第8話 氷の魔剣(フロスト・バイト)
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灼熱のゴミ山の中で、そこだけ霜が降りている奇妙なパイプ。
ただの物理現象が、レオには「魔法」に見える瞬間を描きました。
シューッ……。
鋭い音を立てて噴き出すガスが、真夏の空気に触れて白い霧になる。
僕はそのパイプに張り付いた氷の結晶を、指でそっと撫でた。
「……冷たい」
幻覚じゃない。指先の感覚が麻痺するほどの、本物の冷気だ。
汗ばんだ肌に、その冷たさは痛いほど鮮烈だった。
だが、意味が分からない。僕の知っている機械の常識と矛盾している。
このパイプの中を通っているのは、ただの高圧ガスだ。ガス自体が冷たいわけじゃない。
親父の手伝いでタイヤに空気を入れた時、ポンプのシリンダーがチンチンに熱くなったのを覚えている。空気ってのは、ギュウギュウに押し縮めると熱を持って怒るもんだ。
なのに、こいつは逆だ。
亀裂から飛び出した瞬間、熱くなるどころか、周囲の熱を奪って凍りついている。
「……どうなってんだ?」
僕の頭じゃ処理しきれない。
でも、ここには確かに「熱を冷ます答え」がある気がする。
理屈は分からない。だが、職人としての直感が、警鐘を鳴らすように叫んでいる。
――これだ。この現象こそが、僕たちのエンジンを救う鍵だ。
鼓動が早くなる。
じっとしていられない。この冷たいパイプを引っこ抜いて持ち帰るだけじゃダメだ。この「理屈」を理解し、再現できなければ、あの暴れ馬エンジンを御すことはできない。
この謎を解ける奴は、世界に一人しかいない。
「カイルだ」
***
王立アカデミーの正門前。
煉瓦造りの重厚な校舎から、午後の授業を終えた学生たちが吐き出されてくる。
仕立ての良い制服、革靴の音、知的な会話。
そこは、オイルと鉄錆の匂いが染み付いた僕には、あまりにも場違いな世界だった。
泥だらけの作業着、ボサボサの髪、肩に担いだ工具袋。
通り過ぎる学生たちが、露骨に顔をしかめて道を空ける。
「なんだあれ」「野蛮人が迷い込んできたぞ」というひそひそ話が聞こえるが、知ったことか。
僕の目は、群衆の中からたった一人、猫背で歩く白衣の少年を探していた。
「……いた」
人混みの端を、分厚い本を抱えて一人で歩く姿。
周囲の喧騒を拒絶するように視線を落とし、ブツブツと何かを呟いている。
間違いない。
僕は大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。
「おーい! カイル!!」
その声は、静かなアカデミーの前庭によく響いた。
学生たちが一斉に振り返る。そして、名前を呼ばれた少年――カイルが、ビクリと肩を震わせて顔を上げた。
僕と目が合う。
瞬間、彼の顔が「げっ」と歪んだ。
「……嘘だろ」
カイルはあからさまに嫌な顔をして、回れ右をした。
逃げる気だ。他人のフリをして、関わり合いになりたくないという意思表示だ。
だが、逃がすか。
今の僕は、砂漠で水を見つけた遭難者みたいに必死なんだ。
「待てコラァッ!!」
僕は人混みを強引にかき分け、カイルの背中に飛びついた。
襟首をガシッと掴む。
「うわっ!? 放せ、放せよレオ! 公衆の面前で恥ずかしいだろ!」
「恥ずかしいとか言ってる場合か! いいから来い!」
「嫌だ! 僕は帰って計算をやり直すんだ! 君のエンジンに合う冷却ファンの配置をシミュレーションしなきゃならないんだ!」
カイルが必死に抵抗する。
彼なりに、昨夜の失敗を挽回しようと考えてくれていたらしい。
だが、そんな小手先の計算じゃ間に合わない。
「そんなもん後回しだ! もっとすげえもん見つけたんだよ! 計算機なんか捨てて、俺の目を見ろ!」
「君の言う『すげえもん』でろくな目に遭ったことがない! どうせまたガラクタだろ!?」
「ガラクタじゃねえ! 『魔法』だ!」
「はあ!? ついに頭が沸いたか!」
ギャーギャーと騒ぐ僕たちを、学生たちが遠巻きに見ている。
だが、カイルの抵抗は、僕が強く引くと意外なほどあっさり弱まった。
彼は僕の手を振りほどこうとしながら、チラリと僕の顔を見た。
そこには、呆れと迷惑の中に、ほんの数パーセントだけ混じった「期待」の色があった。
こいつは学者だ。
未知のもの、解明されていない現象が大好物だ。
僕がこれだけ興奮している理由が気になって仕方がないのだ。
「……本当に、ただのガラクタじゃないんだな?」
「当たり前だ。俺がいつ、お前に嘘をついた?」
「しょっちゅうだ!」
カイルは悪態をつきながらも、ため息をついて肩の力を抜いた。
「……分かった、行くよ。ただし、もしくだらない物だったら、君のエンジンの設計図を全部書き直してやるからな」
「上等だ! 腰抜かす準備しとけよ!」
僕はニカッと笑い、観念したカイルの腕を引いて走り出した。
***
三十分後。
僕たちは街の最下層、スクラップ・ヤードの奥地を歩いていた。
「……臭い。汚い。暑い。最悪だ」
カイルはハンカチで鼻を覆い、新品の革靴が油で汚れるのを極端に気にしながら、不平不満を垂れ流していた。
アカデミーの清潔な空気とは真逆の世界。
腐ったオイルと、焼けた鉄の匂いが充満する鉄の墓場。
「信じられない。なんで僕がこんなゴミ溜めを歩かなきゃならないんだ。ここの空気中の有害物質濃度は基準値の十倍だぞ」
「文句ばっかり言ってると舌かむぞ。……ほら、着いた」
僕は立ち止まり、例の場所を指差した。
陽炎揺らめく灼熱地獄の中で、そこだけ時間が止まったように白く煙る、奇妙な空間。
「……なんだ、あれは」
カイルの文句がピタリと止まった。
学者の目が、研究対象を見つけた猛禽類のように鋭く細められる。
彼はもう、革靴の汚れなんて気にしていなかった。
吸い寄せられるように駆け寄り、パイプから噴き出すガスに手をかざす。
「……ガス漏れか。中の残圧が解放されているんだな。見ろ、急激な気圧差で空気中の水分が凝固している」
カイルが呟く。その声は、冷静な分析の中に隠しきれない興奮を帯びていた。
「なぁカイル、なんでだ? 空気は圧縮すると熱くなるんだろ? なんでこいつは冷たいんだ?」
僕が聞くと、カイルはパイプの霜を指先でなぞりながら、ニヤリと笑った。
さっきまでの不機嫌さが嘘のような、少年らしい悪戯な笑みだ。
「レオ。お前、狭い地下室に野郎百人でギュウギュウ詰めにされたらどう思う?」
「はあ? イライラして熱くなるな。汗臭くて最悪だ」
「そうだ。それが『圧縮』だ。エネルギーが行き場を失って熱に変わる。……じゃあ、そのドアがいきなり開いて、外へ飛び出せるとしたら?」
「そりゃあ……全力でダッシュして逃げ出すな」
カイルはパチンと指を鳴らした。
「それだよ。空気の粒も同じだ。狭いところから広いところへ、全力で逃げ出そうとする。その時、空気は自分の持っている熱エネルギーを『走る力』に変えて使い果たしちまうんだ」
「……熱を、使う?」
「そう。全力疾走した後は、汗が引いて体が冷えるだろ? こいつは勢いよく飛び出した分だけ、熱を失ってキンキンに冷えてるんだ。……『断熱膨張』ってやつさ」
ストンと腑に落ちた。
なるほど。空気をいじめて、怒らせて、最後に一気に解放してやる。そうすると空気は熱を捨てて冷たくなる。
なんて単純で、乱暴で、美しい理屈だ。
「……カイル。これ、俺たちのエンジンでできないか?」
僕の問いに、カイルがハッとして僕を見る。
その瞳に、狂気じみた光が宿るのが見えた。
彼もまた、計算式の中で、僕と同じ結論に達したのだ。
「……なるほど。エンジンのピストンで空気を限界まで圧縮し、それを……」
「この亀裂みたいに狭い穴から、一気に噴き出させるんだ!」
僕たちは顔を見合わせた。
できる。
エンジンは熱を吐く機械じゃない。やり方次第で、氷の息吹を吐く機械に化けるんだ。
カイルが、興奮で早口になりながらまくし立てる。
「理論上は可能だ! だがレオ、それには強靭な『心臓』が必要だぞ!」
「心臓?」
「ただのパイプじゃ破裂する! エンジンの全力の圧力に耐え、空気を極限まで圧縮して送り出す、バカみたいに頑丈で精密な『冷却コンプレッサー』が必要だ! ……そんな都合のいい部品が、ここに落ちているわけが……」
カイルが周囲を見回し、そして首を振る。
そんなハイテクな部品は、一般の廃棄物には混じっていない。
だが、僕はニヤリと笑って、陽炎の向こうを指差した。
「あるぜ」
ここに来る途中、目をつけていた「巨体」がある。
普通の機械じゃない。化け物じみた出力を制御するために作られた、鋼鉄の獣。
「あいつの心臓なら、うってつけだ」
僕の視線の先。
鉄屑の山の頂上付近に、赤錆びた巨大な影が突き刺さっていた。
かつての大戦で地上を支配した鉄の怪物。
「……蒸気戦車『ティーガー』か。懐かしい殺戮兵器だな」
カイルが眼鏡の位置を直しながら、呆れたように、しかし楽しげに呟く。
「主砲塔の装甲厚は150ミリ。当時の技術の結晶だ。……確かに、あいつのメインエンジンには、超高圧蒸気を冷やすためのバカでかいコンプレッサーが付いてるはずだ」
「その体内に眠る部品なら、俺たちのエンジンの暴力を受け止められるはずだろ?」
カイルは深いため息をつき、それから不敵に笑った。
「野蛮な発想だ。……だが、嫌いじゃない」
僕たちは頷き合い、鉄屑の山を登り始めた。
目指すは山の頂。
デカい獲物を狩る時間だ。
お読みいただき、ありがとうございます!
「断熱膨張」。理屈はともかく、これで熱暴走を止められるかもしれません。
ですが、それを手に入れるには……?
次回、レオの泥臭いアクション回です。
明日もまた、楽しんでいただけますように。




