表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第1部 錆びついた翼と滑走路
8/10

第8話 氷の魔剣(フロスト・バイト)

いつも温かい応援、ありがとうございます。

灼熱のゴミ山の中で、そこだけ霜が降りている奇妙なパイプ。

ただの物理現象が、レオには「魔法」に見える瞬間を描きました。

シューッ……。


鋭い音を立てて噴き出すガスが、真夏の空気に触れて白い霧になる。

僕はそのパイプに張り付いた氷の結晶を、指でそっと撫でた。


「……冷たい」


幻覚じゃない。指先の感覚が麻痺するほどの、本物の冷気だ。

汗ばんだ肌に、その冷たさは痛いほど鮮烈だった。

だが、意味が分からない。僕の知っている機械の常識と矛盾している。

このパイプの中を通っているのは、ただの高圧ガスだ。ガス自体が冷たいわけじゃない。


親父の手伝いでタイヤに空気を入れた時、ポンプのシリンダーがチンチンに熱くなったのを覚えている。空気ってのは、ギュウギュウに押し縮めると熱を持って怒るもんだ。

なのに、こいつは逆だ。

亀裂から飛び出した瞬間、熱くなるどころか、周囲の熱を奪って凍りついている。


「……どうなってんだ?」


僕の頭じゃ処理しきれない。

でも、ここには確かに「熱を冷ます答え」がある気がする。

理屈は分からない。だが、職人としての直感が、警鐘を鳴らすように叫んでいる。


――これだ。この現象こそが、僕たちのエンジンを救う鍵だ。


鼓動が早くなる。


じっとしていられない。この冷たいパイプを引っこ抜いて持ち帰るだけじゃダメだ。この「理屈」を理解し、再現できなければ、あの暴れ馬エンジンを御すことはできない。

この謎を解ける奴は、世界に一人しかいない。


「カイルだ」


***


王立アカデミーの正門前。

煉瓦造りの重厚な校舎から、午後の授業を終えた学生たちが吐き出されてくる。

仕立ての良い制服、革靴の音、知的な会話。

そこは、オイルと鉄錆の匂いが染み付いた僕には、あまりにも場違いな世界だった。

泥だらけの作業着、ボサボサの髪、肩に担いだ工具袋。

通り過ぎる学生たちが、露骨に顔をしかめて道を空ける。


「なんだあれ」「野蛮人が迷い込んできたぞ」というひそひそ話が聞こえるが、知ったことか。

僕の目は、群衆の中からたった一人、猫背で歩く白衣の少年を探していた。


「……いた」


人混みの端を、分厚い本を抱えて一人で歩く姿。

周囲の喧騒を拒絶するように視線を落とし、ブツブツと何かを呟いている。

間違いない。

僕は大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。


「おーい! カイル!!」


その声は、静かなアカデミーの前庭によく響いた。

学生たちが一斉に振り返る。そして、名前を呼ばれた少年――カイルが、ビクリと肩を震わせて顔を上げた。

僕と目が合う。

瞬間、彼の顔が「げっ」と歪んだ。


「……嘘だろ」


カイルはあからさまに嫌な顔をして、回れ右をした。

逃げる気だ。他人のフリをして、関わり合いになりたくないという意思表示だ。

だが、逃がすか。

今の僕は、砂漠で水を見つけた遭難者みたいに必死なんだ。


「待てコラァッ!!」


僕は人混みを強引にかき分け、カイルの背中に飛びついた。

襟首をガシッと掴む。


「うわっ!? 放せ、放せよレオ! 公衆の面前で恥ずかしいだろ!」

「恥ずかしいとか言ってる場合か! いいから来い!」

「嫌だ! 僕は帰って計算をやり直すんだ! 君のエンジンに合う冷却ファンの配置をシミュレーションしなきゃならないんだ!」


カイルが必死に抵抗する。

彼なりに、昨夜の失敗を挽回しようと考えてくれていたらしい。

だが、そんな小手先の計算じゃ間に合わない。


「そんなもん後回しだ! もっとすげえもん見つけたんだよ! 計算機なんか捨てて、俺の目を見ろ!」

「君の言う『すげえもん』でろくな目に遭ったことがない! どうせまたガラクタだろ!?」

「ガラクタじゃねえ! 『魔法』だ!」

「はあ!? ついに頭が沸いたか!」


ギャーギャーと騒ぐ僕たちを、学生たちが遠巻きに見ている。

だが、カイルの抵抗は、僕が強く引くと意外なほどあっさり弱まった。

彼は僕の手を振りほどこうとしながら、チラリと僕の顔を見た。

そこには、呆れと迷惑の中に、ほんの数パーセントだけ混じった「期待」の色があった。

こいつは学者だ。

未知のもの、解明されていない現象が大好物だ。

僕がこれだけ興奮している理由が気になって仕方がないのだ。


「……本当に、ただのガラクタじゃないんだな?」

「当たり前だ。俺がいつ、お前に嘘をついた?」

「しょっちゅうだ!」


カイルは悪態をつきながらも、ため息をついて肩の力を抜いた。


「……分かった、行くよ。ただし、もしくだらない物だったら、君のエンジンの設計図を全部書き直してやるからな」

「上等だ! 腰抜かす準備しとけよ!」

僕はニカッと笑い、観念したカイルの腕を引いて走り出した。


***


三十分後。

僕たちは街の最下層、スクラップ・ヤードの奥地を歩いていた。


「……臭い。汚い。暑い。最悪だ」


カイルはハンカチで鼻を覆い、新品の革靴が油で汚れるのを極端に気にしながら、不平不満を垂れ流していた。

アカデミーの清潔な空気とは真逆の世界。

腐ったオイルと、焼けた鉄の匂いが充満する鉄の墓場。


「信じられない。なんで僕がこんなゴミ溜めを歩かなきゃならないんだ。ここの空気中の有害物質濃度は基準値の十倍だぞ」

「文句ばっかり言ってると舌かむぞ。……ほら、着いた」


僕は立ち止まり、例の場所を指差した。

陽炎(かげろう)揺らめく灼熱地獄の中で、そこだけ時間が止まったように白く煙る、奇妙な空間。


「……なんだ、あれは」


カイルの文句がピタリと止まった。

学者の目が、研究対象を見つけた猛禽(もうきん)類のように鋭く細められる。

彼はもう、革靴の汚れなんて気にしていなかった。

吸い寄せられるように駆け寄り、パイプから噴き出すガスに手をかざす。


「……ガス漏れか。中の残圧が解放されているんだな。見ろ、急激な気圧差で空気中の水分が凝固している」


カイルが呟く。その声は、冷静な分析の中に隠しきれない興奮を帯びていた。


「なぁカイル、なんでだ? 空気は圧縮すると熱くなるんだろ? なんでこいつは冷たいんだ?」


僕が聞くと、カイルはパイプの霜を指先でなぞりながら、ニヤリと笑った。

さっきまでの不機嫌さが嘘のような、少年らしい悪戯な笑みだ。


「レオ。お前、狭い地下室に野郎百人でギュウギュウ詰めにされたらどう思う?」

「はあ? イライラして熱くなるな。汗臭くて最悪だ」

「そうだ。それが『圧縮』だ。エネルギーが行き場を失って熱に変わる。……じゃあ、そのドアがいきなり開いて、外へ飛び出せるとしたら?」

「そりゃあ……全力でダッシュして逃げ出すな」


カイルはパチンと指を鳴らした。


「それだよ。空気の粒も同じだ。狭いところから広いところへ、全力で逃げ出そうとする。その時、空気は自分の持っている熱エネルギーを『走る力(運動エネルギー)』に変えて使い果たしちまうんだ」

「……熱を、使う?」

「そう。全力疾走した後は、汗が引いて体が冷えるだろ? こいつは勢いよく飛び出した分だけ、熱を失ってキンキンに冷えてるんだ。……『断熱膨張』ってやつさ」


ストンと腑に落ちた。

なるほど。空気をいじめて、怒らせて、最後に一気に解放してやる。そうすると空気は熱を捨てて冷たくなる。

なんて単純で、乱暴で、美しい理屈だ。


「……カイル。これ、俺たちのエンジンでできないか?」


僕の問いに、カイルがハッとして僕を見る。

その瞳に、狂気じみた光が宿るのが見えた。

彼もまた、計算式の中で、僕と同じ結論に達したのだ。


「……なるほど。エンジンのピストンで空気を限界まで圧縮し、それを……」

「この亀裂みたいに狭い穴から、一気に噴き出させるんだ!」


僕たちは顔を見合わせた。


できる。


エンジンは熱を吐く機械じゃない。やり方次第で、氷の息吹を吐く機械に化けるんだ。

カイルが、興奮で早口になりながらまくし立てる。


「理論上は可能だ! だがレオ、それには強靭な『心臓』が必要だぞ!」

「心臓?」

「ただのパイプじゃ破裂する! エンジンの全力の圧力に耐え、空気を極限まで圧縮して送り出す、バカみたいに頑丈で精密な『冷却コンプレッサー』が必要だ! ……そんな都合のいい部品が、ここに落ちているわけが……」


カイルが周囲を見回し、そして首を振る。

そんなハイテクな部品は、一般の廃棄物には混じっていない。

だが、僕はニヤリと笑って、陽炎の向こうを指差した。


「あるぜ」


ここに来る途中、目をつけていた「巨体」がある。

普通の機械じゃない。化け物じみた出力を制御するために作られた、鋼鉄の獣。


「あいつの心臓なら、うってつけだ」


僕の視線の先。

鉄屑の山の頂上付近に、赤錆びた巨大な影が突き刺さっていた。

かつての大戦で地上を支配した鉄の怪物。


「……蒸気戦車『ティーガー』か。懐かしい殺戮兵器だな」


カイルが眼鏡の位置を直しながら、呆れたように、しかし楽しげに呟く。


「主砲塔の装甲厚は150ミリ。当時の技術の結晶だ。……確かに、あいつのメインエンジンには、超高圧蒸気を冷やすためのバカでかいコンプレッサーが付いてるはずだ」

「その体内に眠る部品なら、俺たちのエンジンの暴力を受け止められるはずだろ?」


カイルは深いため息をつき、それから不敵に笑った。


「野蛮な発想だ。……だが、嫌いじゃない」


僕たちは頷き合い、鉄屑の山を登り始めた。

目指すは山の頂。

デカい獲物を狩る時間だ。

お読みいただき、ありがとうございます!

「断熱膨張」。理屈はともかく、これで熱暴走を止められるかもしれません。

ですが、それを手に入れるには……?

次回、レオの泥臭いアクション回です。

明日もまた、楽しんでいただけますように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ