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空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第3部 地図のない海と嵐の壁
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第46話 狂う羅針盤と見えない道

連日のご訪問、本当にありがとうございます!

見渡す限りの青と白の世界。景色が変わらない空間で、唯一の頼りだった「コンパス」が死に絶えます。

空間失調の恐怖の中、彼らはどう進むのか……。

絶望の海へ飛び出してから、数時間が経過していた。

トラクターエンジンが上げる単調な爆音と、機体を揺らす激しい振動。それ以外、世界には何の変化もなかった。

上半分は突き抜けるような群青の空。下半分は果てしなく続く純白の雲海。

太陽が少しずつ西へ傾いていることで、辛うじて時間が進んでいることだけがわかる。目印になる島も、雲の切れ間も一切ない。

まるで、巨大な青と白の絵の具で塗りつぶされた密室に閉じ込められ、アルバトロス号だけが空中に縫い付けられて静止しているかのような、強烈な錯覚に陥る。


「……気持ち悪い」


操縦桿を握る僕の手のひらには、じっとりと冷や汗が滲んでいた。


「なあ、俺たち、本当に前に進んでるのか? それとも、風に流されて後ろに下がってるんじゃないのか?」


景色が全く変わらないせいで、自分のスピード感覚はおろか、機体が水平に飛んでいるのかすら怪しくなってくる。三半規管が狂い始め、胃の奥がムカムカと波打っていた。


「高度と速度は維持できてる。気圧高度計は安定しているし、エンジンの回転数も正常だ。……だが」


計器板を睨んでいたカイルの声が、不意に硬直した。


「おい、レオ……コンパスを見てみろ」

カイルの切羽詰まった声に、僕はメインコンソールに視線を落とした。


そして、息を呑んだ。


操縦席の真ん中に固定してある、親父の形見の真鍮製コンパス。その羅針盤の針が、まるで意思を持った虫のように、ブルブルと震えながら右へ左へと狂ったように回転し始めていたのだ。


「コンパスが……死んだ」

リゼが後部座席から身を乗り出し、青ざめた顔で呟いた。


「磁場の歪みだわ。カッシーニの手帳にあった通り、私たちは今、強力な磁気嵐の領域に入ったのよ」

シェリルの言葉に、船内の空気が一気に凍りついた。


高度計は正常。燃料計も、確実に残量が減っていることを示している。僕たちの船は間違いなく飛んでいる。

だが、「どこへ向かって」飛んでいるのかが、完全に分からなくなったのだ。

それは、目隠しをされた状態で、何もない平原を全力疾走しろと言われているに等しい。


僕たちは今、どの方角に向かって飛んでいるのか?

まっすぐ進んでいるつもりでも、実は同じ場所を大きく旋回しているだけではないのか?

ずっと同じ視界が続くこの空間では、それを確かめる術が何一つないのだ。


「くそっ……! これじゃ航法計算が成り立たない!」

カイルが自分の髪を掻き毟り、計器板のガラスをドンッと叩いた。


「機体の正確な『向き』と風に流される『偏流角』が分からなければ、現在地を割り出すことすらできない! 僕の頭の中の地図は、今完全に白紙になった!」


「燃料は確実に減ってるわ! このまま当てずっぽうに飛んでたら、いつか限界が来て……私たちはあの雲の底に落ちる!」

リゼも帳簿を抱え込み、恐怖で声を震わせた。


理論の拠り所(方角)を奪われたカイルと、確実に迫り来る現実(燃料切れ)に追い詰められるリゼ。

そして、どこへ向かって操縦桿を倒せばいいのかわからない僕。

ずっと変わらない青と白の景色が、まるで巨大な牢獄のように感じられ、見えない恐怖が真綿で首を絞めるように四人の冷静さを奪っていく。


何もできない。


人間の作り出したちっぽけな機械など、この巨大な空という怪物の中では、あまりにも無力だった。


「――二人とも、落ち着いて」

パニックに陥りかけた船内に、シェリルの静かで、しかし凛とした声が響いた。


彼女は狂い回るコンパスには目もくれず、窓を少しだけ開け、凍りつくような冷風を直接肌に受けていた。

その手には、カッシーニの凍てついた手帳と、真鍮のアストロラーベが握られている。


「羅針盤が狂うのは想定内よ。私たちは、そのためにここへ来たんでしょ」


シェリルは風の強さと匂いを嗅ぎ取り、次に、群青色の空の奥をジッと見つめた。

太陽の光に隠れて見えにくい、昼間の星々。そのわずかな光の揺らぎ――巨大な質量(浮遊石)による重力レンズ効果が引き起こす、星の「瞬きのズレ」を、彼女の目は確かに捉えていた。


「風向、北北東から風速十五メートル。星の瞬きの誤差、コンマ二秒。……現在位置、カッシーニの座標『J-4』地点」

シェリルはアストロラーベの目盛りをカチカチと合わせ、迷いのない声で言った。


「レオ、今の針路は南に逸れすぎているわ。左へ十五度、舵を切って。高度はこのまま維持して」


「……よし、左へ十五度だな!」

僕はシェリルの指示通りに、重たい操縦桿を力任せに倒し込んだ。


視界の景色は何も変わらない。本当に合っているのか、不安は拭えない。だが、狂った羅針盤よりも、彼女の瞳の方が何百倍も信用できた。


「カイル! 計器がダメなら、私の計算を使って!」

シェリルが後ろを振り向き、カイルに向かって叫んだ。

「私がアストロラーベで割り出した機体の向きと偏流角を教えるわ! それをベースにして、白紙の地図をもう一度引き直して!」


「っ……! やってみる!」

カイルはハッと顔を上げ、手元の計算尺を乱暴に引き抜いた。


「シェリルが十分ごとに観測データを読み上げろ! その数値をベースに、僕が狂ったコンパスの代わりになって新しい軌道を計算する! レオ、僕とシェリルが指示するまで操縦桿の角度は絶対に動かすな!」

「おう! 頼んだぜ、天才!」


「じゃあ、私は……!」

リゼは悔しそうに唇を噛んだ後、思い切り自分の両頬を張り飛ばし、帳簿と燃料計を力強く指差した。


「私が、燃料が尽きるまでの『デッドライン』をカウントダウンしてやる! 残りは百十時間……五日弱よ! それまでに、あんたたちは絶対に見えない空の道を繋ぎなさい! 絶対にだ!」


狂った羅針盤に奪われかけた四つの歯車が、再び激しく噛み合い始める。


方角という「目」を奪われたアルバトロス号。

だが、僕たちにはシェリルという絶対的な「星読みの目」があり、カイルという「計算する脳」があり、リゼという「命を繋ぐ血液(燃料)」のタイムキーパーがいる。

そして僕が、このクソうるさい鉄屑の「手足」となって、空を切り裂く。


「高度維持、針路クリア! ……行けるわ、このまま進んで!」

シェリルの力強い声が、エンジンの轟音を貫いて響く。


「よっしゃああああっ!!」


僕は痺れる腕で操縦桿を握りしめ、見えない恐怖を怒鳴り声で誤魔化すように雄叫びを上げた。

コンパスの針は狂ったように回り続け、視界の景色は相変わらず青と白のままだ。胃の奥底にへばりつくような空間失調の吐き気も、いつ墜落するかわからない死の気配も、決して消えることはない。

それでも、狂った計器の代わりに、互いの声だけを命綱にして。

地図のない絶望の海を、四人の野良犬たちは、終わらない恐怖に歯を食いしばりながら突き進んでいった。

お読みいただき、ありがとうございます!

狂い回るコンパス。どこへ向かっているのか分からない恐怖。

計器という拠り所を奪われパニックになりかけますが、シェリルの「星を読む目」、カイルの「計算」、リゼの「燃料管理」、そしてレオの「操縦」。

4人の役割が完璧にリンクし、狂った羅針盤の代わりとなって暗闇を切り裂く姿は、まさに最高のチームですね。

しかし、燃料という名のタイムリミットは確実に迫っています。

明日もこの空でお待ちしています!

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