第一話 弱い力で生きるということ——ノラ
この街は檻の中にある。比喩ではなく、本当に。街は青空まで覆う鉄格子に覆われ、俺は細切れの空しか見たことがなかった。
監獄街——そう呼ばれるこの街は、灰色の空と絶望に囚われていた。鉄格子に覆われた街なんて、悪夢よりも最悪だ。
鉄格子を打ち鳴らす不快な金属音がボロ小屋の外から聞こえた。見回りの兵士が無遠慮に警棒で鉄格子を叩く音だ。俺たち監獄街の住人は、毎朝この音で起こされる。
今日もまた、ゆっくりと目を開いた。兵士が通り過ぎるのを待って起き上がり、身体を伸ばす。身体の節々が痛むが、なんとか動ける。
玄関ドアの下の隙間に紙が差し込まれている。痛む肩を擦りながら紙を引き抜くと、汚い文字で『洞穴食堂に集合』と業務連絡が書かれていた。
紙を丸めて床に放り投げ、洗面所へ向かい、寝ぼけた自分の顔を鏡で見る。少し疲れているだけの、どこにでもいる少年。伸ばしたままの髪を束ねて顔を洗い、家を出た。
濁る空気の中で賑わう路地を歩き、「洞穴食堂」に着くと、奥のテーブルに座るキッドが大げさに手を振った。遠くからでもコーンロウが目立つ、大柄な男だ。
「で、今回の獲物は?」
席につくなり聞くと、
「まずは腹ごしらえだ」
と、キッドは呑気に笑った。
「へい、お待ち」
店員のミケがタイミングよくテーブルにギョーザを置いた。
ミケは三年前に監獄街に移送された可哀そうな女の子だった。持ち込めた腕時計だけが家族との思い出のミケを哀れに思った俺は半年間、自分の家に住まわせたあとで、洞穴食堂の店主に引き取らせた。
キッドがギョーザを頬張って満足そうにうなずく。
「やっぱり、ミケが運んでくる料理は絶品だな」
キッドの言葉はお世辞じゃなかった。
この世界には、約一万人にひとり生まれる能力者——稀人がいる。ミケの能力は「調味」、皿越しに触れた料理の美味さを少しだけ引き上げる能力だ。こんなスラム街では重宝されるが、どうでもいい能力でもある。
ギョーザを頬張りながら、周りを見回してみる。
犯罪者、犯罪者、監獄街で生まれた監獄二世、指先からシャボン玉が出るだけの稀人、犯罪者、目覚まし時計が鳴る二十秒前に起きることができる稀人。
誰もが不幸そうな顔で飯を喰っている。
「マル、大丈夫か?」
相席中の、ピアスだらけの女、マルの能力は「加湿」、体から湿気を出すだけの能力だ。
「絶好調だよ」
と言って、湿気を出すだけのマルが席を立った。
「帰るのか?」
「仕事だよ」
不機嫌そうに店を出て行ったマルは、俺が知る限り、この街でいちばん弱い能力の稀人だ。
犯罪者と同じように稀人だとバレた人間もこの街に強制収容されている。どんなに弱い能力でも、稀人というだけでみんな監獄街に送られてくる。
他のヤツらに比べれば、俺の能力はだいぶマシなのもしれない。
俺はこの街で王政府軍を標的とした泥棒稼業をしている。キッドはその相棒だった。
「西側軍倉庫を狙う」
キッドがギョーザを頬張りながら言う。作戦を立てるのはキッドの役目で俺はこいつの駒に過ぎない。
「巡回が多いエリアじゃないのか?」
「だからこそ穴がある」
「エリアの調弦官の能力は分かっているのか?」
調弦官と呼ばれる軍人はみんな何らかの能力を持っている。強さに応じて、
下級、中級、上級に分かれているらしい。
「大丈夫だ。巡回ルートと時間の情報を買ったからな」
「情報を信じるのか?」
「いいか、ノラ。この街で価値のあるものは情報だ。嘘の情報を買わせた方は、噂が流れて信用を落としちまう。悪い奴ほど情報に嘘は吐かねえ」
ノラ——それが俺の呼び名だ。名前の由来は単純だ。キッドに拾われる前、俺は野良のガキだった。野良だから、ノラ。割と気に入っている呼び名だ。
「それに調弦官なんて敵じゃねえ。戦うことしか知らない連中はいくらでも出し抜ける」
この街を収める「獄長」と呼ばれる軍人は上級調弦官だった。街を丸々、鉄格子で覆ってしまえる能力は常識の範疇を超えている。それに比べて中級調弦官は強い能力とはいえ、つけいる隙があるのだと、キッドはいつも偉そうに言っている。
「俺の能力ありきで言っているんじゃねえか」
「お前の雑魚能力を活かしてやっている感謝は無えのか、稀人様よ」
「……稀人になんて生まれたくなかったよ」
俺の能力はふたつ。
ひとつ目は「身体強化」、48秒だけ身体機能を三倍に底上げできる能力。
ふたつ目は「微透視」だ。微かに透視ができる能力。
つまり、獲物の場所を特定し、盗んでさっさと逃げるだけの雑魚能力だ。おまけに身体強化の方は一日に三度までが限界で、無理して回数を増やすと、下手すりゃ、一週間は動けなくなる。文字どおり身に余る能力だ。
監獄街でのいちばん古い記憶はゴミ捨て場だった。目覚めたとき、ゴミに塗れた俺は記憶を失っていた。正確な年齢すら分からなかったが、恐らく七歳あたりだった俺は、ふたつの能力を駆使して監獄街を生き延びていた。キッドに拾われたのは一年後のことで、それから十年の付き合いだ。
無能力者ながら、キッドはこの街で最も強かに生きている男だ。なんの能力もないのに知略と機転と運だけで生き延びて来た男。
「20時半に西側軍倉庫前に集合だ」
爪楊枝で歯を掃除しながら、キッドが席を立つ。
昼のあいだ、監獄街に暮らす全ての住人は獄長の管理下に置かれている。獄長の目が届く時間帯、俺たちは労働に従事していなければいけない。
俺の仕事は修復作業員で、キッドの仕事は清掃員だ。監獄街はかつてこの国の首都だったが、五十年前に「最後の王」を名乗る男に政権を乗っ取られた際に捨てられた街だそうだ。
この街は東西南北にエリアが分けられていて、どのエリアもインフラが壊れかけている。建物、道路、上水、下水、ありとあらゆるものを修復するのが俺の仕事だった。はっきり言って応急処置だ。この街は確実に死に向かっている。
唯一の救いは、18時以降、獄長は眠りにつかなければいけないとうことだ。ひとつの街を鉄格子で覆うという強大な能力の代償として、獄長は日に十二時間の睡眠をとらないといけないそうだ。だから夜の間、俺たちは自由に動ける。穴を埋める三人の中級調弦官を出し抜けばいいからだ。
「今回はいつもより多く物資を盗む。幸福商会から助っ人を呼んだ」
「信頼できるのか?」
「物資を運ぶ足にするだけだ」
言って、キッドは油にまみれた唇をなめた。
「それに、軍は俺たちどころじゃねえだろう」
意味深に言って、キッドが笑う。
「確かに、泥棒より殺人鬼の方が重要だ」
西区には、ふたりの殺人鬼がいる。
ピアスマン——三年前から活動を始めた謎の殺人鬼。男ばかりが被害者。噂では、被害者は体中に無数の小さな穴をあけられて死んでいたらしい。
ドロウイング——ピアスマンと同じく、三年前から活動を始めた殺人鬼。こいつもまた男ばかりを狙っていて、被害者は水気のない場所で溺死していたそうだ。
監獄街もここ数年で物騒になってきたもんだ。お陰で俺たちは上手くやれてる。
殺人鬼に感謝しながら、俺はギョーザを口に入れた。
美味い。




