第41話 風を読む帆と交わる羅針盤
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強烈な下降気流に叩き落とされ、機首を真下に向けたアルバトロス号。
エンジンの力では抗えない自然の壁を前に、レオが下した決断とは。
手に汗握るフライトをお楽しみください!
ゴォォォォォォッ!!!
氷点下の強烈な下降気流に叩き落とされ、アルバトロス号は機首を真下に向けたまま、白い山脈の氷壁へと真っ逆さまに墜落していく。
操縦桿は風圧で完全にロックされ、ビクともしない。
頼みの綱である巨大なエンジンは、薄すぎる空気のせいで不完全燃焼を起こし、ガコンガコンと断末魔のようなノッキングを繰り返していた。
「ダメだ、激突する!!」
カイルが絶叫し、リゼが悲鳴を上げて頭を抱える。
力でねじ伏せようとすればするほど、船は空気に拒絶され、死へと引きずり込まれていく。カイルの計算した「九十九パーセントの墜落」という数字が、脳裏をよぎった。
(……力じゃダメだ。エンジンの推力じゃ、この山の風には勝てねえ)
僕はギリッと奥歯を噛み締め、一つの決断を下した。
握りしめていたスロットルレバーを、思い切り手前――「アイドリング」まで引き戻したのだ。
「なっ……レオ!? 何をしてる、エンジンを切ったら完全に落ちるぞ!!」
カイルが血相を変えて僕の腕を掴む。
「空気が薄くて息ができないなら、無理に走らせたら死ぬだけだ! なら、推進力は捨てる!」
僕はカイルを振り解き、伝声管に向かって叫んだ。
「シェリル! 目を開けろ! ただ落ちるだけの風なんてない、必ずどこかに『跳ね返る風』があるはずだ!」
その声に、恐怖で目を閉じていたシェリルがハッと顔を上げた。
彼女は窓ガラスに張り付き、迫り来る真っ白な氷壁と、その周囲に渦巻く大気の流れを必死に凝視した。
「……見えた! レオ、山の斜面にぶつかった下降気流が、谷底の氷河に当たって、右側の岩壁に沿って巨大な『上昇気流』になって吹き上がってる!」
「距離と角度は!?」
「右舷下方、三百メートル! 仰角はほぼ垂直に近い!」
「上等だ! カイル、リゼ! 座席の後ろにある手動ウインチを回せ! 主翼のフラップと、補助翼を限界まで全開にするんだ!」
「全開だと!? 空気抵抗が大きすぎて、船体がバラバラになるぞ!」
「いいから回せ! 俺たちの船を、風を受ける『巨大な帆』にするんだよ!」
僕の狂ったような指示に、リゼとカイルは顔を見合わせたが、もはや選択肢はなかった。二人は泣きそうな顔でウインチのハンドルに飛びつき、全力で回し始めた。
ギギギギッ! と鈍い音を立てて、アルバトロス号の巨大なフラップが展開される。
と同時に、僕は浮遊石の冷却バルブを微調整し、船体の「浮力」だけをギリギリに保った。
「……風よ、噛めっ!!」
僕は体重をすべて掛けて、ロックされていた操縦桿を右へと思い切りこじ開けた。
ズドォォォォンッ!!
目に見えない巨大な風の塊が、展開されたフラップと、底広なアルバトロス号の船体下部に激突した。
船全体がミシミシと悲鳴を上げ、リゼたちが床に転がる。
だが――墜落の強烈なGは、そこでピタリと止まった。
氷の谷底に激突する寸前。
山肌に跳ね返った強烈な上昇気流を、船体全体という「帆」で正面から受け止めたアルバトロス号は、まるで目に見えない巨大な手にすくい上げられたかのように、ふわりと空中に浮き上がったのだ。
「……浮いた……?」
床に倒れ込んでいたリゼが、信じられないというように呟く。
「エンジンはアイドリング状態だぞ……推力なんてほとんどないのに……!」
カイルも丸眼鏡をずり落ちさせたまま、計器盤と外の景色を交互に見比べた。
エンジンの轟音はない。ただ、風が船体を撫でるヒューッという甲高い音だけが響いている。
僕は操縦桿を微細に動かしながら、シェリルの声に耳を傾けた。
「レオ、次は左の尾根に沿って! そこにも風の道がある!」
「了解だ」
僕はエンジンで無理やり空を切り裂くのではなく、シェリルの見つけた風の道に船を「乗せて」いった。右へ、左へ。風を読み、帆船のようにタッキングを繰り返す。
それは、暴力的なトラクターのエンジン音と共に空をねじ伏せてきた僕たちにとって、初めて体験する「静かで、鳥のように美しい飛行」だった。
「……信じられない」
カイルが震える手で手帳を開いた。
「山の斜面にぶつかる風を利用した『|ダイナミック・ソアリング《動的滑空》』……! 推力に頼らず、大自然の風の力だけで高度と速度を維持している……!」
「へへっ、どんなに分厚い壁でも、必ず攻略法はあるってことだ」
僕は操縦桿を握ったまま、ニヤリと笑った。
高度が回復し、視界が開ける。
すると前方、氷の尾根のすぐ近くで、黒い煙を上げてガタガタと揺れている小型船の姿があった。リゼの金貨を盗んだ空賊たちだ。
彼らは強烈な向かい風の中で、無理やりエンジンを全開にして進もうとしていたが、薄い空気のせいで完全に酸欠を起こし、失速の恐怖に怯えながら空中にしがみついている状態だった。
「見つけたわ、あの泥棒猫ども!」
リゼが窓ガラスに張り付いて叫ぶ。
「カイル、リゼ! 窓を開けろ! あいつらの頭上を取る!」
僕は上昇気流に乗り、推力を失って喘いでいる空賊船の真上へと、音もなく滑り込んだ。
巨大なアルバトロス号の影が、小型船を完全に覆い隠す。
「な、なんだ!? なんでこんな空気が薄い場所で、あんなデカい船が静かに飛んでるんだ!?」
空賊たちが頭上を見上げ、幽霊でも見たかのようにパニックを起こしているのが見えた。
リゼは開けた窓から身を乗り出し、メガホン代わりの丸めた図面を口に当てて、容赦ない怒声を見舞った。
「そこの三流泥棒ども! 今すぐ盗んだ金貨の袋をこっちの甲板に投げ入れなさい! さもないと、このままあんたたちの船の上にのしかかって、一緒に氷の谷底へ沈めてやるわよ!!」
「ひっ……!!」
ただでさえ墜落寸前の彼らにとって、上空から巨大な船にのしかかられる恐怖は計り知れない。
空賊たちは泣き叫びながら、重たい革袋をアルバトロス号の下部甲板に向かって思い切り放り投げた。
ドサッ、という重い音と共に、金貨の袋が甲板に転がる。
「よし、回収完了! さあレオ、こんなむさ苦しい連中ほっといて帰りましょ!」
リゼが満面の笑みで親指を立てる。
「了解! 捕まってろよ!」
僕は船体を傾け、山の吹き下ろしの風を背に受けて、一気に『ラスト・ドロップ』の街がある南の空へと機首を翻した。
背後で、空賊たちの小型船が限界を迎え、黒煙を吹きながら雪原へと不時着していくのが見えたが、知ったことではなかった。
一時間後。
無事にラスト・ドロップの桟橋に帰還したアルバトロス号の船内には、不思議な静寂が漂っていた。
テーブルの上には、無事に取り戻した金貨三十枚の入った革袋が置かれている。
リゼはその革袋を両手でギュッと抱きしめたまま、僕の方をじっと見つめていた。
「……レオ」
リゼが、ポツリと口を開いた。
「あんたって、本当にただの無鉄砲なバカじゃなかったのね」
「なんだよ、急に」
「……私、あんたはエンジンの力任せに壁に突っ込んで、いつか粉々になって死ぬんだって思ってた。でも、違った。あんたは、風を読んで、船を操って……あの絶対の壁を、死の空気を、手懐けてみせた」
リゼの大きな瞳が、少しだけ潤んでいた。
「スラムの貧乏から抜け出して、安全なお金持ちになることが私の正解だと思ってた。でも……あの氷の谷底で、風に乗って空を滑った時。あの時の方が、ずっと……ずっと胸がドキドキしたわ」
彼女は革袋をテーブルに置き、僕の前に進み出た。
「……レオ。私、あんたのマネージャーを降りるの、やめる」
「……いいのか? また、死ぬほど怖い思いをするかもしれないぞ」
「上等よ。あんたが暴走して死なないように、私がきっちり燃料と財布の紐を握って、現実に繋ぎ止める『錨』になってやるわ」
リゼは涙を拭い、いつもの不敵で強気な笑みを浮かべた。
「……やれやれ。僕の完璧な生存戦略も、君たちの非合理的な冒険心の前には形無しだな」
船の隅で、カイルが呆れたように息を吐いた。
だが、その手には、先程のフライトのデータがびっしりと書き込まれた手帳が握られていた。
「でも、カイルの計算も間違ってなかった。エンジン推力だけじゃ、あの山は絶対に越えられない」
僕が言うと、カイルは丸眼鏡を押し上げ、目をギラリと光らせた。
「ああ。僕は大きな変数を一つ見落としていた。内部の『推力』だけでなく、大自然が持つ外部の力……『山岳波』を利用した滑空比だ。シェリルの目で風の道を完全にマッピングし、僕の計算で最適な滑空角とエンジン稼働のタイミングを同調させれば……」
カイルは手帳のページを破り捨て、新しい真っ白なページに力強くペンを走らせた。
「燃料消費率は劇的に下がる。現在のアルバトロス号の装備と、君たちの操舵技術があれば……あの『白い山脈』を越えられる確率は、決してゼロじゃない!」
カイルのその言葉に、シェリルが「やったぁ!」と歓声を上げ、リゼが僕の背中をバンバンと強く叩いた。
恐怖と現実の壁にぶつかり、バラバラになりかけた僕たちの羅針盤は、今、再び同じ北の空――『白い山脈』の向こう側へと、ピタリと針を合わせたのだ。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
力ではなく、大自然の風の力を利用する動的滑空。
帆船のように空を滑る彼らの姿に、リゼもカイルも「自分たちの本当の居場所」を思い出してくれました。
リゼがマネージャーに復帰し、カイルの計算式もついに希望の光を弾き出します。
これで準備はすべて整いました。
明日、いよいよ第2部の最終話です!




