」
「あいつらはラッキーには敵わない」
鼻で笑って、得物の鉄パイプの血を拭う。
「飯でも食いにいくか」
「その前に、定例会合があります」
ウチの提案をあっさりと却下して、テルが言う。
残念。噂に聞いていた、西区にあるギョーザの美味い店に行ってみたかったのに。
諦めたウチはテルと一緒にアジトの打ち捨てられた廃ビルに顔を出した。
「リリー、遅かったな」
嫌いなゴリスケに舌打ちをして、汚いソファに腰を下ろした。いつものように、テルはウチの横で仰々しく立っている。
幸福商会のメンバーはたったの五人。ゴリスケとヒマリとウチとテルとラッキー。みんな能力者で、ラッキーを除く全員が集まっていた。
ゴリスケの能力は「硬化」、息を止めている間だけ体が鉄よりも固くなる能力。
ヒマリの能力は「転写」、手で触れた対象者の負傷を引き受ける能力。
テルの能力は「斬撃」、斬撃を飛ばすことができる能力。
ウチの能力は「弦聴」、稀人が分かる、それだけ。
ラ・ラ・ラ。
稀人を目の前にすると、歌声のようなものが聞こえてくる。人それぞれでリズムもメロディもちがうけど、とにかく分かる。
今日に至るまで「ラ・ラ・ラ」は何度となく聞いてきた。その中でひとつ気がついたことがある。稀人からはキレイな歌声が聞こえる。でもなぜか調弦官の歌声にはノイズがある。
ザ・ザ・ザ。
直感で分かる。あいつらは偽物だ。
「すまない、遅れてしまった」
いつものように静かな声でラッキーが現れた。
ウチらのボスは、とても穏やかな人だった。南区の住人からも慕われ、ラッキーも南区を愛していた。ディバロの連中のように力で支配するのではなく、お互いに支えあい、笑えあえるコミュニティを築くことを夢に生きている男。この人の下でなら、自分の能力を善きことのために使ってくれると信じて、ウチは幸福商会に入った。他のメンバーも思いは同じだ。
地獄から抜け出せないのなら、地獄を天国に変える。
「早速だが、ある依頼が来ている」
「依頼?」
偉そうに腕を組むゴリスケが訊く。
「黒いネズミ。聞いたことがあるか?」
黒いネズミ。数年前から軍や監獄街の支配層から盗みを働く、正体不明の泥棒だ。
「聞いたことはあります」
ラッキーへ、もはや信奉にちかい感情を待つヒマリが言う。
「今夜、西区の軍倉庫から物資を盗み出す計画があって、大量の物資だから足が要るらしい」
「危険すぎます。こちらの見返りは?」
テルがいつものように冷静に訊く。
「盗み出した物資の三割を譲るそうだ」
三割か。こっちはあくまでも運搬係。べつに本人たちで計画を遂行できるけれども、保険として入れておきたいってわけか。
ナメやがって。
「リリー、腹を立てるな」
ウチの気持ちを分かっているみたいにラッキーが微笑む。
「すべては南区のためだ」
すべては南区のため。
幸福商会のため、か。
「なら、ウチが行く」
ラッキーのためなら、なんでもしたい。
「待て待て待て。黒いネズミは役に立つ稀人がほしいってことだろ?」
ゴリスケがウチの覚悟にケチをつける。
「お前の能力は稀人が分かるってだけの能力だ。戦力にはならねえ」
「車の運転なら、ウチがいちばんだ。街の地図もぜんぶ頭に入っている」
「……じゃあ、ゴリスケとリリーに行ってもらおうか」
一瞬、耳を疑った。
「ラッキー、分かってるよな? ウチはゴリスケが——」
「——分かってるさ。僕はふたりとも好きだ。だから、ふたりに行ってほしい」
まっすぐなラッキーの視線に耐えきれずに、ウチは目を逸らした。
ラッキーに見つめられるのは、弱い。




