第40話 奪われた金貨と北のデッドゾーン
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チームが割れたまま一週間。安全な現実を手に入れたはずのリゼでしたが……。
彼女のピンチに、あの「野良犬」が動きます!
チームが真っ二つに割れてから、一週間が過ぎていた。
リゼとカイルの『ラスト・ドロップ』での生活は、順風満帆そのものだった。
リゼは持ち前の度胸と計算高さで、ガランの輸送スケジュールの管理から、闇商人たちとの価格交渉までを完璧に仕切ってみせた。ガランの金庫には、彼女が采配を振るって稼ぎ出した金貨がうず高く積まれていた。
カイルもまた、街の古い機械の修理や改造の図面を引き、大人たちから「先生」と呼ばれるほどの地位を築いていた。
彼らはもう、スラムの底辺で怯えていた子供ではない。この無法の街で、確かな「権力」と「安全」を手に入れていたのだ。
――だというのに、どうしてこんなに胸の奥が冷たいのだろう。
リゼはガランのテントで帳簿を付けながら、ふと羽ペンの手を止めた。
窓の外、桟橋の一番外れには、エンジンを止めたまま沈黙しているアルバトロス号が見える。
あの船でバカ騒ぎをしながら、泥だらけになって空を飛んでいた時の方が、ずっと「生きてる」って感じがした。
「……ダメよ。あんな死にたがりのバカに付き合ってたら、本当に命がいくつあっても足りないわ」
リゼは自分に言い聞かせるように呟き、再び帳簿に向かおうとした。
その時だった。
「おい、ガランの親父! 大変だ!!」
テントの入り口を乱暴に開けて、ザックが血相を変えて転がり込んできた。
「どうした、騒々しい」
「新入りの流れ者の空賊どもだ! 昨夜、お嬢ちゃんがまとめた大きな取引の上がり……金貨三十枚が入った革袋を丸ごと持ち逃げしやがった!」
「何だと!?」
リゼは椅子を蹴り倒して立ち上がった。
「あいつら、俺たちの見張りの隙を突いて、小型の高出力船で街から逃げ出しやがった! 今すぐ追手を――」
「方角は!? どっちに逃げたの!」
リゼがザックの胸ぐらを掴んで叫ぶ。
「……北だ。あのバカども、この街の掟を知らねえから、近道しようとして『白い山脈』の麓に向かって一直線に飛んでいきやがった」
「北……!」
リゼの顔からサァッと血の気が引いた。
ガランが苦々しい顔で舌打ちをする。
「……よりによって北か。あっちの空域は山脈からの吹き下ろしの風で気流が滅茶苦茶だ。少しでも高度を上げればエンジンが酸欠で止まる。……ザック、追えそうか?」
「冗談じゃねえ! 俺たちの鈍重な装甲船であの空域に近づいたら、突風に煽られて岩山に激突して一巻の終わりだ。あそこは、重い船じゃ絶対に飛べねえ死の空域だぞ!」
ザックの言葉に、リゼは絶望した。
金で雇った用心棒も、街のならず者たちも、自然の絶対的な壁の前では誰も動こうとしない。
自分がいかに「権力」を手に入れた気になっていても、いざという時には何もできない無力な子供なのだと、痛烈に思い知らされた。
(金貨三十枚……あれは、私がこの街で生き残るための命綱なのに……!)
歯を食いしばり、悔し涙を浮かべたリゼの脳裏に、一つの「船」のシルエットがよぎった。
「……いるじゃない」
リゼは弾かれたようにテントを飛び出した。
「おい、お嬢ちゃん! どこへ行く!」
ザックの制止も聞かず、リゼは冷たい風の吹く桟橋を全力で駆け抜けた。向かう先は、一番外れの木と鉄骨の足場。
冷え切ったまま沈黙している、銀色の巨大な翼――アルバトロス号だ。
バンッ!!
リゼは船室のハッチを蹴り開けた。
そこには、油まみれの作業着を着たまま、ハンマーを抱えて不貞腐れたように寝転がっているレオの姿があった。
「……なんだよ。偉大なるガラン商会のマネージャー様が、こんな薄汚い船に何の用だ」
レオが起き上がり、刺々しい声で言う。
いつもなら「ふん、その減らず口を叩けなくしてやるわ」と言い返しているところだ。
だが、今のリゼにはそんな余裕はなかった。
「……レオ。お願い、助けて」
リゼの声は震え、その大きな瞳からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「……っ!?」
レオがギョッとして立ち上がる。強欲で絶対に人に弱みを見せないリゼが、声を上げて泣いていたからだ。
「泥棒に……私が必死で稼いだ金貨、全部盗まれちゃったの! あいつら、北の白い山脈の方へ逃げたわ! 街の大人たちは誰も追ってくれない……このままじゃ、私……っ!」
リゼは両手で顔を覆い、しゃくり上げた。
お金が惜しいだけじゃない。自分が築き上げた「安全な現実」が、いとも簡単に崩れ去る砂上の楼閣だったことが恐ろしかったのだ。
レオはしばらく無言でリゼを見下ろしていたが、やがて足元に転がっていたスパナを拾い上げ、ポンと肩に担いだ。
「……本当に、世話の焼けるマネージャーだ」
レオはニヤリと、悪戯っ子のように笑った。
「ガランの親父の船じゃ追いつけなくても、俺たちの『白い山脈突破仕様』なら話は別だ。……乗れ! 野良犬の金に手を出したバカどもに、地獄を見せてやる!」
「レオ……!」
「カイル! シェリル! いるんだろ、さっさと出てこい!」
レオが叫ぶと、船の奥のキャビンから、気まずそうにカイルとシェリルが顔を出した。二人とも、ずっとここでレオの様子をうかがっていたのだ。
「……勘違いするな。僕はただ、僕の設計した増設タンクのテストフライトに付き合うだけだ。決して君たちに同情したわけじゃないからな」
カイルはそっぽを向きながら、手帳と計算尺をポケットに突っ込んだ。
「レオ、私、アストロラーベの準備できてるよ! いつでも星を読める!」
シェリルが真鍮の計器を胸に抱きしめ、嬉しそうに微笑んだ。
「よし! アルバトロス号、緊急発進だ!」
ドォォォォォン!!
一週間ぶりに火が入った巨大なエンジンが、歓喜の咆哮を上げる。
僕たちはザックたちが呆気にとられて見上げる中、桟橋を力強く蹴り出し、盗人を追って北の空――絶対の壁である『白い山脈』の領域へと機首を向けた。
高度二千、三千、四千。
北へ向かえば向かうほど、気温は急激に下がり、窓ガラスにバリバリと霜が張り付いていく。
だが、カイルの設計したオイルヒーターのおかげで、船室内は驚くほど暖かかった。
「レオ、見えた! 正面下方、岩肌スレスレを飛んでる小型船だよ!」
シェリルが前方を指差す。
確かに、乱気流に弄ばれながらも、必死に北へ向かって逃げる違法改造船の姿があった。船体が小さく軽いため、薄い空気の中でもギリギリ飛べているらしい。
「捕まえたぜ! 一気に追いついて頭を押さえる!」
僕はスロットルレバーをさらに押し込み、スーパーチャージャーの圧を上げた。
ギュオオオオッ!
エンジンが甲高い過給音を上げ、アルバトロス号が急加速する。
だが――高度が五千メートルを超え、真っ白な山肌が眼前に迫ってきたその瞬間だった。
ガガガガッ……!! プスンッ、ドスッ……!
突然、エンジンの連続した爆発音が途切れ、船体全体が激しいノッキングに見舞われた。
「なっ……!?」
「ダメだ、レオ! スロットルを戻せ!!」
カイルが血相を変えて叫んだ。
「空気が薄すぎるんだ! 僕たちの船は、増設タンクと極寒装備で重くなりすぎている! この酸素濃度でこれ以上エンジンを回せば、シリンダーが酸欠を起こして完全に火が消えるぞ!」
カイルの警告と同時に、エンジンの回転計の針が急激に落ちていく。
推進力を失った重い船体が、目に見えて高度を下げ始めた。
「クソッ、空気を噛まねえ……! だったら、気嚢の浮力で……!」
僕が浮遊石の出力を上げようとした、まさにその時だ。
ゴォォォォォォッ!!!
白い山脈の頂上付近から、まるで巨大な滝のような『カタバティック風』――氷点下の強烈な下降気流が、アルバトロス号を上から叩き潰すように吹き下ろしてきたのだ。
「きゃあああああっ!!」
リゼとシェリルが悲鳴を上げる。
推力を失い、空中に浮かんだだだの重い鉄の塊となった船体は、強烈な下降気流に成す術もなく押し流され、機首を真下に向けて錐揉み状態に陥った。
「くそっ、操縦桿が効かねえ!! 風圧で舵が固定されてる!!」
僕は全身の力で操縦桿を引っ張るが、微動だにしない。
窓の外では、鋭く尖った氷の岩肌が、恐ろしいスピードで迫ってきていた。
カイルの言っていた「九十九パーセントの墜落」という絶望の数字が、現実のものになろうとしていた。
力では、大自然の壁をねじ伏せることはできない。
真っ逆さまに落ちていく絶叫の中、僕たちのアルバトロス号は、白い山脈の死の懐へと完全に飲み込まれようとしていた。
読んでいただき、ありがとうございます!
大泣きするリゼと、一切迷わずハンマーを担ぐレオ。
そして、素直じゃないけど結局ついてきてくれるカイルとシェリル。
「緊急発進」の熱い展開、書いていてとてもテンションが上がりました!
しかし、立ちはだかるのはあの「白い山脈」。
エンジンが悲鳴を上げ、絶対絶命の急降下が始まります。
明日、緊迫の追跡劇・後編です!




