第48話 雲海の墓場
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絶望の海へ漕ぎ出してから五日目。ついに水と燃料が底を突き、デッドラインまで「残り6時間」となります。
絶望の中で彼らが見つけた巨大な影の正体とは……。
絶望の海へ漕ぎ出してから、五日目の昼。
コンコン、と乾いた音が船内に響いた。
リゼが木製の水樽を指の関節で叩く音だ。これまでなら「ちゃぷん」という重たい水音が返ってきていたはずの樽は、今や空虚な音を返すだけになっている。
「……飲み水、あと水筒三本分。エタノールの予備タンクも、ついに最後の一個のバルブを開けたわ」
リゼの声はひどく掠れていた。喉の渇きだけでなく、じわじわと迫り来る死のタイムリミットが、彼女の生気を奪っている。
「カイル、今のペースで飛んだら、エンジンはあとどれくらい持つの?」
「……持って、六時間。それがキメラ・ドライブが完全に沈黙するデッドラインだ」
計器板に突っ伏すようにして軌道計算を続けていたカイルが、血走った目で答えた。
「そこからは雲海に向かって真っ逆さまに落ちる。奇跡が起きて海面に不時着できたとしても、水も食料もないこの場所じゃ、どのみち数日で全滅だ」
六時間。
それが、僕たち四人の命の残り時間だった。
トラクターエンジンは相変わらず不機嫌な爆音を轟かせているが、燃料の供給が不安定になっているせいか、時折「ゴハッ、カハッ」と不吉な咳き込みを混ぜるようになってきている。
「まだだ。まだ六時間『も』ある」
僕はひび割れた唇を舐め、重たい操縦桿を握り直した。
「シェリル、観測データはどうだ。何か、変わったことはないか?」
「…………」
助手席のシェリルは、窓にへばりつくようにしてアストロラーベを覗き込んでいたが、やがてその手がピタリと止まった。
「……あるわ」
シェリルの声が、微かに上ずった。
「前方の星の瞬きに、はっきりとした重力レンズの『歪み』が出てる。……かなり大きいわ。この空域の基準値から大きく外れた、局地的な質量の密集地帯よ!」
「質量の、密集地帯……?」
カイルが弾かれたように顔を上げ、計算尺を手に取った。
「距離は!? おおよその体積はわかるか!?」
「距離はここから仰角二度、真っ直ぐ東へ約五十キロ! 体積は……小山一つ分くらい! 間違いないわ、そこに『何か』がある!」
「島だ……いや、もしかして……!」
リゼが、空の水樽を蹴り飛ばして立ち上がった。
「私たちが探してる『伝説の都』なんじゃないの!? 浮遊島が折り重なってるっていう、水も食料も技術も全部ある夢の国よ!」
「よっしゃあ! ついに見つけたんだな!」
僕は歓喜の声を上げ、操縦席で力強く拳を突き上げた。
「いや、待て。冷静になれ二人とも」
カイルが計算尺を握りしめながら、血走った目で首を振る。
「カッシーニの計算通りなら、まだ距離が全然足りないはずだ。それに『小山一つ分』なんて、一つの国としては規模が小さすぎる」
「そうね……伝説の都は『浮遊島が幾重にも重なる』って言われているもの。でも……もしかしたら、その入り口か、外れの島なのかもしれないわ」
シェリルもアストロラーベを抱え直し、震える声で言った。
理論上はあり得ない。カイルもシェリルも、頭ではそう理解していた。だが、極限の渇きと疲労が、彼らの頭脳に「もしかしたら」という強烈な期待を抱かせてしまっていた。
「ああっ、くそっ、もう何でもいい!」
カイルが計算尺を放り投げ、祈るように窓枠にしがみついた。
「ただの無人島でも、伝説の都でもいい! 頼むから、そこに水があってくれ……!」
「行くぞお前ら! あと五十キロなら、一時間もかからずに着く! 伝説の都だろうが何だろうが、一番乗りして腹一杯、水を飲もうぜ!」
「ええ! 絶対に行くわよ!」
リゼが帳簿を放り投げ、前方の見えない雲海の奥を睨みつける。
ドバォォォォォン!!
アルバトロス号は最後の力を振り絞るように推力を上げ、一直線に東を目指した。
やがて、前方の視界を覆っていた単調な白い雲海の奥に、うっすらと巨大な「黒い影」が浮かび上がってきた。
雲の霧に包まれてはっきりと形は見えないが、それは間違いなく、虚空にぽつんと浮かぶ小山のような質量だった。
「見えた……! あそこよ!」
シェリルが身を乗り出して指差す。
僕たちは歓喜に沸き立ち、その「黒い影」に向かって一気に船を突っ込ませた。
分厚い霧の層を、巨大なプロペラが切り裂く。
バラバラバラッ、と機体にまとわりつく水滴を弾き飛ばし、アルバトロス号はついにその『島』の全貌を捉えた。
「――え?」
最初に声を漏らしたのは、リゼだった。
歓喜に満ちていた彼女の顔から、スッと血の気が引いていく。
僕も、カイルも、シェリルも。目の前に現れたその光景に、言葉を失い、ただ呆然と目を見開くことしかできなかった。
それは、大地ではなかった。
緑の木々も、岩肌も、清らかな滝も、そこには一切存在しなかった。
そこにあったのは、金属の山だ。
「なんだ、これ……」
僕の喉から、ひゅっと乾いた音が漏れた。
赤茶けたジュラルミンの骨組み。引き裂かれた無数の気嚢の残骸。ひしゃげたプロペラ。苔と錆に覆われた巨大な蒸気機関。
何十、いや何百隻という数の「難破した飛行船」が、巨大な蜘蛛の巣に捕まった虫のように、互いに複雑に絡み合い、ひしゃげ、一つの巨大な「塊」を形成していたのだ。
大小様々な時代の飛行船の残骸が、無秩序に折り重なり、まるで空中に浮かぶ不気味な要塞――あるいは、巨大な墓標のようにそびえ立っている。
生命の匂いは一切しない。あるのは、濃密な死の気配と、強烈な鉄錆の匂いだけだった。
「……磁場の、吹き溜まりだ」
カイルが、震える声で呟いた。
「この空域に横たわる強烈な磁気嵐と、浮遊石の重力異常。……それらが複雑に絡み合った結果、特殊な『引力』の網ができているんだ。ここは、過去にこの海を越えようとして力尽きた船や、磁気嵐に迷い込んだ船の金属部品を、無差別に引き寄せる『鉄の墓場』なんだ……!」
カイルの絶望的な解説が、船内に重く響く。
希望の大地だと思って死に物狂いで辿り着いた場所は、僕たちと同じように外の世界を目指し、そして夢半ばで散っていった先人たちの、無惨な死骸の山だった。
「いやぁぁっ……!」
リゼが、耐えきれずに耳を塞いで座り込んだ。
「水がない……! こんな鉄屑の山じゃ、水も燃料も手に入らないじゃない! 嘘よ、私たちはこんな場所で、あいつらと同じように干からびて死ぬの!?」
気丈なマネージャーの心が、残酷な視覚的絶望の前にへし折れかけていた。
ガガガガガッ!
その時、アルバトロス号の船体が不自然に揺れ、計器板の金属フレームがバチバチと静電気を放ち始めた。
「くそっ、この船も磁場に引っ張られてる!」
僕は慌てて操縦桿を反対側に倒したが、目に見えない巨大な手に掴まれたように、船はゆっくりと、だが確実に廃船の山へと引き寄せられていく。
エンジン出力はすでに限界に近い。無理に逆らえば、ここで燃料が尽きる。
「レオ! 引き返して! あんな所に吸い込まれたら、私たちも二度と出られなくなる!」
リゼが涙目で叫ぶ。
「無理だ! 振り切るだけの燃料がねえ!」
僕はギリッと奥歯を噛み締め、スロットルレバーを逆に「絞った」。
「レオ!?」
「覚悟を決めろ! あそこに降ろす!」
「正気!? あんな死体だらけのゴミ山に!?」
「水がねえなら、あいつらが残した水筒を漁るしかねえだろ!」
僕は強引に舵を切り、難破船の山の中で、比較的平坦に絡み合っている巨大なガレオン船の甲板跡へと機首を向けた。
「アンカー用意! ぶつかるぞ!!」
ギギギギギィィィッ!!
アルバトロス号のジュラルミン製の船底が、錆びついた他船の残骸と激しくこすれ合い、鼓膜を破るような金属音と火花を散らす。
「アンカー射出!」
リゼが半ばヤケクソでレバーを引くと、四本の鋼鉄製アンカーが廃船の隙間に深く食い込み、機体を強引に縫い留めた。
……プスッ、ゴスッ。
やがて、限界だったトラクターエンジンが力尽きたように停止し、プロペラがゆっくりと回転を止めた。
再び訪れた、絶対的な静寂。
だが、カッシーニの観測所で感じた神聖な無音とは違う。
これは、何百という「死んだ船」たちが発する、ねっとりとした呪いのような静けさだった。
「……着いたぜ。最悪のオアシスにな」
僕は操縦席の窓枠に手をつき、荒い息を吐きながら、目の前に広がる鉄屑の墓標を見上げた。
ギィ……、ギィ……と、風に揺れる残骸の軋み音だけが、僕たちを歓迎するように不気味に鳴り響いていた。
読みいただき、ありがとうございます!
伝説の都だと思って飛び込んだ先は、先人たちの船が絡み合う「鉄の墓場」でした。
見渡す限りの白と青の空間で、突如現れる異様な鉄屑の山のビジュアル、想像していただけたでしょうか。
生き延びるため、恐怖を押し殺して死の山へ不時着するレオたち。
明日、この絶望の墓場で決死のサバイバルが始まります!




