第4話 黄金時代の忘れ形見
今日も読みに来てくださり、ありがとうございます!
空へ行くには、夢だけじゃ足りない。燃料、資金、そして度胸。
没落商家の娘リゼが、その「現実」を突きつけます。
ため息というのは、お金が逃げていく音だという。
もしそれが本当なら、今の私は世界一の貧乏人になっているはずだ。
「……はあ」
深夜の店舗。ランプの灯りだけが頼りの薄暗いカウンターで、私は重たい革表紙の帳簿を閉じた。
私の実家は、曾祖父の代から続く貿易商だ。かつては遠方の街から珍しい織物や香辛料を仕入れ、羽振りが良かったらしい。
らしい、というのは、私が物心ついた頃にはもう斜陽産業だったからだ。
大手ギルドによる物流の独占。浮遊石を利用した高速輸送船の台頭。
時代は変わった。地べたを馬車で這い回るだけの古い商売は、もう限界なのだ。
「……今月の赤字、先月より三割増しか」
インクの赤い数字が、私の網膜を焼き焦がす。
このままじゃ、座して死ぬだけだ。
何かを変えなきゃいけない。一発逆転の「商品」を見つけなきゃいけない。
そう思って、今日は一日中、裏の蔵でホコリまみれになりながら「売れるガラクタ」を探していたけれど……めぼしい物は何もなかった。
カランカランッ!!
その時、ドアベルがけたたましく鳴り響いた。
泥棒かと思って身構えるより早く、聞き覚えのある能天気な声が飛び込んでくる。
「ようリゼ! まだ起きてるか!?」
ドカドカと押し入ってきたのは、顔中を煤だらけにしたレオだった。
そして、その後ろには――もう一人、見覚えのある少女が立っていた。
大きな眼鏡をかけた、ひ弱そうな女の子。
「……アンタ、時計塔の娘でしょ?」
「あ、こんばんは……」
少女がビクッとして俯く。
シェリルだ。学校には来ず、ずっと塔に引きこもっているという噂の「星狂い」。
レオと接点があるなんて聞いたこともない。
「……レオ。こんな夜更けに、珍しい組み合わせね。何の用?」
「金だ!」
レオは悪びれもせず、真っ直ぐに私を見て言った。
あまりの直球に、怒るのを忘れて呆れてしまう。
「はあ? あんた、自分がウチにいくら借金してるか忘れたの?」
「忘れてねえよ! でも、足りねえんだ! 場所は分かった。技術的な目処も立った。あとは燃料とパーツを買う金だけなんだよ!」
レオが私の手をガシッと握った。
油と鉄の匂いがする、熱くて分厚い手。
「リゼ、お前はすげえ商人だろ? 俺たちの冒険に賭けてくれねえか。絶対に損はさせねえ。伝説の都を見つけたら、そこのお宝はお前が独占していい!」
すげえ商人、か。
おだてても何も出ない。今のウチには、貸せる現金なんて金庫の底を叩いても出てこないのだから。
私はレオの手を振りほどき、冷たく言い放った。
「帰って。……悪いけど、泥舟に乗せる金はないわ」
レオの表情が曇る。
でも、彼は引き下がらなかった。
ふんふん、と鼻を鳴らし、私の顔をじっと見つめる。いや、見ているんじゃない。匂いを嗅いでいる?
「……なんだよ、気持ち悪い」
「なぁリゼ。お前、なんか変な匂いしねえか?」
レオが私の袖口を掴んで、さらに顔を近づけてくる。
近い。近すぎる。
「ちょ、ちょっと! 離れなさいよ!」
「違う。香水とかじゃねえ……もっとツンとした、刺激的な……」
レオは真剣な顔で、私の作業着の袖口をクンクンと嗅ぎ回る。
デリカシーの欠片もない。思わず引っぱたこうとした瞬間、レオが目を見開いた。
「これ……『純アルコール』の匂いだ」
「え?」
「しかも、ただの酒じゃねえ。工業用の、とびきり純度の高いやつの匂いだ。……リゼ、お前さっきまでどこにいた?」
私はたじろいだ。
確かに、さっきまで裏の蔵で在庫整理をしていた。その時に古いタンクをいくつか動かしたけれど……。
「……裏の蔵よ。売れ残りがないか探してたの。それがどうしたのよ」
「蔵!? そこを見せてくれ!」
「はあ? 今は鍵かけたし、中はガラクタばっかりで……」
「いいから! 頼む!」
レオは私の返事も待たずに、強引に私の手を引いて店の裏口へと向かった。
その必死な形相に、私は抵抗する気力を失ってしまった。
月明かりに照らされた中庭。
雑草が生い茂るその先に、蔦に覆われた石造りの古い蔵が鎮座している。
私は渋々、腰に下げていた鍵束を取り出し、錆びついた南京錠を開けた。
ギィィ……と重たい鉄扉が開く。
ムッとした埃の匂いと共に、レオが言っていた「ツンとした刺激臭」が微かに漏れ出した。
「……これだ」
レオはランプを奪い取ると、迷わず蔵の奥へと進んでいく。
積み上げられた木箱の山をかき分け、一つの棚の前で立ち止まった。
彼が指差したのは、部屋の隅に転がっていた、真鍮製の重厚なキャニスターだった。
埃まみれで、ラベルも剥がれかけている。私がさっき、「重いだけで売れそうにない」と思って動かしたやつだ。
「これ……何が入ってるんだ?」
「さあね。曾おじいさんの遺品よ。昔はこれで、レース用の飛行機を飛ばしていたらしいけど……」
「腐らねえよ。こいつは『酒』と同じだ」
レオが駆け寄り、キャニスターの埃を払った。
キャップを少し緩める。
プシュッ……というガスが抜ける音と共に、強烈な刺激臭が蔵の中に充満した。
「間違いねえ……! バイオ・エタノールだ! それも、軍用レベルの高純度品!」
レオは子供のように目を輝かせて、その缶を抱きしめた。
まるで恋人でも抱きしめるみたいに。
「俺のエンジンは出力不足で悩んでたんだ。普通の軽油じゃパワーが出ねえ。でも、こいつなら……この純度なら、爆発的な熱量を叩き出せる!」
レオの言葉に、シェリルも「……なるほど。カロリー密度が高い燃料なら、同じエンジンでも出力は倍増する……」と納得顔で頷いている。
「リゼ! これがあれば勝てる! 俺のエンジンなら、こいつを完全燃焼させられる!」
「……そう」
「頼む! これを譲ってくれ! 出世払いでいいから!」
出世払い。一番信用できない言葉だ。
でも、レオの瞳を見ていると、不思議と「ノー」と言えない自分がいる。
この燃料は、市場価格なら金貨数枚はする代物だ。これを売れば、店の赤字は少し埋まる。
でも、それで終わりだ。来月にはまた赤字になる。
座して死ぬか。
それとも、このどうしようもないバカに賭けてみるか。
私はキャニスターを睨みつけた。
黄金時代の忘れ形見。
これをただの古道具として売るのと、新しい伝説の燃料にするのと、どっちが「商人」として正しい?
「……タダじゃあげないわよ」
「えっ?」
「これは『投資』よ。出世払いなんて曖昧な約束じゃなくて、正式な契約を結びなさい」
私はレオの胸倉を掴み、引き寄せた。
「あんたたちが伝説の都を見つけたら、そこの航路の独占権、採掘権、交易権、すべて私が管理する。……文句ないわね?」
「あ、ああ! もちろん!」
レオがコクコクと頷く。
チョロい。これだからコイツは一生貧乏くじを引くのだ。
「それと、もう一つ条件があるわ」
「な、なんだよ」
私はシェリルを一瞥してから、レオに向き直った。
……正直、面白くない。
レオが私以外の女の子を連れてきて、しかもその子の「計算」を信じ切っているなんて。
私だって、昔からこいつの夢を聞かされてきたのに。
「私も乗るわ。この『事業』、私が直接管理する」
「はあ!? お前も船に乗るってのか!?」
「当たり前でしょ! あんたみたいな計算のできないバカと、世間知らずの星読みちゃんだけに任せておける? 私の大事な投資が紙屑になったら困るのよ!」
レオはあんぐりと口を開け、それから――吹き出した。
「ぶっ……ははは! 違いねえ! 俺たちじゃ、金の計算してる間に墜落しちまう!」
「笑い事じゃないわよ!」
レオはニカッと笑い、右手を差し出した。
「頼もしいぜ、リゼ。お前がいれば百人力だ。……歓迎するぜ、アルバトロス号へ!」
その笑顔に、毒気が抜かれる。
私はため息をつき、その汚れた手を握り返した。
「……後悔させないでよね、パートナー」
月明かりの下、三人の視線が交差する。
技術のレオ。知識のシェリル。そして、資源のリゼ。
泥舟だと思っていたものが、いま、黄金のガレオン船に見え始めていた。
「へへっ、すげえな! シェリルの地図に、リゼの燃料だ!」
レオが興奮した様子で、キャニスターを愛おしそうに撫でる。
「これで本当に行けるかもしれねえ。……親父が目指した、あの『空の逃げ水』の向こう側へ」
「……本当に、あるのかな。伝説の都」
シェリルが不安そうに、けれど期待に満ちた瞳で夜空を見上げる。
レオは力強く頷いた。
「あるさ。俺たちは見つけたんだ。場所も、行くための翼も、燃料もな!」
その無根拠な自信が、今は心地よかった。
私もつられて空を見上げる。
狭い路地裏から見える空は四角く切り取られているけれど、この燃料があれば、もっと広い場所へ行けるのかもしれない。
「……伝説が見つかったら、私は大金持ちよ」
「おう! 世界一の富豪にしてやるよ!」
バカな会話だ。でも、悪くない。
赤字の帳簿を眺めてため息をつく夜は、もう終わりだ。
ここから始まるのだ。私たちの、一発逆転の大勝負が。
お読みいただき、ありがとうございます!
リゼはただの「お財布」ではありません。彼女自身も、かつての黄金時代への憧れを抱える一人です。
次回からは、いよいよ船の建造が加速していきます。
明日も夜にお待ちしています!




